木村草太の力戦憲法

生命と宇宙と万物と憲法に関する問題を考えます。

ご質問について

これまでに、たくさんのご質問、コメントを頂きました。まことにありがとうございます。 最近忙しく、なかなかお返事ができませんが、頂いたコメントは全て目を通しております。みなさまからいただくお便りのおかげで、楽しくブログライフさせて頂いております。これからもよろしくお願い致します。

タイムマシン

2011-09-30 15:28:07 | お知らせ
一生懸命書いた論文がありますので、紹介します。

「平等権 誰の何に関する何のための平等か」

長谷部恭男編『人権の再定位3 人権の射程』法律文化社所収です。

目次は次のような感じです。

Ⅰ はじめに

Ⅱ 平等権の保障根拠
 1 保護範囲・保障の程度
 2 効果
 3 区別されない権利の保障根拠
 4 <平等>の基礎
 5 小括 平等権の保障根拠

Ⅲ 平等権の基礎としての共感
 1 コンピュータ将棋
 2 「信教の自由」
 3 「祖父のパラドクス」
 4 想起過去説
 5 過去言語作成説
 6 <他者>と人格の「根源的偶有性」
 7 自己言及的定義の不可能性
 8 共感

Ⅳ おわりに

山元先生に、「いやー、後半暴走してましたねぇ」と喜ばれました。
一生懸命書いたので、みなさまもぜひ読んでみてください。

前半はきっちり法解釈論をやっているのですが、
途中から、社会学者の大澤真幸先生の議論を参照しながら、
タイムマシンについて語ります。

おそらく、法学界初のタイムマシンに関する本格的考察論文だと思います(おおいばり)。

第四問 メタスコ星人の主張適格?

2011-09-29 11:21:15 | Q&A 急所演習編
過度の広汎性ゆえに無効の法理について、
はちみつボーイさんと、アジシオ太郎さんとの間で
次のようなやりとりがされておりました。


過度の広汎性ゆえの無効 (はちみつボーイ)

 「急所」p166に、
 「過度に広汎な法文は、違憲部分と合憲部分を明確に区別できないため、
 結局あらゆる行為との関係で不明確な法文である」との記述があるのですが、
 いまいちピンときません。

 いかに違憲部分が広汎であろうと、
 合憲部分の中心に位置付けられるような行為との関係においては、
 やはり明確であることに変わりないように思うのです。

 ご回答よろしくお願いします。


はちみつ!!! (アジシオ太郎)

 おう。
 アジシオ太郎だ。

 本当にそうかな?
 例えば、『急所』にでてくる三人集会条例だと
 「合憲部分の中心に位置付けられるような行為」って、
 何になるんだ?


アジシオ太郎様へ (はちみつボーイ)

 そうですねえ…、たとえば
 「あるD高校の学生30名が、近隣に位置するK高校の学生に暴行を加える計画で、
  凶器を所持し、決起集会を行った」という事例はどうでしょうか。

  この集会行為が「三人以上の集会をした者」に当てはまることは、直知可能なほどに明確でしょう。
  また、この行為に刑罰を科すことは、十分に正当化できるでしょう。
  私の言う「合憲部分の中心に位置付けられる行為」とは、このような行為を想定しました。


はちみつボーイへ (アジシオ太郎)

 おう。ありがとう。
 では、もう少し質問させてくれ。

 三人集会条例の適用対象を
 はちみつの指摘する集会に限定する
 合憲限定解釈ができるか、考えてみてくれ?

 もし、できないと思うなら、
 三人集会条例のどの部分が合憲なのかを、
 明確な定式で示してくれ!


アジシオ太郎様へ (はちみつボーイ)

 うーん…、
 まず、法文の意味を限定するうえで、
 なんの手がかりも認められない以上、合憲限定解釈はなしえないでしょう。

 合憲部分の定式化については、たとえば、
 急所p165のように「周囲の者に極端な恐怖心を生じさせる態様での三人以上の集会に刑罰を科す部分」としてみてはどうでしょうか。
 私の挙げた決起集会がこれにあてはまることは、十分明確だと思います。


はちみつボーイへ (アジシオ太郎)

 おう。恐怖心な。
 
 では、最後の質問だ。
 三人集会条例の合憲部分って、これだけか?
 例えば、凶器を隠し持った人々の集会は?
 公務員の政治活動のための集会は?
 管理者の許可なしにやった公民会での集会は?

