木村草太の力戦憲法

生命と宇宙と万物と憲法に関する問題を考えます。

ご質問について

これまでに、たくさんのご質問、コメントを頂きました。まことにありがとうございます。 最近忙しく、なかなかお返事ができませんが、頂いたコメントは全て目を通しております。みなさまからいただくお便りのおかげで、楽しくブログライフさせて頂いております。これからもよろしくお願い致します。

読書案内 ニッポンの風景をつくりなおせ

2012-02-08 16:49:19 | お知らせ
『憲法の急所』を出版して下さった羽鳥書店。

法律部門の著者としては、
内田貴、大村敦志、木庭顕、長谷部恭男、両角吉晃(五十音順)と
大御所が並びまして、
法学徒の方は、羽鳥書店=大御所系法律出版
というイメージを持たれているのではないでしょうか。


ええ、ところが、この出版社、社主の羽鳥さんのお人柄を反映し、
なかなか懐が深く、美術書・芸術書でも、すごい本を出されています。


そんな羽鳥書店の美術書部門でも、大ヒット中なのが、こちら。

梅原真『ニッポンの風景をつくりなおせ
     ――一次産業×デザイン=風景』




梅原先生は、ええと、何デザイナーというのだっけ?
とにかく、様々な商品のデザインを仕事とされている方で、
ポン酢、カツオのたたき、サザエカレーなど、
様々な作品があります。

サザエカレー?

なんじゃそりゃ?

と思われた方は、ぜひ、上記書籍を手に取ってみて下さい。

きっと、サザエカレーを食べたくなり、
そのついでに、カツオのたたきを食べ、新聞バッグを片手に
ポン酢を買いに行きたくなること間違いなしです。

上に紹介した本は、梅原先生の作品集。
日本の一次産業の製品のすばらしさを、デザインを通じて伝える。
とても元気になれる一冊であります。

そうそう、

梅原真さん
NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」に登場予定とのこと。

2月20日(月)22時~です。


みなさまも、ぜひ、ご覧ください^-^>

タイトルは「宝は、すぐ足もとにある」とのこと。

ゆんゆんさまの必要性の疑問に答える

2012-02-08 08:53:21 | Q&A 憲法判断の方法
ちょっと、ゆんゆんさんとのやり取りが、
本文とずれる論点であるため、読みにくいとのご指摘を受けました。

とおりすがるさんとのやり取り含めて、こちらのページにコメントを移設しますので、
ゆんゆんさまは、こちらのページにコメント頂ければと思います。


③の必要性でしょうね。
「現業」すなわち非権力的な公務員については、
そこまで規制する必要がないということです。
「非現業」の最たる自衛隊と比較すると理解しやすいのではないでしょうか。
自衛隊が「野田内閣が増税をすれば自衛隊は黙っていないぞ」などのビラを
まく行為と、郵便局の職員が同様の行為をする場合とを
考えた場合、前者は止めさせないとまずいですが、
後者については、ヤマト運輸の職員がやった場合とを
比較して大して変わらないだろう。
止めさせないとまずいということにはならない、
という論理も成り立ちますから。
現に労働三権との関係に、この違いは現れていますね。

他方で、上告審のように保護範囲から外して考えると、
裁量統制の問題となって、必要性の評価についても
当局の判断が明らかに不合理でなければ違法とはいえないことになります。
そして、郵便局員のビラ貼りを放置すれば国がそのような態度を
是認したと誤解されかねないという程度の中立性維持の要請との
抵触をもって、明らかに不合理ではないということで
必要性を欠くことはないという判断が可能だと思います。

ところで、先生は本エントリでは①を「正統性」としていらっしゃいますが、
急所では、「正当性」と表記されています。
前者ですと、legitimacyの意味(形式的・手続的な正しさ)になるので、
やはり「正当性」の方が妥当かな、という気がします。
(実質的な目的の重要度を審査するからです)
細かいことで恐縮です。

