木村草太の力戦憲法

生命と宇宙と万物と憲法に関する問題を考えます。

佐渡先生のオフィスアワー(3・完)そして居酒屋にて(1)へ

2012-01-26 05:36:48 | Q&A 採点実感
私と佐渡先生との間に、微妙な沈黙がながれていた。
そして、沈黙を破ったのは佐渡先生であった。

「アナタは、
 違憲審査基準論と比較考量論の違い、わかってる?
 その辺がごちゃごちゃしてるから、
 私のいってることが理解できないのよ。

 まあ、イイわ。アナタにすこし宿題を出してあげましょう。」

 ・・・。私は一応教員なので、呼び出されて宿題を出されるとはおもわなかった。

「今回の答案、違憲審査基準での書き方と比較考量論での書き方、
 少し考えていらっしゃい。
 そしたら私の言っていることわかるから。」

 いや、わからないわけではないのですが、
 と言おうとした時、ノックの音がした。

 何かと思うと、フジイがさらに質問をしたいといって
 オフィスアワーにおしかけてきたのである。
 
 どうやらフジイは、違憲審査基準に関する思いを伝えたくて、
 再びやってきたようであった。
 フジイの手には、ペリイやらセイヤーやら、
 アメリカの違憲審査基準に関する論文がある。

 どうやら、この男はかなり根性のはいった審査基準論マニアらしい・・・。



 私が佐渡先生の部屋から追い出され、事務を終え、
 さらに宿題に途方に暮れ法科大学院を出ると、すでに暗かった。
 気晴らしにウチの法科大学院関係者御用達の居酒屋「法の女神」に行くことにした。

 この店の前には、大きな法の女神テーミス像があり、
 周囲を威圧している。

 店の中に入ると、憲法の神様とツツミ先生が飲んでいた。

 連中は、盛り上がっており、私に気づく様子もない。
 観察をしていると、なんと私が佐渡先生に出された宿題の話をしていた。
 ・・・。佐渡先生のオフィスアワーは中継されている。
 それを見ていたのだろう。

「あのう、神様、佐渡先生がああだこうだと言っていた
 違憲審査基準と比較考量ってどうちがうんですか?」

 ツツミ先生が聞いた。

「わはは。あれはの、要するに、
 重量計を使った比較と天秤をつかった比較の違いなんじゃよ。」

 憲法の神様は、赤ら顔に、ネクタイの鉢巻、片手にビール瓶という
 コント以外では見たことのない酔っ払いの姿をしていた。

 ちなみに、法の女神は、無表情に、目隠し、片手に刃物という 
 これは実際にいたらほとんど通り魔の姿をしている。

「はあ。重量計ですか?」

「そうじゃ。よいか、まず、憲法上の防御権というのはの、
 そこで保護された行為を、比例原則に反して規制されない権利
 とまあ、そういう権利じゃ。」

 ふむ。正しい定義だ。確かに憲法の神様である。

「比例原則っちゅうのは、要するに、
 規制によってえられる利益が、うしなわれる利益を下回ったらいかん
 という原則じゃな。」

 はあ。そうですねえ。

「さあ、ツツミ、二つのものの重さを比べるには、
 どんな方法がある?」

「うーん、重量計をつかって一つ一つの重さをはかって数値を比べる方法と
 天秤の両皿に、同時にのっけて重さを直接比べる方法がありますね。」

 ツツミ先生は、さきほど神様の言ったセリフをほぼそのまま繰り返した。

「わはは。よくしっとるのう。さすがじゃ。」

 いや、アンタ、さっき自分でいったじゃん。
 どうやら神様は、だいぶ出来上がっているようである。

「その通り。比較考量というのは、秤を使った方法で
 制約された権利を特定し、また規制により得られる利益も画定し、
 両者を比較する、という手法じゃな。」

 ふむふむ。

「それに対して、違憲審査基準というのはの、重量計のメモリみたいなもんじゃな。
 違憲審査基準論で事案を処理する場合、まず最初に
 憲法上の権利の制約がどの程度、重いかということを計測する。

 その結果、重たい規制だ、ということになると、
 失われている利益の値が重くなるから、
 それを正当化するための値が高くなる。

 このように、
 ①失われる権利がどの程度強く規制されているか特定する。
 ②その権利の価値をはかる。
 ③得られる利益の価値を測ることで、
  ②でたたき出した数値を上回るかどうか計測する。
 これが、違憲審査基準、重量計をつかった比較考量じゃな。」

