ベルばか日誌

ベルばら好き主婦、Kimeの妄想満載「ベルばか日誌」
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飲まずにはいられないのだよ

2008-03-31 16:48:55 | ベルばか日誌
年度末から年度始まりの今日この頃。

疲れはてて帰宅すると、つい冷蔵庫を開け、リポ●タンDをグビグビ。


あ゛~、今日も忙しかったな~・・・って。


ちょっと前に流行った『何チャラの品格』なる書物、私は未読なのですが、それによると、忙しい忙しいって言っちゃいけないそうですね。

理由は、自分の仕事がうまくいってることを周囲にひけらかすことになるから、だったかな。(もし違ってたらすいません)

でも私は所詮パートのおばちゃん。
どんなに日中忙しくても残業になることはなく、従って収入にも何の影響もありません。

私の仕事が忙しかろうと暇だろうと、誰もなんとも思わないよね。


それ以前に、ふざけた二次創作してる私には、誰も品格なんて求めてないことでしょう。
てゆーか、リポDイッキしてる時点で、すでに品格ゼロでございます。


拍手コメントのお礼

2008-03-26 14:18:51 | 楽屋オチ
SS倉庫に拍手、コメントをいただきましてありがとうございました。


3月20日
a様
微笑ましく思っていただけて嬉しいです。
続きの方は、もうしばらくお待ちくださいね(汗)。

×様
こちらこそ初めまして。
コメントいただいて、ありがとうございました。
改訂とは言ってもマイナーチェンジですが、楽しんでいただけたなら幸いです。


そのほか、閲覧してくださった皆様、ありがとうございました。


「4日目(3)」以降は初回投稿時にコメントを頂けなかった部分ですので、ご意見、ご感想など頂けるとありがたいです。


この先の部分は、ちょっと本腰を入れて加筆・改筆したいと思っております。
そのため、次回更新まで少々時間がかかってしまうと思いますが、ご承知置きくださいませ。



ルーブル展 おまけの「フランス王妃の苦悩」

2008-03-26 13:07:17 | ベルばか日誌
ルーブル展の記念コンサートについては、先だって記事にしましたが、プログラムの中の1曲、「フランス王妃の苦悩」が興味深かったので、ご紹介したいと思います。

ちなみに写真は非常にヘボですが、当日演奏されたフォルテピアノです。
鍵盤は普通のピアノとは黒白が逆の配色になっていました。


作曲者はドゥシーク。
プラハに生まれヨーロッパ各地で活躍した音楽家だそうです。
プログラムの解説によると1786年から3年間パリで過ごし、マリー・アントワネット様にも寵愛されたとか。
革命勃発後イギリスに渡り、王妃の死刑を知って作曲したのが「フランス王妃の苦悩」です。

この曲はドキュメンタリータッチというか、叙事詩的な音楽で、王妃の投獄から死刑執行、昇天にいたるまでのエピソードが、長短様々な曲とそれを説明する短いコメントで構成されています。

楽譜に添えられたその文章を、ピアニストの小倉貴久子さんが、演奏しながら読み上げてくださいました。

演奏を聴きながらメモしたので、不正確な部分もあるかもしれませんが、以下にご紹介します。



投獄
過去の栄光を顧みる女王
子供達との別離
子供達との永遠の別れ
死刑の宣告
運命を受け入れる女王
処刑前の夜の心象
看守がやってくる
牢獄のドアが開く
断頭台への重い足取り
残忍な群集
死の直前、女王の神への祈り
ギロチン
天に召される女王


楽譜の初版はイギリスで出版されたので、原文は英語だそうです。

多分「女王」となっているところは「queen」なのでしょうね。
オンライン辞書で調べたら、「王妃」は「princess」あるいは「queen」でした。
英語では「女王」と「王妃」を厳密に区別しないんでしょうか?