1点追加です。
関連性・相当性の問題にならない理由です。
現業公務員の勤務時間外の政治活動は公務の中立性を害しないとして、
規制しても公務の中立性確保に役立たない(関連性がない)。
または、規制することにより得られる利益がない(相当性がない)、という構成を
敢えて採るならば、関連性・相当性を欠くという立論が可能ではないかと
も思えますが、少なくとも、一律に禁止すれば、禁止しないより
強烈に公務の中立性を確保できる(役に立つ)関係にはある以上、
関連性を否定することはできないと思われます。
同様の理由で、「規制することにより得られる利益がない」ともいえないと思われます。
また、相当性の判断に当たっては、「規制により失われる利益」の方に
軸足を置いて考えるべきだと思います。
なぜかというと、対置される公益は通常抽象的だからです。
そうすると、現業公務員であろうと、非現業公務員であろうと、
制約される表現の自由の価値は変わらないといえますから、
普通に考えると現業性は相当性を左右する事柄ではないということになると
考えました。





>ゆんゆんさま
「必要がない」とは、LRAがあるというkとおですが、
そのLRAとは何でしょう?
また、非現業の人の行為をそれで止められないのは、なぜでしょう?



LRAとは、「非現業の公務員に限って政治活動を規制するという方法」です。
すなわち、現業公務員の政治活動まで規制する部分が不必要であるという立場です。
現業公務員が政治活動をしたとしても、それは民間同業者の政治活動と
同じであり、後者が規制されなくても支障がない以上、前者も規制する必要がないのです。
それから、非現業公務員の行為を止められないというか、
非現業公務員に対しては規制が必要だという理由ですが、
その非現業性=権力性にあると考えます。
国家の中立性の要諦は、中立的権限行使にあり、
その権力が個人的な意思に基づいて行使されたり、
行使されそうな外観を国が放置する事は許されないと
いうことかと思います。



>ゆんゆんさま
ご指摘の議論は、
現業公務員の政治活動の規制が目的との関連性がない、
から、そういう規制はできない、という主張に見えます。

ここで求められるLRAは、「現業公務員の政治活動を防止するための」LRAだという点に注意をしてください。



ご指摘の議論は、
>>現業公務員の政治活動の規制が目的との関連性がない、
>>から、そういう規制はできない、という主張に見えます。
>>ここで求められるLRAは、「現業公務員の政治活動を防止するための」LRAだという点に注意をしてください。

先生のご指摘のご趣旨、理解しました。
私は、「公務員一律の政治活動の禁止」を念頭においておりました。
「現業公務員の政治活動」に限定する場合、関連性の問題になると思います。
これは表現の仕方の問題かもしれません。
「公務員の全てを規制するよりも、非現業の公務員の政治活動に限って
制約する方が公務員という集団に対する規制としてはより制限的でない」と
表現するか、それとも、
「公務員のなかでも現業公務員は政治活動をしても公務の
中立性を害することがないから、これを規制することに
関連性はない」と表現するかという違いと思います。
確かに、人権は個人の主観的権利であるという事からすれば、
後者のように関連性と捉えるのが適切ということになりますが、
規制する側は「公務員」という一つの集団に対する規制として意識しますので、
規制目的との関係で論ずるならば、前者のようになるという考え方もあり得ると思います。
仮に、「現業公務員の政治活動禁止に関するLRA」を想定するとすれば、
それは「現業公務員の政治活動の中立性」をもって規制目的と考えることになります。
そうなると、規制目的自体の正当性が失われることになります。
(ここでは、現業公務員は民間同業者と実質において同じであり、政治的中立性は
求められないという立場に立つことを前提にしています。)
しかし、法文上現業公務員のみを狙った規制ではありませんから、
そのような規制目的の設定は適切ではないように感じます。
どうでしょうか。