 三人集会条例の合憲部分を全部書き出してみてくれ!

アジシオ太郎様へ (はちみつボーイ)

 思いつくままに書き出すと…
  ・全裸で行う集会
  ・薬物を使用するための集会
  ・深夜に大音量で行う集会
  ・喧嘩をして腕っぷしを競うための集会
  ・許可を得ずに公道に座り込む態様での集会
  ・人の名誉を毀損するための集会
  ・人の営業を妨害するための集会
  ・テロ活動の実施を呼びかけるための集会
  ・未成年者が飲酒をするための集会

 うーん、僕の乏しい想像力でもこれだけのものがでてきました。
 他にもきっとたくさんあると思います。
 合憲部分を画定するのって難しいなあ…


さて、このやりとりに示されているように、
「三人以上の集会を罰する」条例の合憲部分を画定することは、
ほとんど不可能です。

さて、部分無効の処理をする場合、
違憲部分を包摂する明確な定式  又は
合憲部分を表示する明確な定式  を表示し、
法文のどの部分が合憲で、どの部分が違憲か、明確に画定する必要があります。
というのも、それができないと、法文の意味を不明確にしてしまうからです。

しかし、三人集会条例のような条例の場合、
はちみつさんがおっしゃっているように、
違憲部分が、あまりにも多く、
それを明確に表示することはほぼ不可能です。

また、逆に
合憲部分を表示する明確な定式を示すこともできないでしょう。

こういう場合、部分無効の処理をするとしたら
<社会的に許容される集会に適用される部分が違憲>とか、
<悪質な集会に適用される部分のみが合憲>といった
定式での処理にならざるをえません。

もちろん、こうした処理が可能なら
この条例を、この暴徒集会のような<悪質な集会>に適用することは合憲だから、
という理由で、有罪の結論を導けるでしょう。

しかし、これは「悪質な集会は罰する」という法文を適用しているのと等しくなります。

そして、「悪質な集会は罰する」という法文は、明らかに不明確でしょう。

よって、こうした過度に広範な法文に依拠した処罰は
不明確な法文による処罰と同義なのです!!

さて、こう考えてくると、
過度に広範な法文というのは、

<その事件を起こした者との関係では合憲だが、
 萎縮効果がひどいので第三者との関係で違憲>

なのではなく、端的に

<不明確な法文の一種だから違憲>

と考えるべきでしょう。

こんなわけで、最近の学説は、過度広汎性の場面で
第三者の主張適格を論じることは必要ない、
と言っているわけです。

びっくりです。
なんと、昔華やかだった第三者の主張適格の論点は、
今は昔の学説になりかけているのです。

さて、そういうわけで、
「過度に広範な法文」というのは、
正確に言うと

「法文だけを独立に読めば明確(三人集会)だが、
 憲法と併せて読んだ場合、
 違憲部分が明確に確定できないため
 不明確になってしまう法文」

なのですね。

はちみつさま、アジシオさま、ありがとうございました。

練習でお金をとるのは・・・(3・完)

2011-09-28 15:14:41 | 憲法学 判例評釈
自由権の重要なドグマとして、

給付の削減・停止は、自由権の制約にあらず

というものがある。

例えば、会計報告の義務を怠ったために、
文部省研究補助費の支給を停止された学者がいたとする。

近代国家のベースラインは、国家がなんら活動しない状態
つまり、自然状態におかれる。
研究補助費の停止は、国家の積極的活動状態(給付)から
自然状態に回帰しただけであり、
(そのことの政策的当否や、自由権以外の憲法上の権利との
 関係は別にして)自由権の制約にならない。

他方、会計報告の義務を怠ったため、
刑罰を科された学者がいたとする。
刑罰は、国家の積極的行為なので、
これは自由権の制約になる。


・・・。

さて、ここまでは自由権の常識である。

それでは、公務員に懲戒処分を課すことは、
果たして、自由権の制約になるのだろうか?

