木村草太の力戦憲法

生命と宇宙と万物と憲法に関する問題を考えます。

ご質問について

これまでに、たくさんのご質問、コメントを頂きました。まことにありがとうございます。 最近忙しく、なかなかお返事ができませんが、頂いたコメントは全て目を通しております。みなさまからいただくお便りのおかげで、楽しくブログライフさせて頂いております。これからもよろしくお願い致します。

法令の審査方法(10・完)

2013-01-27 11:27:52 | 憲法学 憲法判断の方法
というわけで、今回で、法令の審査方法に関する連載は終了です。
これまで多くの方のご声援をいただきました。
本当にありがとうございました。

最後に書きました通り、ここで紹介した議論は、
今年中には公式戦で発表される予定で、
ペンギンに高速回転式炊飯器がいらないように、
来年冒頭には、木村説は、
天下無双の木村節として通説になっていると思います。
(言葉の意味はよく分かりませんが、とにかくすごい自信ですねえ。)

それでは、どうぞよろしくお願いいたします。

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「ははは。ずいぶんなキラーパスだな。ソクラテスメソッドってのは、
 相手の議論をうまく引き出して、おいこんでいかなきゃだめだろう。
 そんなん、答えられないだろう。」

「答えられないって、どういうこと?」

「法令の目的ってのはさ、規制範囲と整合的に構成しなきゃいけないんだよ。
 たとえば、屋外広告物規制の目的を美観の維持とか景観保護と構成することはできても
 人の生命の保護と構成することはできない。」

「なんでだ?」

「解釈の限界を超えるからだよ。
 目的の構成は、それ自体一つの解釈だからな。限界がある。
 で、三人集会条例なんて、目的を構成できないって
 ああ、なるほどね。」

ツツミ先生は、何かに気付いたようだった。

「そう。屋外広告物規制の目的を、人の生命の保護だと構成することが
 解釈の限界を超えることからも分かるように
 目的の理解にも限界がある。そして・・・」

「そして、過度に広範な法文は、およそまともな目的を構成できない。
 むりに三人集会条例の目的を構成しようとすると、
 人が集まっていることから生じる不安感の除去とか、
 リア充撲滅を望む人への配慮とか、
 そういう希薄な目的しか構成できないってことね。」

リア充撲滅って、あんた、と思ったが、私は続けた。

「そうなんだよ。おそらく、
 『何人も公衆に不安を与える集会をしてはならない』って規定する
 広島市暴走族条例についても同じことが言える。」

「なるほどなー。まてよ、ってことは
 過度広範な法文の『合憲部分』って、ひょっとして、合憲じゃないってこと?」

「そう。三人集会条例による暴走族集会の規制って
 たぶん『合憲』じゃないし、その部分を『合憲部分』と呼ぶのは言葉のあやで、
 『他の規制との関係では、正当な規制の対象になる部分』
 『合憲的な他の規制を受け得る部分』って呼ぶのが正確で、
 それ自体は、合憲な部分じゃないんだよ。」

「そうかー。そうすると、過度広範な法文に基づく規制って、
 もしかして、普通の目的手段審査をすればはじけるってこと。」

「そう。いわゆる合憲部分の適用を受ける人も、
 そもそも目的が重要、正当じゃないって言って防御できる。
 第三者の主張適格云々も関係ない。」

「おいおい、ってことは、明確性の審査も過度広範性審査も
 特別な審査方法としては観念する必要なくて、
 前者は解釈は限界内で、っていう当然の規範に解消され、
 後者は、普通の目的審査でさようなら、ってことか。」

「そういうことだね。
 だから、アメリカ法に言う『文面審査』なんて概念は、
 なくったいい、という方向に、
 今後の議論は進んでゆくだろうね。」

「ラディカルだな。」

「確かにそうかもしれないが、
 理論的にありうる可能性を排除していって、最後に残ったものは、
 それがどんなに非常識で、直観に反していても、真理なんだよ。」


・・・こうして、我々の長い長い長い憲法判断の旅は終わった

以上のお話しは、今年発表予定の
「憲法判断の方法」という論文で整理する予定なので、
そちらもご参照ください。


法令の審査方法(9)