もう少し敷衍してみます。
先生が急所において必要性の例としてあげておられるビラ配りした者を
射殺する場合を発展させて、ビラ配りをしている者と普通の通行人とが
紛れている場合に、これを爆弾で一気に吹き飛ばす方法を考えます。
この場合、厳密には普通の通行人との関係では関連性を欠き、
ビラ配りをしている者との関係では必要性を欠いているとも
表現できると思います。すなわち、この方法は、関連性を欠く要素と
必要性を欠く要素の二つがある、と表現できます。
では、ビラ配りの者ではなく、テロリストであるケースはどうでしょうか。
今にも銃を乱射しようとしている者と、通行人とが紛れています。
この場合、テロリストを殺害することには必要性があります。
(説得や罰金は効果がありません)
そこで、爆弾で通行人もろともに吹き飛ばしました。
この場合も、通行人との関係では関連性がない、と表現できます。
しかし、端的に爆弾を使う必要はなく、銃でテロリストだけ射殺するという、
より穏当なやり方があった、すなわち必要性を欠いていたと
表現する方が適切ではないでしょうか。

>>「公務の中立性の維持」という正当な目的から正当化できるかどうかは審査の対象になります。

私は、この場合は、「公務」といっても公務一律ではなく、
権力的=非現業の公務についてのみ中立性が要求されるとの
立場を採る場合、
1:一律に「公務の中立」を目的にすることは正当でないとして目的審査をクリアさせない
2:現業公務については役に立たないとして関連性をクリアさせない
3:非現業公務についてのみ規制すれば「公務の中立」目的は達成できるから必要性がない
4:現業公務員の政治活動規制は「公務の中立」という利益を得られないから相当性がない

という考え方があり得るところ、3ではないか、と考えたのです。
それは、目的を公務の中立性一般として設定する以上は、1は採りえず、
広範かつ強力に規制すればするほど公務の中立は確保されやすいことから、
2と4も採れないと考えるからです。目的を公務一般との関係で設定するのですから、
具体的手段の必要性についても、「公務」一般との対応で
議論すべきであり、「非現業」と「現業」を区別して
関連性のあるなしを検討するよりは、
規制対象の範囲の問題として、より絞る事は可能か、
という観点で検討すればよいと思ったわけです。

正直、反論は難しいような気がしますが、③について
「機械的労務に従事する現業公務員の政治活動であっても、
これを公権力が容認してこれを放置する態度を採ることは、
国がそのような立場を援助・助長していると考えられかねない
ことから、中立的信頼が害される」
ということでどうでしょうか。
なお、特定政党支持者の郵便物廃棄は別途職務規範等に違反し、
場合によって信書毀棄罪になるので格別の規制をする根拠に
ならないと思います。
裁量の広狭が問題になるのは、適法に自己の信条を実現できてしまう点を
重視するものといえると思います。
それから、「現業」→裁量がないとしていますが、
猿払一審は「機械的労務に従事する」という限定を加えていますので、
私には疑問です。ただ、そこは前提なのかなと思い、反論にはしませんでした。

>>LRAとは、
>>規制すべき行為(その行為を規制することが、
>>正当な目的の達成のために関連する、と言える行為)がある場合に、
>>その行為を防止するための、より制限的でない手段のことです。