懲戒処分とは、公務員の身分をはく奪(懲戒免職)したり、
給付される公務員の身分を、
「減給」された身分や、「戒告歴」付のものに縮減する措置である。

公務員の身分は、国の積極的な措置、給付措置の一種として
与えられるものであり、
それを縮減・はく奪することは、実は、
給付の縮減・停止の性質を持つ。

と、いうことは、
国歌を歌わなかったことを理由に、懲戒処分を課すことは
その政策的当否や他の法的権利との関係はともかくとして、
とにかく、自由権の制約にならない。


このことからすれば、
一連の不起立懲戒訴訟で、最高裁が
「思想良心の自由」の「直接的制約」を一切認定していないのは、
当然のことである、ことが判明する。


とすれば、一連の判決を、
「この事案は思想良心の自由侵害の事案だ」という思い込みから、
批判するのは、的外れだということになる。

そのような批判は、最高裁にとっては、
リハーサルとリサイタルを勘違いして
「練習でこんなにお金をとるのはいかがなものか」とする
的外れな批判にしか聞こえないだろう。

もちろん、だからといって最高裁判決の結論が正しい
ということにはならない。

以上の議論が示しているのは、
不起立懲戒訴訟で勝利するには、
「思想良心の自由」ではない、法律構成が必要だ、
ということである。


と、いうわけで、ここから先の話に興味のある方は、
ぜひ、

蟻川恒正「対抗を読む(3)」法学セミナー675号 2011年3月号

を読みましょう。

バラード四番

2011-09-26 14:52:34 | 音楽
知人の分類によれば、ショパンのバラードに関する派閥は
四つあるという。

ショパンは、バラードを四曲しか書いていないので、
各曲に、派閥、と呼べるような熱心なファンが存在するということになる。

しかも、バラード派は、さらに、
ルービンシュタイン会、ミケランジェリ会(主として1番派の一部)、
ツィメルンマン会、ポリーニ会、ルイサダ会と
細分化していく。

もちろん、バラード派の外には、さらに
マズルカ・スケルツォ・エチュード・ワルツと
大派閥が控え、その外には、
「そもそもショパンはチャラい」という三大B派までいる。



さて、私は、しばらく激しい抗争を忘れていたのだが、
今日、ふいに、第四番派であることを、思い出した。

この曲は、やさしく包み込むような旋律で始まる。
この旋律は、ここで終わってもおかしくないような
ろうそくが消え入る時のような余韻を残す旋律なのだが、
曲は、ここでは終わらず(冒頭の旋律なので当たり前だ)、
その余韻を膨らますように展開して行く。

ショパンのバラード派閥を分類した知人によれば、
この第四番は、「謎めいている」。

まさに、
消え入るろうそくが残した謎(どんな謎だ?)に
思いを巡らせるように、後の部分が展開し、
さらに謎は大きなものになっていく。

そして、聞き終わった後、
この曲は、
明晰な言葉で説明できるような思考は一切していないのに
深いことを考えてしまった・・・、
という奇妙な感覚を残す。

まるでボルヘスの短編ではないか。


と、いうわけで、興味を持たれた方は、
ぜひ、ショパンのバラード第四番ヘ短調Op.52を
聴いてみて下さい。

誰のピアノで聴いても損しない名曲ですが、
個人的には、
ただでさえ謎めいている曲が、さらに謎めくコルトーから入るより、
やはり、メジャーなルービンシュタイン盤から
入るのをお勧めします。

もし、「これこそ!」というOp.52のお勧め盤がありましたら
ぜひ、教えてください。

法令の審査方法(5)

2011-09-23 18:36:26 | 憲法学 憲法判断の方法
洋菓子キングで、至福のモンブランを食した後、
富士見台公園を散策することになった。
ここは、我々の勤務する首都大学東京南大沢キャンパスに至る
大きな丘を公園にしたもので、その名の通り富士山を見る名所である。

ツツミ先生は、公園に入ると、今日の富士山に目をやり、
「なんだか、今日の富士山は堅そうだな」と言った。
彼の認識では、富士山は、
日によって堅くなったり柔らかくなったりするらしい・・・。


