黒猫様からご質問いただきました。
意外と知られていない話かもしれないので、
みんなで共有できればと思い記事にしてみます。
先生こんにちは
「他人の所有物を利用した表現行為は保護範囲に含まれない」という原則は強力すぎる主張だと思います(急所p141)。
私が国側なら間違いなくそうした主張を展開すると思います。
そうなると、原告や被告人が「違憲」の主張をしようとする場合、パブリック・フォーラム論を説得的に展開しなければ…と思い、
百選はもちろん市川先生の本や蟻川、駒村論文にもいくつかあたってみたのですが、
この「原則を突き崩せる理由」についてははっきりとは書かれてないように思えました
(っていうか、書いてても難解すぎるかもう先の議論に行ってしまっているかどちらかなんだと思いますが…)。
このあたりの議論について、そもそも論から書いてくれている論文はないのでしょうか?
御紹介いただけるとありがたいです。(私の中ではこの原則は針一本通さない完全無敵不動原則として立ちはだかっています。)
あと、よろしければこの議論を理解する上で、とっかかりになるような理由付けも併せて教えていただけるととてもありがたいのですが…
よろしくお願いします。
んー、そんなに難しくないですよ。
まず、パブリックフォーラムと呼べるような
集会所、公道などを自己所有している人は少ないので、
そこでの表現を保護範囲から外すと、
公権力は、ほぼ自由裁量で表現行為を規制できるようになってしまう。
また、公権力が自在に表現行為を規制できるようになることは、
21条1項は想定しておらず、29条の財産権保障規定もそれを踏まえた規定である。
よって、パブリックフォーラムたる性質を持つ財産権について
管理権が制限されるのは、憲法自体の想定であり、
所有者は、それを受忍しなければならないという財産権理論も説得的である。
以上がパブリックフォーラム論の根拠になるでしょう。
意外と知られていない話かもしれないので、
みんなで共有できればと思い記事にしてみます。
先生こんにちは
「他人の所有物を利用した表現行為は保護範囲に含まれない」という原則は強力すぎる主張だと思います(急所p141)。
私が国側なら間違いなくそうした主張を展開すると思います。
そうなると、原告や被告人が「違憲」の主張をしようとする場合、パブリック・フォーラム論を説得的に展開しなければ…と思い、
百選はもちろん市川先生の本や蟻川、駒村論文にもいくつかあたってみたのですが、
この「原則を突き崩せる理由」についてははっきりとは書かれてないように思えました
(っていうか、書いてても難解すぎるかもう先の議論に行ってしまっているかどちらかなんだと思いますが…)。
このあたりの議論について、そもそも論から書いてくれている論文はないのでしょうか?
御紹介いただけるとありがたいです。(私の中ではこの原則は針一本通さない完全無敵不動原則として立ちはだかっています。)
あと、よろしければこの議論を理解する上で、とっかかりになるような理由付けも併せて教えていただけるととてもありがたいのですが…
よろしくお願いします。
んー、そんなに難しくないですよ。
まず、パブリックフォーラムと呼べるような
集会所、公道などを自己所有している人は少ないので、
そこでの表現を保護範囲から外すと、
公権力は、ほぼ自由裁量で表現行為を規制できるようになってしまう。
また、公権力が自在に表現行為を規制できるようになることは、
21条1項は想定しておらず、29条の財産権保障規定もそれを踏まえた規定である。
よって、パブリックフォーラムたる性質を持つ財産権について
管理権が制限されるのは、憲法自体の想定であり、
所有者は、それを受忍しなければならないという財産権理論も説得的である。
以上がパブリックフォーラム論の根拠になるでしょう。
パブリックフォーラムの議論は、
もし公衆の自由な利用に供するという目的で
公物を設定するなら、
そこは表現の自由の場になることを覚悟でやれ。
適正に管理する自信がないなら、
公物をそのように設定するな。
こういう規範ですね。
公衆(パブリック)が自由に使えるというのが「使用目的」となっている場合、その場所がパブリックフォーラムになる、ということは、 【使用目的の画定】はとっても大事なんですね(いまさらですが‥)。
「パブリックフォーラムたる性質を持つ財産権について管理権が制限されるのは、憲法自体の想定であり、所有者は、それを受忍しなければならないという財産権理論」と、
「使用目的」との関係は、
結局、「使用目的」は、その行政財産が「パブリックフォーラムたる性質」をもつかどうか(憲法がその財産利用を受忍することを予定しているかどうか)を判断するためのメルクマール(基準?)になる、というふうに理解したのですが‥これで大丈夫でしょうか?