>>問題の行為が、そもそも規制すべき行為でないなら、
>>規制すべき行為がないのですから、定義上、LRAの有無は問題になりません。

とのことですが、「公務員一般の政治活動は規制すべきである」との目的の下に
「公務員一般の政治活動」を規制する法律がある場合、
「公務員一般の政治活動」を規制すれば、規制すべきでない現業公務員の政治活動は
もちろん、規制すべきである非現業公務員の政治活動をも規制できるわけですから、
「公務員一般の政治活動」を規制することは、政治的中立性確保という目的達成に
関連すると言える行為だと思います。
先のテロリストと通行人がいる場合に、爆弾を用いて吹き飛ばす方法を再度
例にとりますと、テロリストがまさに銃を乱射しそうであり、乱射すれば
100人単位の死者が出ると予測できる場合に、無関係の通行人1人を
巻き込まずにテロリストを殺害する方法がない、という場合において、
爆弾でテロリストと通行人1人を一緒に吹き飛ばしたとします。
この場合、「テロリストを殺害する行為」と「通行人を殺害する行為」を分けた上で、
通行人に関しては殺害しなくても、死者が出ることはないので
関連性がなく、憲法違反である、ということにはならないと思います。
放置して、100人単位の死者が出た方がよかったとはならないからです。
「テロリストと通行人をまとめて吹き飛ばす行為」は、通行人のみならずテロリストをも
吹き飛ばす行為であるから、乱射を防ぐ目的に役立つと思います。
では、テロリストのみ殺害する方法はなかったか、これが必要性の問題です。
そして、そのような方法がない状況では、必要性があるということになり、
助かる100人単位の人命と失われる2名の人命からすれば、前者が大きいといえ、
相当性もあることから、爆弾で吹き飛ばす行為は合憲となるでしょう。 

さて、公務員の話に戻しますと、この場合は「現業」と「非現業」を
区別する事が可能です。従って、そのような手段を採りうるから
より制限的でない手段があり、よって、「必要性」を欠くと構成
できるのではないかと考えたのです。

政治信条の異なる者に対する違法行為(遅配、誤配、紛失、廃棄)をするかもしれないから
関連性があるという反論のコメントがありますが、違和感があります。
政治活動をしたというだけで、違法行為をするという蓋然性があるということは
全くありえないことで、仮にそのような立論が成り立つなら、
「自民党支持者は民主党支持者を殺害するおそれがあるから規制すべき」という
立論すら成り立ちかねません。
また、ヤマト運輸の職員についても同じく遅配、誤配、紛失、廃棄をするからという
理由は成り立ちえてしまいますが、おかしなことです。
ヤマト運輸の職員に対してはそのような不信を国民が持たないという根拠はないと思います。
公務員であるということだけで、政治活動が違法行為に繋がると国民一般が考えると
までいえるという理由が必要だと思います。

そもそも遅配、誤配、紛失、廃棄は違法行為であって、
政治的中立性とは何ら関係がないと思います。
例えば、内閣総理大臣が増税をしないと公約して組閣したのに、
官僚が大々的に増税は必要であるとのキャンペーンを張るなど
したならば、議員内閣制及び行政権が内閣に属するとされることの根幹が崩れます。
他方で、私企業の団体である経団連が増税は必要だとキャンペーンを張っても、
それは何ら問題ないでしょう。そこに決定的な違いがあると思います。
そのような統治構造論から中立性の要請は導かれるのであって、
末端の公務員が気に入らない相手に嫌がらせをするということが
中立性に関係があるとは、私には到底思えません。

>ゆんゆんさん(都尾利 寿雅琉さんからコメント)
初めまして。
爆弾の例では、テロリストの殺害行為と通行人の殺害行為との二つの行為があるのではなく、一つの行為から二つの結果が生じているだけです。二つの行為に分けたくても分けれません。
一方、公務員事例の場合は、現業の規制と非現業の規制と二つの「行為」にわけれます。
爆弾の例で関連性が通ることは、公務員の例で関連性が通ることを意味しないのではないでしょうか?
ところで、爆弾の例って相当性クリアするんですかねぇ。(実はコレが言いたかっただけだったりもします)



>>都尾利 寿雅琉さま (とおりすがり様、とお読みすればいいのでしょうか)

>>爆弾の例では、テロリストの殺害行為と通行人の殺害行為との二つの行為があるのではなく、一つの>>行為から二つの結果が生じているだけです。二つの行為に分けたくても分けれません。
>>一方、公務員事例の場合は、現業の規制と非現業の規制と二つの「行為」にわけれます。
>>爆弾の例で関連性が通ることは、公務員の例で関連性が通ることを意味しないのではないでしょうか?