ツ「それで、さっきの話だけどさ、
  違憲立法審査の対象になる法命題ってのは、
  当事者の主張により定まるんじゃないのか?」

私「うーんと、それは半分正しくて半分正しくない。
  憲法上の権利は権利なので、権利侵害の訴えがあれば、
  裁判所は、その訴えを裁断しなければならない。」

ツ「さっき話していた憲法上の権利に関する裁判を受ける権利保障
  の帰結か。
  でも、なんで、これが半分なんだ?」

私「裁判所は、憲法上の権利の訴えがあれば、確かに、
  その当事者に適用される法命題の違憲審査をしなきゃいけない。
  だけど、審査対象の法命題について、
  どのくらいの抽象度で審査するかは、裁判所の判断事項だ。」

ツ「そりゃ、どういうことだい?
  話が抽象的すぎて、良く分からない。」

私「じゃあ、具体的に話そう。
  いいかい。例えば、政治活動やって逮捕された公務員Xさんがいたとしよう。
  行為は選挙ポスター張り、勤務時間外・公務員としての地位利用なし、
  仕事は現業だったとする。」

ツ「わかった。それに、Xさんは42歳の男性、髪型は坊主に近い短髪で、
  趣味は、切手収集ということにしとこう。」

  ツツミ先生は、事例問題を解く場合、Xや訴外Aの詳細設定を妄想するタイプである。
  家族法の試験のときには、その想像力の翼を躍動感いっぱいに羽ばたかせ、
  あまりにニヤニヤしたため、試験監督員に注意を受けたくらいである。

私「それはそれとして、このXさんとしては、訴え方は幾つかある。
  ①「そもそも公務員の政治活動禁止一般がおかしい」
  ②「現業公務員の政治活動禁止はおかしい」
  ③「現業公務員が勤務時間外に行う政治活動禁止はおかしい」
  などなどだ。
  これらは、自分に適用される法命題について、
  この抽象度で審査してくれ、という要求になる。」

ツ「そうだな。裁判所は、それに答える義務がある。」

私「いや、必ずしもそうではない。
  Xさんが主張できるのは、自分に適用される法命題の違憲だけ。
  裁判所としては、
  Xさんに適用される最も抽象度の低い、
  最小単位の法命題が合憲だと判断できれば、その事案は処理できる。」

ツ「ん?最小単位の法命題って何だ?」

私「前に、それ以上は分割できない原子法命題って概念を話したことがあるだろう。 
  例えば、『政治活動をした公務員には、刑罰を科す』という法命題は、
  『政治活動をした現業公務員には、刑罰を科す』と
  『政治活動をした非現業公務員には、刑罰を科す』という二つの命題の束だ。 
  そして、それぞれの法命題は、勤務時間の内外、公務員の地位利用の有無、
  行った行為がポスター張りか、ビラ配りか、といった要素により、
  どんどん細かく分割できる。」

ツ「ああ、公務員の髪型とか年齢とか、配ったビラの枚数が奇数枚か偶数枚か、
  っていう要素でも分割できるよね?」

  なるほど。髪型はこの話の伏線か。
  私は感心した。

  しかし、ツツミ先生は、そのとき、偶然にもカブトムシを発見し、
  それに喜ぶ姿を見て、その感心の気持ちは消失した。
  いいか、そのカブトムシはメスだ。
  メスのカブトムシは男の子の心をおどらせるものではない。

私「と、いうわけで、無限の要素を書き尽くしたときに得られるのが
  原子法命題というわけだね。」

ツ「いやー、テツガク的だ。」

  このテツガク的という形容詞は、
  <よくわからんけど、なんかムズカシそうな感じ>であることを表現する形容詞であり、
  学問としての哲学により得られたものを表現するものではない。
  「テンモンガク的な損害賠償額」の「テンモンガク的」に近いニュアンスである。
  いくら10兆円の賠償額でも、太陽の観測からは損害賠償は得られない。

私「そう。まさにテツガク的概念だ。原子法命題を記述することなんて、
  実際にはできっこない。ただ、概念として想定されるっていうものだね。」

ツ「線分に含まれている<面積のない点>を、実際には書けないのと一緒だな。」

  そう。その通り。
  数学が出来る奴は、物分りが良くてよい。

  ちなみに私の友人のトミナガは、中学時代、
  夏休みの自由研究の課題に、
  「厳密に数学的意味での点(要するに面積のない点)を
   えんぴつで書くことに挑戦」を選択した。
  そして、当然のように8月20日に挫折した。
  せめて、7月中に挫折してほしいというものである。