2013-01-20 16:49:59 | 憲法学 憲法判断の方法
ご要望が多かったので、長らく放置していた連載復帰します。

過去の連載は、こちらから行けます。

法令の新審査方法(8) これまでの目次もこちらにあります。

以下の内容は、本年発表される予定の原稿で研究した内容を発表するものです。

これは、現段階では「公式戦未発表の私の個人的研究の成果」、
言い換えると、「今年末以降の通説」であり、
あるいは、「木星の王族でも、無視しがたい氷床の寺塔」つまり
よくわからないが、とにかくすごい自信の原稿であり、、
その旨に注意をしてお読みください。

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我々は、大学のキャンパスを歩いていた。
この連載は、かなりエネルギーを要するのでしばらく更新できなかったのだが、
様々な人々からの熱い声援を受け、今ここに復活し、
そして、結局、ツツミ先生と歩き続けているわけである。

ここまで話したところで、ツツミ先生はかなり奇妙な顔になった。
何か思いついたようである。

「あのさ、いま、モケケピロピロ級条文は、いかなる国家行為も
 基礎づけられない無効な条文だ、って言ったな。」

「言ったな。」

「それはおかしいだろう。ある法律が無効になるのは、
 人権を侵害するからだ。」

「そうだね。」

ツツミ君の指摘は、あまりにも当たり前で、
こちらはあくびが出そうだった。

「しかしだ、どんな国家行為も基礎づけないなら、
 それが自由権侵害を基礎づけることもないだろう。」

「そうだ・・・ね。」

私はツツミ先生のイワンとしていることとを把握した。

恐らく、だったら、モケケピロピロは無効にならないだろうと。

「だったら、モケケピロピロは無効にならないだろう。」

思った通りだった。そして、彼は続けた。

「どんな自由権侵害も基礎づけないんだから。
 むしろ、有効だけど無益な条文と理解するのが正しいはずだ。」

「うーんと、そうなるね。だったら、ある法文が不明確で一般に無効か
 みたいな議論ってする必要がない、とそういうことになるが」

「その通りだよ。
 明確性の審査で必要なのは、その事案にその条文を適用する解釈が
 一般人に理解可能か、と言う審査だけだ。」

「そだね。そういうことにしよう。」

私は、論文のネタができたので喜んでいた。

不明確すぎる法文は、不明確すぎて無効にすらならないという現象は、
これまでの学説では盲点になってきたといっていい。

ここが盲点になってきたのは、憲法学者の先生のほとんどがまじめで
モケケピロピロのような条文について真剣に考える必要はないだろうと
板って常識的な思考をしてきたためと考えられる。

我々の非常識思考の勝利といっていいだろう。
何に勝ったのかは不明だが・・・。

そして、非常識なツツミ先生は、さらに非常識なことを言い出した。

「まてまて。そうなると、話はややこしい、というか
 妙にシンプルな方向に行くんだよ。
 一般人に理解不能な解釈って、一般になんていう?」

「ええと、解釈の限界を超えた解釈っていうな。
 あれ、そうだとすると、明確性の審査って
 その解釈が、解釈の限界内かどうか、という問題に収斂してしまう。」

10の18乗パーセクのかなたで、巨星が自重に耐えられずブラックホールになったのも
この瞬間だった。

「そうなんだよ。だから、明確性の観点からの文面審査なんて
 観念しなくてもいいんじゃないか。」

・・・。ツツミ先生の指摘は明快だった。

「そういうことになりそうだね。」

「じゃあ、文面審査ってのは、結局、過度広汎性の審査だけ
 ってことかな?」

ツツミ君はようやく過度広範問題にやってきた。

「いや、それがそうでもないんだよ。
 過度広範な法文って、これまで
 『合憲部分と違憲部分が不可分に結びついている法文』って定義されてきただろう。」

「そうだね。例えば、あんたの本でもそうなってて、
 過度広範な法文の例として三人集会条例が挙がっている。
 しっかし、ずいぶん、大人げない例だよな。この条例。」

 ツツミ君にそんなことは言われたくないが、
 確かに三人集会条例というのは、大人げない条例である。

 これも、まっとうな憲法学者には思いつかない逆切れ条例といっていいだろう。
 我々の勝利だ(だから、何に対する勝利か?)。

「まあ、そうだが、この条例の『合憲部分』ってなんだか分かるか?」

「そんなん、暴走族が周囲を威圧する態様で行う集会とか、
 凶器もって集まる行為とかだろう。

 で、それと、俳句友の会とか、バスケットボールを楽しむサークルの会合とか
 規制したら違憲になる『違憲部分』とを区別する明確な定式を示せないから、
 結局、合憲部分も不明確になっちゃう、ってことだろ。」