 違憲審査基準の定義は、
 防御権の制約がある場合、それが正当化可能であるかどうかを判断するための基準 
 である。

 生存権の要件である「最低限」かどうか、の判断基準や
 国家賠償責任の免除制限を正当化できるかどうか、の判断基準も
 違憲審査基準ということがあるが、
 それはせまい意味での違憲審査基準には該当しない。

 神様の説明は、まあ妥当といえるだろう。
 (このような評価をすることが不遜といえば不遜だが)

 ツツミ先生は、ここでつっこみをいれた。

「あのう?目的手段審査で出てくる
 必要性とか関連性というのも比較考量の要素なのですか?
 なんか、目的の重要性=得られる利益の重要性っていうのが、
 比較考量の要素だというのはよくわかるのですが。」

「あたりまえじゃ。
 よいか、どんなに立派な目的を掲げていても
 その目的を達成できない規制からは、
 得られる利益『0』、ゼロ、ゼロ、ゼロじゃ。
 ちなみにドイツ語で言うと、ヌル。
 ヌルヌルヌルヌルヌルヌルじゃ。」

 やはり、かなり出来上がっている。

「それに必要性がないっちゅうのは、
 要するにLRAがあるっちゅうことじゃな。

 よいか、LRAがあるということは、
 そこで得られて居る利益は、
 その規制によらないと達成できない利益でないということになり、
 その規制から得られる利益とは認定できない。
 必要性のない規制から得られる利益もやはり
 ヌル!ヌルヌルヌルヌルヌルじゃ!!」

 発言はほぼ変態だが、言っている内容はおおむね正しいだろう。

 厳しい審査基準を設定するとは、
 失われるものが多い規制なので、
 それを正当化するには、これだけ高い目盛をたたき出す必要がありますよ
 (=要件を満たす必要がありますよ)、という意味なのである。

 したがって、違憲審査基準の設定の際に参照するのは、
 制約される権利の価値および規制の厳しさという、
 制約される側の事情だけということになる。

 得られる利益を審査基準設定の際に考慮するのだ、
 と平気でおっしゃる方もいるが、
 それは違憲審査基準の定義を十分に理解していないことを吐露しているようなものである。

「あのう、しかし、秤にしても重量計にしても
 結果はいっしょになるはずです。
 なんで、憲法学者は重量計を使えというのでしょう?」

「わはは。それはの、単純に秤にのせると、
 なんかこう、公権力が主張する利益の方が重要そうに見えるし、
 個人の権利の側はワガママっぽく見えるからじゃ。」

「ああ、確かにそうですね。
 今回の佐渡先生の問題でも、原告主張の利益は一部のネット産業の利益で
 保護される利益は、広く国民一般の利益に見えます。」

「そうじゃろうそうじゃろう。
 じゃが、憲法上の権利を甘く見てはならんのじゃ。
 それを保護することに大きな価値がある権利じゃからの。

 じゃから、あえて対立利益(規制によって得られる利益)を無視して
 そこで侵害された利益だけを見て、価値を評価する。
 対立利益を目に入れちゃうと、権利の価値を過小評価しがちになって、
 目盛がゆがむわけじゃな。 

 表現もそうで、この規制国民一般の利益になるな、ちゅうことを一回忘れて
 この行為が、表現と呼ばれる他の行為と同列に扱えるか、
 をとうわけじゃ。」

「なるほどなるほど。そうすると、他の表現と同列に扱えれば、
 厳格審査をしていい、ということになるわけですね。」

 神様は酔っ払いながらも、適切な解説を続けた。

「わはは。そこまではよく分かりましたよ。それでは、聞きますが、
 今回の問題、違憲審査基準論で解いて見てくれます。」

「ふーむ。やってもよい。やってもよいが、
 この事案の典型的適用例のあり方が問題じゃな……。」

神様はこういうと、日本酒を注文した。



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42 コメント

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参加したい! (mona)
2012-01-26 13:19:58
すごく楽しそうです!

