豊国稲荷神社
(ほうこくいなりじんじゃ)
神戸市兵庫区平野町獺谷401-2
鳥居から拝殿まではけっこう距離があります。
〔御祭神〕
豊国大神
(ほうこくたいしん=豊臣秀吉公)
豊受大神
(とようけのおおかみ)
稲倉魂大神
(いなくらたまのおおかみ)
神戸の市街地から北区への玄関口、有馬街道の入口に当たる平野交差点。この地域は、平清盛公が病を癒すために1169(仁安4)年1月に京都から移り住み、後にはわずか半年ではありますが遷都を行った場所として有名です。この近辺には、福原京への遷都と前後して創建された神社・仏閣が数多くありますが、今日ご紹介する豊国稲荷神社は、少しそれらの寺社とは毛色が異なるようです。
山道を一歩一歩踏みしめていくと、苔に包まれたお社にたどり着きます。
ここ豊国稲荷神社が、いつ創建されたのかは明らかではありません。しかし、豊臣秀吉公を神格化した豊国大神を祀る神社として、兵庫城の中に鎮座していたそうです。兵庫城があった場所は、現在の神戸中央卸売市場付近だといわれています。
明治に入ると、兵庫城があった場所には初代の兵庫県庁が置かれることとなります。その後、県庁は神戸地方裁判所がある中央区橘通に移転。さらにその6年後の1873(明治6)年には現在の中央区下山手通の地に移されます。兵庫城内にあった豊国稲荷神社も、県庁とともに移転を重ねますが、公的な役所の中に神社があるのはおかしいのではないかということで、明治7年に兵庫県庁から移されることとなります。「政教分離」が憲法で謳われた戦後のことならいざ知らず、明治のこの時期にそういう意見があったというのは興味深い話です。
山中でひっそりとたたずむ社殿。不思議な緊張感に包まれます。
県庁からの移転を余儀なくされた豊国稲荷神社は、有馬温泉の守護神という意味合いを込めて、温泉のある平野の地の山中に遷座されることになったそうです。ちなみに、この地にある湊山温泉の歴史は古く、福原遷都後に平清盛公が温泉に入ったという記録が残されています。1596(慶長元)年には豊臣秀吉公がこの地の住人・正直屋寿閑に対して湯坪取り立ての朱印状を与えた、という話も残されています。
社殿のほかに目に付くものといえば、この建物くらい。社庫でしょうか。
アクセス
・神戸市営バス7系統・9系統ほか「石井橋」下車、北へ徒歩10分。
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拝観料
・無料
拝観時間
・常時開放(山の中なので、日の高いうちに参拝してください)
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