ここで私は、かねてからの疑問を投げかけてみた

「そうだね。たださあ、いつも思っていたんだが、
 結局、三人集会条例の違憲部分も、数は多いが、
 記述不能かっていうと、そうでもない気がするんだ。
 かなり長くなるが、普通の部分無効の法文と質的には変わらない。
 普通の部分無効との違いがあっても、それは量的なもんだ。」

「なるほど。量的な違いしかないっていったらそうかもね。
 じゃあ、過度に広範な法文って、部分無効で処理すれば足りるっていう
 見解に改めるのか?」

「いや、そういうわけじゃないよ。
 最近気が付いたんだが、三人集会条例って、普通の目的手段審査すれば
 どんな適用例でも違憲になるんじゃないか?」

「えっ?まじか?」

ツツミ先生はかなり驚いた様子だったが、
少したつと冷静さを取り戻し言った。

「いやいや。今言った合憲部分は、そうじゃないだろう。
 普通の目的手段審査で合憲になるから、合憲部分と。」

「いや、そこなんだよ。ちょっと話はそれるんだが、
 強盗みたいな行為を、
 財産権と人の身体の保護という目的で規制することは合憲だろ。」

「そりゃ当然だ。」

「じゃあさ、被害者が白人だったことに着目して、
 白人の優位性を守るという目的で強盗処罰したら合憲か?」

「そりゃ、違うだろう。不当な目的に基づく規制はだめだ。」

「そうそう。それと似てるんだが、暴走族の集会を、
 『周囲の営業を守るため』に規制するのは合憲だろ。
 でも、『市民のばくぜんとした不安感を除去するため』
 だったら、どう?」

「うーん、そんな希薄な目的で、集会の自由で保護された行為を規制するのは
 違憲な気がするなあ。目的審査パスできないだろう。」

「そうなんだよ。要するにだな、強盗とか暴走族の集会でも、
 不当だったり希薄な目的で規制することは違憲で、
 ちゃんとした目的で規制はしなきゃいけないってのが自由権の要請だ。」

「ふむふむ。まあ、そうだな。それが、過度広範性の問題と関係あるのか?」

「おおありだよ。いいか、この前、『急所』をテキストにした法科大学院の授業で
 何気なく『三人集会条例の目的ってなんでしょう?』って学生に質問したんだ・・・。」

 ・・・・いわゆるソクラテスメソッドである。

                     以下、次回「法令の審査方法(9・完)」に続く予定。

法令の審査方法(8)

2012-03-08 07:25:33 | 憲法学 憲法判断の方法
これまでのあらすじ
  法令の審査方法(6) (1)から(5)までの目次もここにあります。
  法令の審査方法(7)

「それでだね、明確性の審査というのは、
 要するに、法律の留保に関する審査の一形態なんだよ。」

「え?どういうこと?」

「うーんとさ、公権力が、住居侵入行為を処罰したとするだろう。
 その時に、処罰される側からは、根拠条文示せ、っていうはずだ。
 で、その時に、
 公権力が『根拠条文はありません』っていったら、どうなる?」

「法律の根拠なしに処罰されない権利の侵害だろう。
 刑事実体法の内容は法律事項だから、
 それを勝手に行政府が決めることはできない。」

「じゃあ、『モケケピロピロをした者は3年以上の懲役』と言う条文だと
 どうなる?」

「そんな条文が適用されること、一般人には理解できないだろう。
 だから不明確だ。」

 ツツミ先生は、モケケピロピロと言う言葉に強い反応を示さなかった。
 残念なことだ。

「そうだね。これは、法文が処罰行為に対する十分な根拠にならないってことでもある。
 明確性の審査というのは、
 法文から、その行為を処罰せよ、という法命題を導くことができるかどうかの、
 審査なんだ。」