その点は、どのレベルで考慮するかの問題だと思っています。
私は、必要性段階で考慮すべきと思います。理由を述べます。
本件では、法文上「公務員一般の政治活動」を規制することが明らかです。
仮に1項で現業、2項で非現業というように分かれていれば、
1項は関連性がないといえると思います。
しかし、一括して「公務員一般の政治活動」を規制する法文である以上、
「公務員一般の政治活動」との関係で関連性を考慮すべきと思います。
もっとも、仰るとおり可分なわけですから、現業部分については過剰規制、
すなわち必要最小限度性を欠いたものとして、部分違憲になるということです。
とはいえ、仰るとおり可分なのだから最初から分けて考えよという主張もあり得るところ
かと思いますが、それですと入り口から可分・不可分を議論しなければ
そもそも関連性の対象すら定まらないということになるので、
どうなのか、という感じがするのですね。
すくなくとも、論理的に絶対どちらかしかあり得ないということではなく、
どちらもあり得るというところかと思っています。

>>爆弾の例って相当性クリアするんですかねぇ。

私も、実はこのような場合相当性を認めていいのか、疑問はあります。
人命の数で比較することが可能か、ということですよね。
ですが、予防接種禍に関する議論等からすれば、相当性を認める余地は十分あると思っています。


>ゆんゆんさん
とおり すがる と申します。笑

>>しかし、一括して「公務員一般の政治活動」を規制する法文である以上、
「公務員一般の政治活動」との関係で関連性を考慮すべきと思います。


法文の文言が公務員一般に対する規制に見えるというのは、非現業に対する規制部分が違憲である場合に、部分違憲なのか全部違憲なのか、というところで考慮されるものだと思います。
仮に、公務員一般に対する規制というひとかたまりについて関連性の有無を審査することになるのだとしても、その審査の結論は「公務員一般に対する規制のうち、現業に対する部分は関連性がない」ということになるのだと思います。
「非現業に対する部分が目的達成に役立つから、現業に対する部分も含めて関連性がある」といえる為には、非現業と現業とが不可分であると言えなければなりません。
ゆんゆんさんの論理は、非現業と現業とを、関連性の段階では不可分のものと捉え、必要性の段階では可分のものと捉えるものであり、矛盾しているのではないでしょうか。



とおりすがるさまとお読みするのですね。

>>ゆんゆんさんの論理は、非現業と現業とを、関連性の段階では不可分のものと捉え、
>>必要性の段階では可分のものと捉えるものであり、矛盾しているのではないでしょうか。

それは、どの段階で、どの程度掘り下げるかの問題です。
例えば、目的の段階で相当性に関する事柄を緻密に考えると、
本来相当性で審査すべき理由から、目的の正当性がないと考える余地があります。
すなわち、得られる利益が失われる利益より小さいということは、
そもそも規制目的が重要(または正当)でないのだということですね。
急所の16pでも、厳格な基準では目的審査が相当性審査に吸収されるとしています。
また、関連性が必要性に吸収されるとも記述していますね。
すなわち、目的→関連性→必要性→相当性の順に、検討は緻密になっていくのです。
ですから、目的・関連性の段階では、比較的観念的・全体的な判断で足り、
それをクリアして初めて、緻密な衡量へと進んでいくのです。
ただ、その緻密さは、論理必然で決まるわけではありません。
ですから、関連性審査段階で分割し、緻密に審査しても、まあよいと思います。
しかし、関連性までは一括してクリアさせ、必要性、相当性は個別に分割して
緻密にみていくという立場の方が、より上記の枠組みの考え方に親和的では
ないだろうかと、私は考えるのです。



>ゆんゆんさん(都尾利 寿雅琉さん)

>>関連性審査段階で分割し、緻密に審査しても、まあよいと思います。

こうまでおっしゃいながら、法律家の共通了解(木村先生の示してくださる定義)に反する見解をあえて固持するのはなぜでしょうか?