(でも、この「使用目的」って憲法より下位規範である法令によって定められるものですよね。。それによって上位規範の憲法(財産権)を論じるのってなにか違和感が‥気のせいかもしれません)
公衆の利用に供される目的で利用されるものが
パブリックフォーラムです。
財産権理論からすると、
自らの保有していない財産を用いて表現する自由はなく、
行政もそれを前提に公物を管理できますが、
パブリックフォーラムだけは、
行政も、その目的通りに
公衆に利用させなくてはならないということです。
他方、市役所の会議室のような
公務員が利用することを本来の目的とする
公物については、
パブリックフォーラムではないので、
公衆がそれを利用する権利をもたないことを前提に
行政財産を管理できる、ということです。
ただ一点消化不良なのですが、、
説明中の行政財産利用についての「使用目的」内外のお話と、
「パブリックフォーラムたる性質を持つ財産権について管理権が制限されるのは、憲法自体の想定であり、所有者は、それを受忍しなければならないという財産権理論」(これはパブリック・フォーラムの根拠の記事から引用)のお話とが、どうしてもつながりません。
「行政財産の目的内/外使用」のお話と、「財産権理論」との関係を上手く説明できないのです。どのように考えればよいのでしょうか。
※ひょっとしたら、「財産権理論」は私有財産については妥当しても、行政財産には妥当しない理論なのかも‥
ちょっと周りの友人も含めて混乱気味です。このあたりについてお時間許すときに御教授いただけたら幸いです。
先生の過去問解説(@辰巳)待ち遠しいです。前田雅英先生の刑法過去問解説講義もあるらしく、、勉強になります◎
というのが使用目的だから
その場所がパブリックフォーラムになるのです。
なので
そうでない場所をパブリックに開放せよ
といわれても
そこはパブリックフォーラムではない
という理論になります。
しかし、公物目的外使用の場合にパブリックフォーラムが使えない根拠はどう理解すればよいのでしょうか。「憲法は、目的外使用の場合にまで、他者の行動の自由を受忍することまでは求めていないから」ということなのでしょうか。質問を重ねて申し訳ありません。
一概にはどうのこうの言えません。
松井先生や樋口先生のアメリカ憲法の入門書を読んでみてはどうでしょう?
アメリカのパブリック・フォーラム論とどのように異なるのでしょうか。
デモ行進を道路でするという話のときに、PFの話が出てくることが参考書等をよんでいてありませんでしたので、質問させていただきました。
失礼しました。
例の三類型を頭に置いているかはよくわからないところです。
ただ、デモ行進許可制などについては、
当然表現の自由が問題となるという前提で記述する
法廷意見が多いので、
道路や公園は、たぶん、日本の最高裁もPFとしていると思います。
ただ、道路や公園を指定的PFの一種ととらえているのか
伝統的PFととらえているのか、
はたまた全く別の類型論なのか、
は現段階では、解釈にゆだねられています。
パブリックフォーラムに当たらなければ、他人の管理権のあるもの(道路、公園)を利用した表現は保障されないということですよね?
そうしますと、PFの3類型のうち、僕の記憶が正しければですが、最高裁は指定的パブリックフォーラムしか認めていなかったように思います。そうしますと、デモ行進のために道路を使うまたは集会のために公園を使うといったような場合に、表現の自由の保障から外れてしまうのではないかと考えてしまいました。
これはおかしいでしょうか?
しかしなんというか‥パブリックフォーラムの文献漁ってて思ったんですが、憲法って(いや他の法律も皆そうですけど)外国の学説や議論を日本に輸入してくるケースって多いですよね。逆に日本の議論を外国が輸入するなんてことはあるんでしょうか。こっちも気になります。
いくつか種類があるということです。
恐縮なのですが、この論拠と、パブリックフォーラム3分類である「伝統的」「指定的」「非」パブリックフォーラム、と、どのように関連づけて考えればいいのでしょうか。いくつか論文を見た限りだと、3分類は、パブリックフォーラムの論拠とは異なる次元(内容規制は許されないとか、主題規制は許される余地あり、とか議論されてますので‥)の話なのかな、とは思ったのですが。