神戸の空の下で。~街角の歴史発見~

足かけ8年、150万PV突破。「近畿の史跡めぐり」のサブタイトルも、範囲が広がったために少し変更しました。

京都・鞍馬寺。

2009年02月01日 | ◇京都府 -洛北


鞍馬山 鞍馬寺

(くらまざん くらまでら)
京都市左京区鞍馬本町1074

新西国33ヶ所霊場・第19番札所



丹塗りの仁王門。1891(明治24)年に焼失、1911(明治44)年に再建。


〔宗派〕
鞍馬弘教総本山
(くらまこうきょう)

〔御本尊〕
尊天
(そんてん)


 鞍馬寺は、苦難の末に6度の挑戦でついに日本へと渡り、失明したにもかかわらず布教に人生を捧げた唐の高僧・鑑真和上と共に唐から渡ってきた高弟たちの一人である鑑禎上人(がんじょうしょうにん)が770(宝亀元)年に鞍馬山に庵を結び、毘沙門天を安置したのが始まりだと伝えられています。796(延暦15)年には、藤原南家の流れを引く貴族・藤原伊勢人卿が、深く帰依する観音菩薩を祀る寺院の建立を発心し、夢に現れた貴布禰明神のお告げに従って鞍馬山へと辿り着きます。しかし、そこにはすでに毘沙門天を祀る庵が立っていたため藤原伊勢人卿は当惑しますが、その夜、夢で「毘沙門天も観音も根本は一体」というお告げを受け、王城鎮護のために毘沙門天と千手観音を共に祀る伽藍の整備に力を尽くしたといわれています。





急な石段が続く参道(左)と、ケーブル「多宝塔駅」の北に立つ多宝塔(右)。


 
 9世紀末の寛平年間(889~897年)には東寺の僧・峯延上人が入山して、真言宗の色合いが強くなります。この時上人が山中に現れた大蛇を法力で退治したという故事にちなみ、「竹伐り会式(たけきりえしき)」と呼ばれる祭事が現在も続けられています。1009(寛弘6)年や1126(大治元)年には火災で伽藍が焼失しますが、1127(大治2)年に再建されたのち保延年間(1135~1141年)に天台宗の忠尋座主が入山したことから天台宗寺院となり、長い間青蓮院の支配下にありました。その後も何度も火災に見舞われて荒廃しますが、江戸時代の1609(慶長14)年には徳川秀忠公から全ての徴税課役の免除を認める黒印状を受けるなどの庇護を受けて再興されます。戦後の1947(昭和22)年には鞍馬弘教を開宗、1949(昭和24)年に天台宗からの独立を果たして鞍馬弘教の総本山となりました。

 鞍馬寺では山内に漲る「全ての生命を活かす宇宙の気」を信仰主体とし、その象徴としての「尊天」を御本尊としています。尊天の働きが光となって現れる時は毘沙門天、愛となって現れる時は千手観音菩薩、力となって現れる時は「護法魔王尊」となって姿を現すとされています。本堂に安置されている毘沙門天像、千手観音菩薩像、そして室町時代の絵師・狩野元信が描いたとされる護法魔王尊絵図は普段は秘仏とされ、60年に1度「丙寅」の年にのみ開帳されています。次回のご開帳は2046年の予定です。





940(天慶3)年頃に勧請された由岐神社(左)と、その傍に立つ義経公供養塔(右)。



 鞍馬寺は、のちに源義経と名乗る牛若丸が兵法修行したことでも知られています。1159(平治元)年に起きた平治の乱平清盛公に敗れて落命した源義朝公の9男に生まれた牛若丸は、当時数えで2歳の幼な子でしたが、成人した後の復讐を警戒した平清盛公によって一度は処刑の決定が下されます。しかし、母・常盤御前が身を挺して必死に助命を乞うた結果牛若丸は赦免され、7歳になった頃に鞍馬寺東光坊に預けられることとなります。鞍馬に入山してからの牛若丸は学問に一心に打ち込む日々を送り、その熱心さには師である阿闍梨・蓮忍も思わず感嘆したといわれています。

 そんな牛若丸の人生も、己の素性を初めて知った時から大きく運命の歯車に突き動かされていきます。自分が源氏の棟梁・源義朝公の遺児であること、今をときめく平家の棟梁・平清盛公がその仇であることなどを知った牛若丸は「遮那王」と名を改め、平家討伐を念じて武芸に打ち込むようになります。武蔵坊弁慶と五条大橋の上で運命の出会いを果たすという伝説も、この頃生まれました。噂を聞きつけて鞍馬を訪れた「金売り吉次」の異名を持つ奥州の商人・吉次信高から、奥州の王・藤原秀衡公が遮那王に関心を寄せ、源氏の再興への助力の意志を持っているということを伝えられた遮那王は、奥州へ渡るために鞍馬山を下ります。時に1174(承安4)年、遮那王16歳の時のことでした。





鞍馬寺の本殿金堂。1971(昭和46)年に再建されました。



 鞍馬寺では、5月の満月の日に行われる「五月満月祭(うえさくさい)」や、6月20日に行われる「竹伐り会式」など様々な祭事が執り行われています。このような鞍馬山の祭事の中でも最も有名なのが10月22日に行われる「鞍馬の火祭」です。940(天慶3)年、災害や争乱などに揺れる世情の不安を鎮めるため朱雀天皇の詔によって御所内に祀られていた由岐明神鞍馬山に勧請し、北方の守護神とすることになりました。この遷座は国家的な儀式として盛大に執り行われ、松明や神具を伴った遷宮の行列は1kmにも及んだといい、鞍馬の人々も篝火を焚いて歓迎したといわれています。この時の光景を偲んで始められた神事が鞍馬の火祭の起源となりました。ちなみにこの祭りは由岐神社の神事として行われています。





鞍馬天狗と牛若丸の出会いの場といわれる不動堂(左)と、奥の院魔王殿(右)。
 

アクセス
・叡山電鉄鞍馬線「鞍馬駅」下車、仁王門まで徒歩4分
鞍馬寺地図  Copyright (C) 2000-2009 ZENRIN DataCom CO.,LTD. All Rights Reserved.

拝観料
・大人200円(中学生以下無料)

拝観時間
・9時~16時30分