統治構造論から関連性論に落とし込む反論をうまく思いついたので
前回のものと差し替えたいと思います。

「憲法は行政権を内閣に属するとし(65条)、内閣は国民代表たる議員によって
組織された国会に責任を負う(66条3項)。公務員はかかる民主的プロセスに服する
存在であり、自ら民主的プロセスに影響を与えるべき存在ではない。公務員が
個人的な政治活動を行うことは上記中立性の要請に真っ向から反する。
このことは現業・非現業の別にかかわらないから、現業公務員の政治活動を
規制することに関連性がある」

このことを考えるヒントになったのが、例の橋下知事が当選した際に
「僕の民意と違う」とインタビューで発言した役人の件でした。
これは、大阪府民から激しく非難されたわけです。
それは、この役人が自分の政治信条に基づいて何か不正をするだろう
という疑いから来るものではありません。
(ですから、本件で郵便局員の不正の可能性を指摘するのはおかしいと思います)
民主的プロセスを無視するかのような発言に対する怒りなのですね。
そして、この怒りは、発言者がヤマト運輸の職員などであれば、
生じない怒りでした。
すなわち、公務員は民主的プロセスに黙って従えということですね。
自分の政治的意見を言うこと自体が、民主的プロセスに対する挑戦になる
から許されないということです。
このことは、現業・非現業にかかわらないことです。
これを憲法論としてまとめたのが、上記反論です。

私は、先生の定義において普通に成り立ちうる見解であると述べています。
若干敷衍します。
例えば、急所の12、13pでは、美観維持の目的は正当であることを
前提にした記述となっています。これは、目的審査を緻密に行っていないからです。
目的審査をクリアした後に審査するはずの必要性・相当性審査の段階で
射殺する例が挙がっていますが、この場合、制約される法益は生命です。
人の生命を制約する場合、目的審査としてどのレベルが要求されるでしょうか。
最も厳しいとされる「やむにやまれぬ公共の利益」でも、足りないという疑いがあります。
当然、美観風致はそのような公共の利益には当たらないでしょう。
そうすると、目的審査をクリアできないはずです。
しかし、通常、こういう場合でも目的審査をクリアさせるのですね。
目的審査とは、このように緻密にやらずにクリアさせるものなのです。
それから、必要性審査において、止めるよう呼び掛けるとか罰金という
より緩やかな手段があるから必要性を欠く、としています(13p)。
これは、呼び掛ける方法と罰金の方法につき、関連性がある
すなわち、美観風致に役立つという前提に基づいています。
しかし、それならば関連性審査の段階で、これらの手段も事前に
検討していなければならないはずです。それをやらないのは、
やはり関連性審査段階ではラフな判断をしているからです。
仮にそのような手段まで審査していたら、関連性段階であり得る手段すべてを
審査しなければならなくなります。本件では、先生から現業性のみ
考えろという指示があるから、関連性で現業を考慮すればよいと思いつきますが、
実際には、機械的労務か、勤務時間外か、公的施設を利用するか等様々な
要素があります。これを先に関連性で審査することは思考経済上どうでしょうか。
私は、関連性はクリアさせた上で、様々な要素から考えて不必要な部分を排除する
争いは必要性の段階でやればいいという発想です。
このことは、全く法律家の共通了解に反するところはありません。

>ゆんゆんさま
ちょっと、混乱があるように思います。
次の質問にお答えください。

質問1
まず、私が下線部で示した必要性概念の定義を採用していますか?
それ以外のものを採用しているなら、その定義を書いてください。

質問2
現業公務員の政治活動をさせないこと、が
「行政の中立性に対する信頼の確保」という目的の達成に役立つと思っていますか?
 イエス(役立つ)
 ノー(役立たない)の二択です。

イエスなら質問3へ、
ノーなら質問4へ、いってください。

質問3
イエスだとしたら、なぜ、
現業を規制しないこと(非現業のみの規制にとどめること)が、
より制限的でない「同じ程度に目的を達成しうる」手段だと言えるのでしょう?

質問4
ノーだとしたら、
法令のうち現業政治活動を規制する部分は、関連性を欠いているはずですが(当然必要性も欠けますが)、
なぜ、それを「関連性はある」(が、必要性がない)と評価するのでしょう?