これからメンバーが増えるのかどうか楽しみです。

ツツミ先生は、全然、酔ってませんね。
返信する
ヌルヌルヌル (ララオ)
2012-01-26 13:38:09
憲法の神様がホグワーツのダンブルドア校長で再生されます。笑

違憲審査基準論と比較考量論の違い…深いです。
次の記事も読み直して、だいぶ整理できました。

新春恒例お好み対局(1)
http://blog.goo.ne.jp/kimkimlr/e/fb53d0b9ec4176e6c935d17b0b0948aa

典型的適用例はこれから考えます。
返信する
違憲審査基準等について (ルーメン)
2012-01-26 14:03:56
はじめまして。
急所&ブログを読ませていただいております。
ブログでの貴重なご意見毎回ありがとうございます。

4つ質問させてください。

1 審査基準について

審査基準定立に際し、反対利益の検討をすることは正しくないと僕は思っております。
先生の本日のブログの内容でそのように書かれており、安心しました。
表現の自由の制約の正当化に際し、表現の自由の重要性は、反対利益がいかなるものであっても、変わらないはずですし、反対利益によって、緩やかな基準になるということはおかしいと思います。

反対利益の検討に際しては、目的手段審査の内容面において考慮すべき事情であり、審査基準設定には関係ないと思います。
しかし、友人や合格者、大学院のAA(弁護士のアドバイザー)の中には、審査基準定立の際に、反対利益を検討することが必要という方が多いです。理由としては、問題の個別具体的な事情を拾いやすいからというもので、一理あるようには思い、試行錯誤しています。

表現の自由VSプライバシーの場合を考えると、①表現の自由は保護される
②制約がある
③制約が正当化されるか
という三段階審査をする場合に、③の審査基準定立の際に反対利益を考慮しないとすると、厳格な基準を定立し、目的がプライバシーの保護、手段が・・・というような論述になると思います。

審査基準の定立の際に反対利益を検討すると、表現の自由も重要、プライバシーも重要⇒比較考量で決めようということになると思います。

そうすると、結局同じような検討をすることになると思うのですが、このような理解は誤っているでしょうか。

上記記述は佐渡先生から滅多打ちにされるような記述になっておりますが、ご検討いただけるとありがたいです。

2 適用違憲について
急所&ブログを読ませていただき、適用違憲についての理解が混乱しています。
法律が合憲でも、本件でXに適用する限りで違憲ということが適用違憲であるという理解をしています。

原告が処分の取り消し訴訟をする際に、違法事由として憲法上の主張をする際に、本件処分は裁量の逸脱濫用であるという主張をすることがあります。
憲法の試験ですから、憲法上の主張をしなければいけないと思うのですが、裁量逸脱濫用の主張の際には、
①被告に裁量がある
②しかし、無制限ではない、本問では、原告の人権を制約するものであるから、裁量は狭くなる
③本問では裁量逸脱濫用である

という論述になると思うのですが、いかがでしょうか。法令が合憲である以上、それを機械的に適用することが原則として許されるべきであると思います。しかし、本件では適用したら裁量逸脱濫用になるという構造なのかなと・・・。
適用違憲は結局のところ裁量逸脱濫用の話と同一になるという理解は誤っているでしょうか。

3 佐渡先生について

下記はあくまで佐渡先生についての記述です。
佐渡先生は、憲法の争点(佐渡版)において、公共の福祉について記述されております。そこで、国籍法違憲判決を挙げ、個別具体的な検討がなされていると評価されております。
そこで、国籍法違憲判決の全文を読み、解説や、評釈を読みました。
多数意見は、立法事実を詳細に掲げ、合理性の有無を判断しております。そして、遅くともH15年時点では旧国籍法の準正要件が合理性を失っていると、判断しています。このような立法事実を個別具体的に判断する手法が、評価されるとすると、それこそ、何を言っても説得力があればOKということになると思うのですが(実際に3反対意見は立法事実を検討して多数意見に反対しています)、佐渡先生はこのような個別具体的な検討をしてほしいと考えているのでしょうか。
法令違憲の際には、立法事実がとても重要になると思っている次第です。

4 佐渡先生の違憲審査基準の用い方について
佐渡先生の意見を素直に聞くと、原告の個所で、違憲審査基準を用いることを否定していると思います。
そこで、最近の、君が代関係の訴訟の1審原告代理人の主張をいくつか読んでみました。
確かに、原告代理人の主張としては、審査基準のあてはめをしていないです。
すなわち、要約すると
①思想良心の自由は絶対無制約⇒制約は違憲
②仮に、公共の福祉による制約があるとしても、極めて厳格な審査基準(原告主張のまま)によるべきであり、許されない(あてはめなし)
③また、公務員であるから、一定の制約があるとしても、思想良心の自由の制約は許されない

という内容です。

佐渡先生は、審査基準とは裁判所の恣意的な人権制約を防ぐためのツールであって、裁判所のみが用いるべきであり、裁判所が、原告の意見・被告の意見・過去の判例を考慮して本件ではこのような審査基準を用いるべきで、それにあてはめるという作業を求めているのではないでしょうか。
もちろんこのように考えると、原告の主張では、反対利益についての検討が薄くなりますが、やむを得ないのではないかと思います。

以上、長文になり、まとまりのない文になっていると思いますが、ご検討いただけると幸いです。
よろしくお願いいたします。
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Unknown (K.s)
2012-01-26 14:14:54
そうですよねそうですよね!

