神戸の空の下で。~街角の歴史発見~

足かけ8年、150万PV突破。「近畿の史跡めぐり」のサブタイトルも、範囲が広がったために少し変更しました。

京都・白峯神宮(球技の神様)。

2006年06月12日 | ◇京都府 -洛中
球技上達・諸芸上達

白峯神宮

(しらみねじんぐう)
京都市上京区今出川通堀川東入ル飛鳥井町261




球技上達の神として厚い崇敬を集める白峯神宮。今出川通に面して鎮座しています。


〔御祭神〕
崇徳天皇
(すとくてんのう)
淳仁天皇
(じゅんにんてんのう)



 京都市営地下鉄烏丸線の今出川駅を出て西に5分ほど歩くと、崇徳天皇淳仁天皇を主祭神に祀る白峯神宮に辿り着きます。崇徳天皇は1119(元永2)年に鳥羽天皇の皇子として産まれ、わずか5歳で第75代天皇に即位されました。幼い頃から文化に優れ、小倉百人一首にも撰ばれている「瀬をはやみ 岩にせかるる滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ」という歌は大変有名です。





神門の先に立つ舞殿(左)と、蹴鞠保存会の結成100周年を記念する蹴鞠碑(右)。



 崇徳天皇は幼帝であったがために実権は常に父・鳥羽上皇が握り、しかも24歳の若さで天皇を退位させられてしまいます。その後も鳥羽法皇後白河天皇に政治の主導権を握り続けられていた崇徳天皇は、この状況を打開すべく鳥羽法皇崩御を契機に左大臣・藤原頼長卿をはじめ平忠正公や源為義公といった武士を味方に付けて挙兵します(保元の乱)。しかし後白河天皇側に付いた平清盛公や源義朝公たちに敗れ、讃岐国への流罪に処されることとなりました。讃岐国での崇徳上皇は仏教を厚く信仰し、極楽往生を願って五部大乗経の写経に専念。出来上がった写本を朝廷に奉納しますが、「呪詛が込められているのではないか」との疑いを持った後白河法皇に受け取りを拒否されてしまいます。当然激しく怒った崇徳上皇は自らの血で写経に呪詛の言葉を書き込み、夜叉のような姿となって1164(長寛2)年に無念の最期を遂げました。





飛鳥井家の邸内社だった地主社。サッカーW杯の使用球などが供えられています。
※御祭神は、精大明神・柊大明神・今宮大神・白峯天神・糸元大明神。



 もう1柱の御祭神・淳仁天皇は、藤原仲麻呂卿の強い推挙もあって孝謙天皇から譲位を受け、758(天平宝字2)年に第47代天皇に即位。しかし藤原仲麻呂卿の後見人である光明皇太后の強い影響力や、弓削道鏡を重用した孝謙上皇との不和などもあり、政治の実権を奪われてしまいます。その後起こった「藤原仲麻呂の乱」をきっかけに皇位を追われ淡路島に配流。その翌年には配流先からの脱出を試みるも失敗、翌日には急死してしまいます。公式には病死とされていますが、他殺という疑惑の残る無念の最期を遂げられています。このような崇徳天皇淳仁天皇の無念が怨霊化するのを防ぎ、遺徳を偲ぶことで御霊を慰め奉るために1868(慶応4)年に創建されたのが白峯神宮です。





悲劇の帝・崇徳天皇と淳仁天皇を御祭神として祀っている社殿。



 元々この場所には平安時代から和歌や蹴鞠の宗家として代々朝廷に仕えてきた飛鳥井家の邸宅がありました。白峯神宮が創建された際には、邸内で祀られていた神々も引き続き境内に設けられた地主社の社殿で祭祀が続けられる事となりました。この中でも特に広く知られているのが、「鞠の神様」といわれる精大明神です。古くから蹴鞠宗家の守護神として崇敬されてきた精大明神は、スポーツ(特に球技)の神様として多くの選手たちの崇敬を集めています。





拝殿前にある鞠庭。この日は茶席が設けられていました。



 蹴鞠は7世紀頃に仏教などとともに中国大陸から伝来したのではないかといわれています。権禰宜さんも強調されていましたが、とにかく勝敗を決めるものではなく、優雅な作法にのっとってリフティングとアシストの技術を用い、優れた技量を持つ者ほど相手が受け易く次に蹴り易いように鞠を蹴るという「無勝負」と「相互扶助」の球戯です。蹴鞠を行う「鞠庭」は15m四方の平坦な地を使い、四隅には式木と呼ばれる4mほどの高さの4種類の木を植えます。通常は松・桜・柳・楓を用いますが、皇族や将軍家、蹴鞠宗家の飛鳥井家などには4本とも松を用いた最上級の鞠庭が作られたそうです。この中で8人もしくは6人の「鞠足」(蹴鞠をするプレーヤーのこと)が蹴鞠を繰り広げます。鞠庭に入るにも作法があり、鞠を蹴るフォームにも優雅さが求められます。

 鞠庭は平安時代中頃から宮中や公家の間で大流行し、伝説の名手たちも現れました。平安末期に現れた藤原成通卿は、清水寺の舞台の欄干の上をリフティングしながら何度も往復したといわれ、同じ頃に現れた藤原頼輔卿も関白・九条兼実卿から「無双達者」と絶賛された名手で、その孫に当たる飛鳥井雅経卿と難波宗長卿は、それぞれ飛鳥井流難波流という流派を打ち立てて「蹴鞠道」を確立しました。現在でも毎年4月14日と7月7日には鞠庭奉納神事が行われています。





昭和に入って祭祀が始められた潜龍社(左)。右は源為義公と源為朝公を祀る伴緒社。


アクセス
・京都市営地下鉄烏丸線「今出川駅」下車、西へ徒歩5分
白峯神宮地図  Copyright (C) 2000-2008 ZENRIN DataCom CO.,LTD. All Rights Reserved.

拝観料
・無料

拝観時間
・常時開放

公式サイト