曲調は、重苦しい曲、悲痛な曲、激しく攻め立てるような曲が続きます。
そんな中「運命を受け入れる女王」は、比較的明るく前向きな雰囲気、最後の「天に召される女王」は、神の元に召されていく女王が死によって安らぎを得、天に昇っていく様を表した穏やかな曲で、印象に残りました。


現代ではほとんど演奏される機会のない曲だそうで、貴重な体験をさせていただきました。



何のオチも展開もない話

2008-03-24 15:52:33 | ベルばか日誌
ずっと前からアンテナに引っ掛かってて、誰かにちょっと言ってみたいな~、と思ってたこと。


フランスの水泳選手に、アラン・ベルナールっつー人がいますね。

あの、ベルナールってゆーのは苗字なのかしらね。


・・・
それがどーしたって言われると困るんですが。

ええ、それだけなんです、すいません。

ルーブル展 第4章

2008-03-21 15:38:49 | ベルばか日誌
コンサートの終了が午後3時過ぎ。
主催者の方から嬉しいお知らせが。

ルーブル展の半券をお持ちの方、本日は特別に再入場できます。受付でスタンプを押しますので、券をご提示下さい。

え~、もう一回入れるの?
いいな~。

でも、私には時間がありませんでした。
上野から我が家までは1時間半以上かかります。
いつも通りの5時過ぎに娘のお迎えに行くためには、もう帰らなければ。

そして私は潔く、美術館を後にしたのでした。


振り返ってみると、ルーブル展とコンサート、おまけだったはずのコンサートの方が非常に感動的で良かったです。
ルーブル展の方も、素晴らしいものを見ることができたのは確かなのですが、なにしろ混んでたからな~。
疲れたという印象が強くて・・・。
機会があれば(おそらく、ない)人が少ないときにもう一度ゆっくり見たいものです。


それにしても、一番未練があるのがKidsのクリアーファイルです。
あれ可愛かったな~。
やっぱり頑張って買えばよかった~(涙)。


おわり

ルーブル展 第3章

2008-03-19 16:59:42 | ベルばか日誌
さて、午後からは関連イベント、コンサート「マリー・アントワネットの愛した音楽」です。

昼食を済ませ会場へ行くと、1時半の開場前でしたがすでに開いていました。
前から3列目に席を取り、開演を待ちます。

この日、昼食前に場所の確認に行った時、12時半頃にはまだ当日券が売られていましたが、私が入場した時には完売、開演時にはほぼ満席状態でした。

この日の演奏者は、ピアニストの小倉貴久子さん。
楽器はフォルテピアノ。

この小倉さんという方が演奏の合間に楽器、作曲家、曲などについて解説して下さいました。
お話がとても面白く、有意義だったので、私は途中からメモをとって聞いてしまいました。


フォルテピアノという楽器は、私は見るのも音を聞くのも初めてだったのですが、
発音方法はピアノと同じ、でも部品の素材が違うということで、ピアノより華奢な、チェンバロに近い音色です。


プログラムを以下に転記します。

ヴァーゲンザイル作曲 ディベルティメント ト長調 Op.2-4
ハイドン作曲 クラヴィーア・ソナタ ホ長調 Hob.XVI-31
ドゥシーク作曲 フランス王妃の苦悩 op.23
ドゥシーク作曲 クラヴィーア・ソナタ ハ長調 op.9-2

アンコール曲は、ケルビーニ作曲のソナタの第一楽章でした。


演奏は本当にすばらしかったです。
久しぶりに素敵な音楽を聞くことができ、幸せでした。


この記念コンサート、3月19日の第2回は終わってしまいましたが、3月26日に第3回が開催されます。
これからルーブル展にいらっしゃる予定のある方、上野方面にお出かけの予定のある方には、是非お勧めします。



つづく

ルーブル展 第2章

2008-03-18 14:16:33 | ベルばか日誌
順路をなぞり、展示品を一通り見終わると、会場の出口手前にお土産販売コーナーがあります。

せっかくだから、何か買っていきたいよね~。

しかし・・・

ここもまた、オバサンの群れ。
商品の載ってるカウンターに近寄れません。
群れの背後から覗きこみますが、どんな商品があるのかもよくわからん。

と、カウンターの一ヶ所に人のいなくなった部分が。
ベル関連グッズのコーナーでした。
ラッキー、と滑り込み、この際だからとじっくり拝見。
入浴剤、マスカラは無視するも、Kidsのグッズは案外可愛く、マグカップ、クリアーファイルなんかは迷いました。
でも会社で使う勇気はないし、家で使うか?
これくらいだったらてーしゅに見咎められても、「ルーブル展に行ったら売ってた」で済まされそうだし。