単純な比較考量じゃまずいっていって違憲審査基準の話してるのに、違憲審査基準たてるまえに比較考量して審査基準たててどうするのよ!って話ですよね。

これ、以前に弁護士の先生に比較考量したら矛盾してませんかって聞いたら、実務はそんな柔軟性の欠ける考え方はしません(!?)って諭されたことがあります。 ちょっと傷つきましたけど。。

以前に松井茂記先生が仰ってて、今回は木村先生にこういう形で詳しく筋道たてて解説していただけたので、もう迷いなしってかんじです。
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Unknown (Jiro)
2012-01-26 14:25:55
なるほど、重量計と天秤、抜群の比喩ですね。
さすがは、神様です。酔っ払っていても的確です。(不遜)

神様が典型的適用例をどうお考えになっているのか非常に楽しみです。
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Unknown (TM)
2012-01-26 15:00:25
初コメです。

審査基準設定の際に対立利益を考慮して基準を緩めることがおかしいという点について、とてもわかり易く、理解できました。
素敵です。

では、名誉棄損やわいせつ表現の考え方と同じように、プライバシー侵害を伴う表現として権利の重要性が低いとされることから、結果として厳格審査をすべきでないと考えることはできるでしょうか。

そうすると審査基準の設定段階で対立利益を考慮すべきでないという理解を潜脱することになるのではと思ったりしてしまいました。






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ルーメンさんの投稿に関連 (4千番)
2012-01-26 16:52:19
第一
文面審査(不明確性)と法令違憲の目的審査との関係及び処分審査で規定文言に司法実が反していないと考えたことと明確性の原理との処理方法如何にはやくいきつくことを,期待しております。

第二(ルーメンさん関連)
違憲審査基準はたしかに用いにくいでしょう。
法律の規定に違憲性はなのですから。
ここはやはり,判例にしたがうしかないと思います。

参照
立命館大学の須藤先生(行政法)のコメントに,
~誤解を恐れずに言えば,行政法研究者にとって「違法である」という結論を得るためだけであれば,憲法論を展開する必要性に乏しいのである。それでは,「違法である」と言うために「違憲である」と言わなければならない事例,換言すれば,憲法論を展開しなければ処分は適法という結論に至るような事例とは,どのようなものがあるだろうか。想定される一例として,最高裁平成19年2月27日第三小法廷判決(君が代ピアノ伴奏事件)のような公務員の懲戒処分の事例が挙げられる。しかしながら,それは同時に,比例原則が違憲審査基準として機能することが困難な事例でもある。~

http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/law/lex/08-5/sutou.pdf (P274~)
注:ネット上に公開されているので引用しました。

君が代の起立行為強制と斉唱行為強制にもあてはまろうかとも思います。
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Unknown (冥王星)
2012-01-26 20:28:36
またも,ショッキングな記事が・・・

ところで,そうすると,現実の悪意の法理は特製違憲審査基準ではなく,利益衡量の特殊基準(どちらかと言えば,定義づけ衡量の親戚?)なのでしょうか?
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こんばんは (Kobaya)
2012-01-26 21:12:02
先日はありがとうございました。
一つ質問なのですが、先生は「したがって、違憲審査基準の設定の際に参照するのは、 制約される権利の価値および規制の厳しさという、 制約される側の事情だけということになる。」
とされていますが、この規制の厳しさについて、表現の自由(直接規制や間接的規制)や営業の自由(許可制など)、刑法(刑事罰での処罰)以外の、例えば、信教の自由や学問の自由、の場合は、判断基準をどのように考えればよいのでしょうか。表現の自由などと違って信教の自由や学問の自由などの場合は直接規制のようなメルクマールとなるような判断基準がわからないので、どうすればよいか悩み中です。やはりその場で個別法をみて何かしら自分で工夫して創作するしかないのでしょうか。
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Unknown (素振りをする素振り)
2012-01-26 22:45:12
こんばんは。初めまして、素振りをする素振り(すぶりをするそぶり)と申す者です。

いつもブログ拝見させていただいています。

もうすぐ憲法一部の試験があるので、
非常に勉強になります。
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