神戸の空の下で。~街角の歴史発見~

足かけ8年、150万PV突破。「近畿の史跡めぐり」のサブタイトルも、範囲が広がったために少し変更しました。

神戸・日下部天満神社。

2006年06月05日 | ■神戸市北区
家内安全・厄除け・交通安全・学業成就

日下部天満神社

(くさかべてんまんじんじゃ)
神戸市北区道場町日下部字宮後905



真新しい石垣、真新しい鳥居。


〔御祭神〕
菅原道真公
(すがわらのみちざね)
天之水分神
(あめのみくまりのかみ)
火産霊神
(ほむすびのかみ)
愛鬘尾命
(うけのりかみのみこと)



 神戸市を南北に走る神戸電鉄。新開地駅から三田行きの快速で45分ほどのところにある道場南口駅で下車し、八多川を越えて北へ3分ほど行った住宅街の中に、真新しい鳥居を見つけました。この近辺に来る用事があり、どうせ行くなら何か面白そうなものはないかと眺めた地図上に見つけた「天満宮」の文字。それを頼りにたどり着いたのが日下部天満神社でした。




石の白さが眩しい一の鳥居。平成12年4月に建てられました。



 道場町は、水などの自然環境に恵まれ、古代から多くの人々が暮らしていた古い歴史をもつ町です。そんな町に鎮座する日下部天満神社は、まっさらな外観からは想像できないくらい長い歴史を持つ神社で、社伝では鎌倉幕府成立直後の1200(正治2)年にこの地域の地頭・日下部則康によって建てられたとあります。

 隣の大沢町などにも天満宮がありますが、田園が広がるこの近辺においては、「学問の神様」としてではなく雨をもたらす雷神としての意味合いで菅原道真公を祀っていたように思います。源頼朝公によって1185(文治元)年に設置された地頭が、農業振興のために農民のこころの拠り所としての天満宮を築くことによって領地経営をスムーズに行おうとしたのではないでしょうか(あくまで私見ですが)。




一の鳥居を抜けると二の鳥居越しに拝殿が見えます。



 16世紀半ば頃には、この地域を治めていた松原越前守貞時によって松原城が築かれ、領地内の総鎮守とされた日下部天満神社は手厚い庇護を受けることになります。しかし別所長治方についた松原氏は、勢力を拡大してきた織田信長公の勢力と衝突。松原義富公が守る松原城羽柴秀吉公旗下の中川清秀公 ・ 塩川国満公 ・ 山崎家盛公 ・ 池田輝政公に包囲され、一斉攻撃によってあえなく落城の憂き目に会いました。総鎮守だった日下部天満神社にも累はおよび、新たにこの地域の領主となった荒木村重公によって山林以外の神領は没収されてしまいます。1871(明治4)年にはその山林も国に上地されました。




現在の鳥居や拝殿・本殿などは平成12年1月に竣工したものです。



 安土桃山時代、豊臣秀吉公が有馬温泉を大変気に入り、温泉街を復興してたびたび湯治に訪れたことは有名な話です。有馬を訪れた太閤豊臣秀吉公は、しばしば日下部天満神社に参拝し、多くの宝物を寄進をしていったといいます。残念ながら、これらの宝物は1841(天保12)年に起きた火災によって大部分が焼失してしまったそうですが、一見それほど歴史を感じさせない神社にも、想像以上の背景があることに、いつもながら驚きを感じます。



アクセス
・神戸電鉄「道場南口」駅下車、北へ徒歩3分

拝観料
・無料

拝観時間
・常時開放


神戸の神社
兵庫県神社庁神戸市支部
神戸新聞出版センター

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