私「でだね、当事者が裁判所に要求できるのは、
  <自分の行為が包摂される原子法命題の合憲性審査>であって、
  それ以上の審査は、要求できない。」

ツ「例えば、Xさんは現業公務員の設定なので、
  Xさんが『公務員の政治活動の禁止一般が違憲や』って訴えても、
  裁判所は

  『(非現業公務員の規制が違憲かどうかは知らんが、少なくとも)
   現業公務員の政治活動の禁止は合憲だ(違憲だ)』

  って言えるならXさんを有罪(無罪)にできるだろ、ってこと?」

私「その通り。
  だとすれば、Xさんが非常に抽象度の高い法命題の審査を要求したとしても
  裁判所は、Xさんの要求する抽象度で審査する必要はなくて、
  Xさんの行為を包摂する法命題の合憲性を審査すれば、
  Xさんの権利主張に応えたことになる。」

ツ「ほー。そうかね。そうだろうねえ。」

  ツツミ先生は、満足そうだった。
  ここまで非常によい流れで来ている。

私「だから、Xさんの違憲審査の要求ってのを正確に定式化すると、
  『この行為を包摂する原子法命題』の審査要求ってことになるわけだね。
  これをX原子法命題とかと呼んでおくか。」

ツ「ふむふむ。でもだよ、原子法命題ってのは、
  面積のない点みたいなもんで、実際にそれを書き記すことは不可能に近いし、
  裁判所が、それを審査する場合には、
  それよりも抽象度の高い法命題の審査をせざるを得ないんじゃないか?」

私「まさにその通り。だから、裁判所としては、
  X原子法命題を包摂する法命題のうち、どの位の抽象度のものを
  審査対象とするか、決めないといけない。」

ツ「ええと、その抽象度の選択は、どうやって決まるの?」

私「さっき、言ったように、当事者がその選択に要望を述べることはできるが、
  権利としてこの抽象度で審査をしろと要求することはできない。
  まさに、裁判所の裁量に委ねられるってことになるんだろうね。」

ツ「ええー!」

私「いや、別に、これは変なことじゃないんだよ。
  民事訴訟でも、裁判所が、その事案の解決には直接関係のない
  法解釈を『サービスで』というか『余計なおしゃべりとして』というか、
  とにかく、論証することは稀じゃないだろ。」

ツ「うーん。そうだな。」

私「そうなんだよ。
  それに、民事訴訟でも、事案の解決のために必要なのは
  原子法命題の画定であって、
  それ以上に抽象的な法命題の宣言は、事案解決に必須のものじゃあない。」

ツ「ふむふむ。そうか。
  1『登記がないと第三者には対抗できません』っていう命題も
  1.1『髪型が七三の人は登記がないと第三者には対抗できません』と
  1.2『髪型が七三以外の人は登記がないと第三者には対抗できません』っていう命題に
  分解できる。
  原告の髪型が七三の場合、法命題1.2が妥当しているかどうかは、
  その訴訟にとって重要ではない。
  だから、『登記がないと第三者に対抗できません』っていう命題を唱えて、
  つまり、1.1も1.2も妥当してますって宣言して、
  その訴訟を裁断するのは、実は、余計なおしゃべりを含んでいるってことか。」

私「そういうことだね。」

ツ「そうか。裁判所は『髪型が七三の人は・・・』って解釈するだけで足りるのか。」

  もっとも、だけで足りる、という割には
  やってる作業は複雑でややこしくなっている気もするが。

私「でも、そういう余計なおしゃべりは、
  別に、やっちゃいけないってわけじゃない。
  むしろ、具体的な訴訟をきっかけに、
  ある程度抽象的な法命題を画定するのは、
  裁判所の責務の一つだと思われてるくらいだ。」

  ビバ!法の支配。

ツ「確かに。一々、原告が切手マニアかどうか、チェックして
  これは切手マニアについての事案です、とかっていう裁判所なんて
  ヤだなぁ。」

  ・・・当事者の趣味を一々妄想するのは、君の趣味だ。ツツミくん。

ツ「じゃあさ、いよいよ核心という気がするんだけど、
  文面審査、適用審査とかって、何に着目した分類なの?」

  こうして話はいよいよ切手マニアの世界に突入である。