ところが。

カウンターの内側には店員さんが数名いるのですが、商売っ気がないっつーか、非常に声をかけずらい雰囲気。
近くの店員さんの周りには、お金と商品を手にした人達がわらわらと群がり、とても私が割り込める感じではありません。
別の店員さんは、商品を持ち声をかけてきた人に振り向きもせず、高飛車に「順番におききしてますから」。
・・・ちょっと怖い雰囲気。

・・・だめだ、弱虫の私にはここでは買い物できない。

図版とカタログだけだったら、外のカウンターでも売ってたし、あっちで買おう。



そうして私は、結局何も買わずに会場を後にしたのでした。



入場口付近に戻ると、小さなカウンターで図版とKidsパンフレット、ベルばら絵葉書の3点が売られていました。

私はそこにいた優しそうな店員さんに
「これとこれとこれ、1つづつください」
と指差し、店員さんはにこやかに袋に入れてくれました。

・・・ああ、やっと買えた。

すると背後を2人組のオバサンが通りすがり
「ベルばらだ、ベルばらだ」(あざ笑い口調)


悪かったわねっ


心の中で、2人組オバサンに啖呵を切る私。
(でも弱虫なので、睨みつける勇気はない)


なにはともあれ、ルーブル展見物と必要最低限の買い物を済ませ、午前中の予定はこれで終了したのでした。



つづく


ルーブル展 第1章

2008-03-15 16:35:31 | ベルばか日誌
3月12日、快晴。

時節柄、朝からくしゃみ百連発の私は、苦手な鼻炎の薬を飲み、ポケットティッシュをバッグに詰め込んで出発。

美術館に着く頃には薬が効いてきました。

まず、入り口付近で図版、Kidsのガイドなど販売するカウンターを発見。
まあ、買うのは後でもいいわね。

チケットを出して入場すると、ヘッドホンガイドの貸し出しがありました。
美術、歴史の基礎知識に欠ける私は、あった方がいいかな~と思い、500円出してレンタル。

いざ、入場。

・・・結構、混んでるな~。
美術・歴史好きな、暇なおばちゃんて多いのね~。
(自分もその一人のくせして)

人混みをかきわけ、押し退け、何とか順路通りに進みます。

うむ、確かに絢爛豪華、デコラティブ。

その内、ほんとに押し合いへしあいになったのは、「嗅ぎ煙草入れ」。
モノが小さくて細工も細かく、裏面、背面も鏡で見られるようになっているので、やっぱりみんな、じっくり見たいですよ。
オバサンの群れがガラスケースを三重にも四重にも取り囲み、最前列の人は張り付いて見入ってるし、後ろの人達は少しでも前の方に進もうともがいてる。
私は人混みも、こういう人を押し退けて、っていうのもホントは苦手なんです。
でもやっとの思いで来たんだし、これを逃したら一生見る機会はないだろうし、そう思って頑張りました。

前の人が動くのを辛抱強く待ち、少しづつ人垣の前の方に体を割り込ませ・・・。

はぁ~、キンキラキンだ~。
昔の金持ちはこんなのを日用品にしてたんだね~。


嗅ぎ煙草入れは、時代を下り様式の異なる物が、その後も何ヵ所か展示されておりました。
それらもオバサンを掻き分けながら何とか拝見し順路を進み、最後のアントワネット様の旅行鞄を見る頃にはほとほと疲れはてました。

・・・そんなわけで、美術品を見に行ったんだか、オバサンの波に揉まれに行ったんだか、というルーブル展行脚でした。


ひとつ補足しますと、入り口でレンタルした音声ガイド、あれはなくてもよかった気がします。
テレ朝の女子アナがポンパドゥール夫人やらデュバリー夫人やらに扮し、小芝居をしながら解説するっていう趣向だったのですが、あんまり大したこと言ってませんでした。


つづく

ルーブル展 序章

2008-03-13 15:39:25 | ベルばか日誌
昨年早くから前売りチケットを準備し、「行くぞ~」と意気込んでいたルーブル展。

昨年末から2月下旬まであれこれのっぴきならない雑事が重なり、それが済んだと思ったら風邪を引き、それこそ3度目の正直で設定した日程は3月12日。
勇んで公式サイトをチェックすると、関連イベントのコンサートががあるではないですか。

「マリー・アントワネットの愛した音楽」

へえー、いいな~、行きたいな~


すると、あら不思議

どこからともなく現れた魔法使いのおばあさん
マウスをクリックすると、あっという間にコンサートのチケットが取れたのです

えっ、あたし、本当にコンサートに行っていいの?
ルーブル展だけじゃなくて?

