神戸の空の下で。~街角の歴史発見~

足かけ8年、150万PV突破。「近畿の史跡めぐり」のサブタイトルも、範囲が広がったために少し変更しました。

京都・霊鑑寺。

2007年11月25日 | ◇京都府 -洛東

円成山霊鑑寺

(えんじょうさん れいかんじ)
京都市左京区鹿ケ谷御所ノ段町12


通 称
鹿ヶ谷比丘尼御所
谷の御所




春と秋、椿と紅葉の季節のみ一般公開されます。


〔宗派〕
臨済宗南禅寺派

〔御本尊〕
如意輪観音像
(にょいりんかんのんぞう)


 哲学の道沿いには、銀閣寺をはじめ多くの古刹があります。一年を通じて多くの観光客が訪れ、四季折々のさまざまな表情を愉しんでいますが、その中に春と秋のごく限られた時期しか公開されていない寺院が2つあります。そのうちのひとつが、450年の歴史を持つ霊鑑寺。代々天皇家の皇女が住職を務め、「谷の御所」と呼ばれた尼門跡寺院です。春の椿の時期と秋の紅葉の時期にしか公開されないため、スケジュールをしっかりチェックする必要があります。





方丈前の庭園から石段と本堂を望む。



 霊鑑寺臨済宗南禅寺派に属する尼門跡寺院で、1654(承応3)年に後水尾天皇の勅許寺院として皇女・多利宮(浄法身院宮宗澄)を開基として創建されました。創建当初は現在地よりも南にあり、天台宗寺院としてのスタートだったそうです。御本尊である如意輪観音像は、如意ヶ岳とも呼ばれていた大文字山の山麓にあったものの南北朝時代には衰退して廃寺となっていた如意寺の御本尊だったといわれ、江戸幕府第11代将軍・徳川家斉公の寄進による本堂に納められています。まもなく臨済宗に改められた霊鑑寺は、1687(貞享4)年に後水尾天皇の第8皇子だった後西天皇の屋敷を賜って現在地へと移されます。霊鑑寺の住職は明治維新に至るまで代々皇女が務め、「谷の御所」や「鹿ヶ谷比丘尼御所」と呼ばれてきました。皇室にゆかりが深い寺院のため、歴代天皇の宸翰や御所人形、平安時代から伝わる遊びの道具であった貝合わせなど皇室との繋がりを窺わせる品々が伝えられています。





御本尊の如意輪観音像を安置する本堂(左)。奥の境内も紅葉で朱に染まります(右)。



 書院は1675(延宝3)年に建てられた後西天皇旧殿の御休息所を移築したもので、狩野派の手による襖絵などが残されています。特別公開時には見学することができ、ここから池泉観賞式庭園を本来の位置から愉しむことが出来ます。東山の稜線を巧みに利用した庭園には大きな石が大胆に組まれ、かつて山中からの清水で満たされていた池泉は味わいのある枯山水となっています。





書院の縁側から眺めた庭園。


アクセス
・JR「京都駅」下車、京都市バス100系統「上宮ノ前町」バス停より東へ徒歩10分
霊鑑寺地図  Copyright (C) 2000-2006 ZENRIN DataCom CO.,LTD. All Rights Reserved.

拝観料
・500円  ※通常非公開:春季(4月上旬)と秋季(11月下旬)の特別拝観期間のみ公開。

拝観時間
春季特別拝観: 4月上旬 10時~16時(受付は15時30分まで)
秋季特別拝観:11月下旬 10時~16時(受付は15時30分まで)

※正確な日時についてはこちらでご確認ください。