「ああ、そうすると、防御権からの審査とは違うね。」

「そうなんだよ。そして、明確性の審査についても、
 処分審査と法令審査みたいなものを区別できる。」

「え?ぜんぶ法令審査になるんじゃないのか?」

「いやそうでもないよ。
 今の例だと、『モケケピロピロ』から住居侵入の禁止の命題を導けるか、
 判例の言葉に即して言うと、当該事例にその法文が適用されるか否かの基準を
 読み取ることができるか?だけを審査するのが、
 処分審査的な明確性の審査。

 一方、『モケケピロピロ』が適用され得るあらゆる事例を想定して、
 明確に適用できるケースがあるかどうかを審査するのが、
 法令審査的な明確性の審査だね。」

「ふーん。後者のような判断をするのは、なかなか難しいだろうな。」

「そうだね。だから、普通は、前者の明確性の審査をすることが多い。
 ただ、明確性の審査というのは、

 1:解釈の可能性の明示
  この『A』という条文は、aという法命題を導き得る(aと言う意味で解釈できる)
 2:解釈定式のあてはめ
  aという法命題は、少なくとも、この事例に適用されることが明確だ。
 3:結論
  だから、この事案において、この法文は明確と言える。

 という流れで論証することになるが、
 モケケピロピロ級法文だと、1の段階で、
 およそいかなる法命題も導けないことが判明することが多い。

 そうなると・・・」

「そうなると、あらゆる適用事例で違憲だな。」

「そうなんだよ。『わいせつ物頒布の禁止』くらいだと、
 『善良な性的観念に反する物の頒布禁止』くらいの法命題を導いて、
 この本は、それにあたることが明確か、みたいな、
 2の段階での勝負になるかもしれないが。」

「ふーん。不明確な条文にも
 モケケピロピロ級条文(およそ明確に適用できるものはない)と、
 わいせつ級条文(いわゆるハードコアポルノのように
 それが適用されることが明確な事例はあるが、
 不明確な部分が残る)の二つがあるってことか。」

「そうだね。そして、ただ、ここまでの話は、
 防御権と特定行為排除権はきっかり区別して判断しましょう、
 というだけですっきりする話だ。

 最後にやっかいなのは、過度広汎性の法理の審査だな。」
  

法令の審査方法(7)

2012-03-04 09:54:14 | 憲法学 憲法判断の方法
我々は、立派な運動場を過ぎ、理系の研究棟の広場へやってきた。
ここでは建築学科が、素材の耐久性を調べる実験をやっており、
ほとんど理不尽なまでの圧力をかけられた鉄筋コンクリートの柱が並ぶ。

悲しそうに立ち並ぶその柱たちは、佐渡先生の講義中に
不用意な発言をして廊下に立たされた学生たちのようであった。

「防御権の審査というのは、
 その法命題により基礎づけられた規制が、
 比例原則に適合しているかどうか、を審査するものだな。

 で、例えば、脅迫罪を規制する法文が全くないのに、
 裁判所や警察が、『脅迫をした者には、10年以下の懲役を科すべし』という
 法命題が妥当していると言って、脅迫の加害者を処罰したとするな。

 この場合、防御権の審査をするとどうなる?」

「えーと、法文の根拠があるかどうかは、さしあたり
 どうでもいい問題で、
 脅迫は人にメッセージを伝達する行為だから、表現行為の一種だが、
 まあ、ひどい行為だから、必要性や相当性があって合憲、
 ってことになるな。

 ・・・。あれ、合憲?」

「そうなんだ。防御権の観点というのは、
 規制を導く法命題の必要性や相当性を審査するものであって、
 その法命題に、ちゃんとした法源があるかどうかは、
 さしあたりどうでもいい問題なんだよ。」

「ふーむ。でも、法文の根拠がなかったら、
 そりゃ、違憲だろう?31条に反するし、21条にも反するはずだ。」

もっともな指摘であった。
我々は、生物学研究室の水槽実験棟の前を通る。
ここにはアメフラシや大小さまざまな貝が飼育されており、
毎日、新鮮な海水が運び込まれている。