ああ、お前はこの3ヶ月、家族のために頑張ったからね、たまにはゆっくり楽しんでおいで

ああ、ありがとう!

ただし、さる子のお迎えの時間までには必ず戻るのだよ

はい、わかりました


こうして私は、さる子が熱出さないかとか、自分が具合悪くならないかとか、ドキドキしながら12日を心待ちにするのでした。


(いい年して何バカなこと書いてんだろと思いつつ)
つづく

私がお絵かき嫌いな理由

2008-03-08 16:24:04 | ベルばか日誌
サイト巡りなんかをしておりますと、イラストも文章も達者にこなされる方もいらして、絵の描けない私は非常に羨ましく思っております。

私だって子供の頃は、普通に楽しくお絵かきしておりましたよ。
転機は小学校3年の時でした。



私の小学校では、2年生までは図工の時間は担任の先生が教えておられましたが、3年生以上になると図工専科の先生による授業になりました。

で、3年生の最初の図工の時間です。
先生は、中年の男性でした。

絵の具で、友達の絵を描くことになりました。
みな思い思いに周囲の級友たちを描き、ある程度出来上がったら先生のところに絵を持って行き、見てもらいます。
私も「これでよし」と思った段階で、先生に見てもらうべく、列に並びました。
先生は一人ひとりにアドバイスするので、私の番になるまでには結構な時間がかかりました。

やっと私の番になり、先生は私の絵を見て一言

僕ならこんな段階では持ってこないね

・・・は?

先生は私に絵を返し、次の子の絵を見始めました。

・・・え?
あたしは、これでよし、と思ったから持っていったんだけど。

私は呆然と席に戻り、・・・あとどこをどう描いたらいいんだろう・・・、と戸惑いつつペタペタと申し訳程度に筆を入れ、・・・結局どうしたらよいのかわからず、また先生の前の列に並びました。

先生は
「・・・これじゃあ、まだまだ・・・」
のようなことを仰り、それでも一言二言指導はしてくださったように記憶していますが、・・・。

それ以来私は、その先生にも、図工の時間にも、苦手意識を持つようになりました。


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更に数年後、4年生で転校した後、5年生か6年生の頃の図工の時間のことです。
その図工の先生は年配の女性でした。

やはり水彩画を描くという課題で、私たちは先生の説明の後、準備をして描き始めました。
先生は教室の中、作業する生徒達の間を回っておられましたが、ふと私の横で足を止め、私の使っていたパレットを手に取られました。

「ちょっとこれ、借りるわね」

はい?

私が返事をするまもなく

「皆さん、これを見てください」

先生は私のパレットを高々と掲げました。

これは、悪い例です

・・・え?あたし?・・・あたし、悪いの?

先生の解説によると、私のパレットには絵の具が1色しか出してなかった。
絵を描くときには、まず、使う色の絵の具を全てパレットに出してから描き始めなければいけない。
だからこのパレットはダメなんです。

・・・へ~、そうだったんだ、初めて聞いたよ。

でもまだ10歳やそこらの子供ですからね。
いきなりクラス全員の前で、「悪い」と名指しされちゃね、傷つきますよ。

私はこれ以来、絵の具で絵を描くことも、図工や美術の時間も大嫌いになりました。


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まあね、元々才能もセンスもなかったんでしょうが、上記のようなきっかけがなければもう少し絵を描くことを積極的に楽しむことができる人生だったかも、と思います。



それでも小学4年から中学卒業まで、親友Tさんとはオスカル様、アントワネット様を描いたり、アニメキャラをまねたりと、一緒に絵を描いて遊ぶこともありました。
絵がものすごく上手だったTさんに付き合って、
将来は、漫画家だ、デザイナーだ、アニメーターだ!!
なんて、目指したりして。
今考えるとなんとまあ身の程知らず(爆)。
でも私の中では、絵の上手なTさんに対する劣等感は確かにありました。
私がどんなに頑張っても、Tさんみたいに素敵な絵は描けませんでしたから。
それでもTさんと一緒だったから、ヘボ絵でも楽しかったんだろうな。



高校入学後は、芸術科目は音楽を選択し、美術の授業を受けることはなくなりましたし、Tさんと離れてしまった私が絵を描くこともなくなりました。