かつて正岡子規がツイッターで話題にしていたように、
付喪神という思想は、なかなか面白い。
長年大切につかったものは、
魂が宿り、神格を持つようになるという思想である。
櫛だとか、大工道具だとか、お茶碗だとか、
長年愛着を持ってつかっていると、
百年を経たあたりで、神様になるのだという。
まあ、百年使うには、人間の側で二世代、三世代と使ってゆく必要があるわけで、
それだけつかえば、確かに道具の側も妖怪じみて・・・・・・、いや
神格がやどってもしょうがないだろう。
この付喪神がいるおかげで、
日本は世界有数の神の多い国である。
日本は、人口の点ではインドや中国に遠く及ばないが、
神々の数の点では決して劣っていない。
机だろうが、ソファだろうが、ピアノだろうが
歯ブラシだろうが、いや歯ブラシを百年使うのは無理だから、
これは別だ、
とにかく神様になれるのだ。
もっとも、現代人の生活では、百年もつかった物に触れるのは稀だろう。
ただ、大学図書館には、ぼちぼち百年を経たという書物も多い。
大学の助手だったころ、図書館の奥地で
ふるーいヘーゲル『法の哲学』を見て、どう見ても妖怪に見えたことが懐かしい今日この頃である。
『憲法の急所』も、ぜひドスの効いた妖怪になってほしいものだ。