私は、校内で海水が苦手な妖怪に会った場合、
まっさきにここに避難するように学生に指示している。

「それはそうだね。
 31条からは、法律の根拠なしに刑罰を科されない権利があるし、
 自由権条項には、比例原則に反しその自由を規制されない権利(防御権)の他に、
 法律の根拠なしにその自由を規制されない権利を保障する側面もある。

 後者の側面は、その自由の規制の可否を法律に留保する側面だから、
 法律の留保への権利なんて呼び方もできるだろう。」

…。最近、司法試験で行政法が必須科目とされたことにより、
行政法を勉強せずに、憲法を教えると学生から非常にバカにされるのだ。
つらいところである。

昔の司法試験では、憲法・民法・刑法・商法までが必修。
訴訟法選択では、民事か刑事どちらか一つ、
あと選択科目と教養科目から、一つずつ、とされていたもので、
訴訟法選択で刑事訴訟、選択科目で刑事政策、教養科目で心理学、が
王道(楽な選択)とされていた。

この時期、訴訟法選択で民事訴訟法、選択科目で行政法、教養科目で経済学。
この組み合わせで数々の秀才が散っていったのだ。

結果、民事訴訟がさっぱりな学生が弁護士になり、
一方、民事訴訟も行政訴訟もどんとこいの学生は司法浪人。

これからの正義の話もしたくなるところであろう。

それを考えると、司法試験制度も改善されたものだ……。
現行制度で、民訴と行政法が不十分な学生が試験をパスするのは難しい。

「ああ、そうか。
 じゃあ、法律の留保みたいな観点からの審査は、
 防御権とは独立に行われるわけだね。」

「そういうことだよ。
 そして、ポイントは、法律の留保の審査というのは、
 法律の文章、つまり法文と、そこで適用された法命題の関係を
 問題とする審査だ。」

「そりゃそうだな。」

「そう。そして、この場合、
 その法文をどう理解するのが自然か、
 一般人はその法文を見たらどう理解するか、
 という種類の事実は、参照するんだが、
 それ以外の、規制が目的達成に役立つか、とか
 被告人がどこでどんな行為をしていたか、とか、
 そう言う立法事実や司法事実と呼ばれる事実は、全く審査しないんだよ。」

「そりゃそうだろう。」

「そう。そして、一般人がその法文を見たらどう理解するか、
 なんて判断は、わざわざ『一般人』の代表つれてきて尋問しなくても認定できる。

 裁判官は『一般人』とは全く異質な宇宙人じゃないからな。」

「ふーん。そうすると、法律の留保に関する審査は、
 法文と法命題と裁判官の頭があればできるってことになるね。」

「そう。だから、法文だけをみて審査をする、とも言われる。
 だから、文面審査と呼ばれるんだよ。」

「・・・。あれ、さっき、防御権の観点からの文面審査って話も出てきたよね。」

「そう。でも両者は、質的に違うところがあるんだ。
 私は、『急所』では両方とも法令審査と呼んできたんだが、
 区別しといたほうが、分かりやすいかもしれない、とも最近考えている。」

こうして話は、文面審査の二類型の話に進んだ。

法令の審査方法(6)

2012-02-28 07:32:34 | 憲法学 憲法判断の方法
長い時間を放置しておりました。
途中になっていた連載を再開します。

法令の審査方法(1)法令の審査方法(2)法令の審査方法(3)法令の審査方法(4)法令の審査方法(5)


文面審査、適用審査について、ここまでにすでに
まとめた内容を含みますが、ご参照ください。


・・・。というわけで、話は富士見台公園に戻る。
遊具がたくさんあり、斜面が広大な芝生になっている
素晴らしい公園である。
よくドラマのロケもやっているのだ。


私「うーん、その文面審査、適用審査というのは、
  話を整理しないとごちゃごちゃになるんだよな。
  まず、話を防御権の審査に限定しよう。」

ツ「防御権ってのは、確か、表現の自由とか
  営業の自由とか、そういう何何の自由っていう権利だよね。」

私「その通り。で、さしあたり、法文の明確性や過度広汎性は
  問題にならない、と仮定してくれ。
  これがからむと、話は二段階くらい複雑になる。」

ツ「おお。アタシのような民法専攻の人間からすれば、
  ほんとにどうでもいい細かい分類だ。
  確かに、切手マニアの世界だな。」

 このような細かい話をしているためか、
 我々を見るネコの表情も、あきれ顔である。


私「防御権の審査というのは、
  要するに、その行為(自由)の規制により得られる利益が
  自由の価値を上回っているかどうか、という点の審査だ。

  要するに比較考量だな。これをやるとき、比較考量の対象になる
  規制された行為の単位が問題だ。」

ツ「さっきの話だと、原則として比較考量の対象は、
  原子法命題、その事実にあらわれた行為ということになるよね。」

私「そう。だけど、原子法命題とか、その行為の要素を全て書き記すことは、
  実際には不可能だろう。」

ツ「おっしゃる通りだね。」

私「だから、裁判所は、問題となった行為のうち、
  憲法判断に影響を与えそうな要素をくくりだして、
  ある程度抽象化された行為、行為の類型を単位にして
  比較考量せざるを得ないわけだ。」

ツ「そうだったな。」

私「そうだろう。で、ここで一つクイズだが、、
  例によって、『公務員は政治活動しちゃダメ!』という規制がある。
  猿払事件みたいなケースが裁判所にもってこられたとしよう。
  この場合、『勤務時間外』とか『現業』という要素が
  憲法判断に影響を与えると考えた場合は、
  審査対象は、この規制の一部分(現業の勤務時間外部分)ということになる。」

ツ「ふむふむ。」

私「これに対し、そう言う要素は憲法判断に影響を与えないと考えた場合には、
  公務員の政治活動という類型について審査される。そうだろう?」

ツ「理論的にそうなるなあ。
  アレ?そうなると、
  この事件にあらわれた要素のうち
  憲法判断に影響を与える要素は何だろう?って、
  事件の側から考えた結果、出てきた審査対象は、
  『公務員の政治活動の禁止一般』ってことになって、
  これ、法令全体の審査じゃないか。」

私「まさにその通りだよ。
  つまりだね、防御権制約の正当化の可否を審査する場合の審査対象は、
  全て事実を見て、
  そこから重要な(憲法判断に影響を与え得る)
  要素をくくり出して決めるわけだ。」

ツ「ふーん。全てはその事案の事実から審査がはじまるのか!」

私「そうだね。その事案の事実を司法事実と呼ぶこともあるんだが、
  そういう意味で、
  防御権の審査は全てそういう意味での司法事実を参照しながら行われる。

  しかし、そこから審査対象を特定していった結果、
  にゃんと、法文から導かれる法命題全体の審査が行われることがある。」

ツ「うむむ。そうすると、司法事実から憲法判断に重要な要素を括りだした結果として、
  A:法文から導かれる法命題のうち一部を審査する場合 と
  B:法文から導かれる法命題全体を審査する場合    がある、と。」

私「そうそう。それで、Aを適用審査とか部分審査、
  Bを文面審査って呼ぶ人がいるんだよ。
  別に、切手の絵柄と一緒で
  どうという違いではないんだが、区別をしたい人にとっては
  すごく大事な区別だ。」

 我々は、富士見台公園を登り切り、
 運動場にやってきた。陸上部のみなさんがハッスルしている。

 ちなみにハッスルと言う言葉は、ほぼ死語だが、
 私の同僚に、この言葉を愛用するタケオカという男がいるため、
 うちの学部では、死語になっていないのだ。

 わが法学部は、レッドデータアニマル ハッスル保護協会といってもいいだろう。

ツ「いや、しかし、文面審査とか適用審査って
  用語がすごく混乱していると思うんだが、
  今の話だと、すごく単純な区別だよね?
  なんでそんな話が混乱するんだ?
  憲法学者や憲法にかかわる実務家はアホなのか?」

私「それはそうじゃない。
  防御権以外の審査がからむと、話がかなり複雑になるんだよ。」

                     (つづく)