春夏秋冬

日々流されないために。

久しぶりの帰郷

2005年10月31日 14時36分36秒 | ふるさと・徳島

小生のふるさとは、四国の徳島。
久しぶりの帰郷で、いろいろあったが、それはさておき、童心の頃のふるさとを書いてみる。
 

小生宅は、戦争前、徳島市内に家があったが、戦災に遭い、すべてを失った。このため、小生宅は、板野郡栄村という純農村地の親戚にお世話になった。小生はこの頃、ちょうど、小学生。そして、ここの栄小学校に通った。小学校3年から6年半ばまでの3年間をここで過ごした。
 
親戚には、従兄弟で、ちょうど小生と同じ歳の男の子がいたので、その子といつも一緒に遊んだ。ここは純農家。広い庭があった。そこがあそびに行く出発点。学校から帰ると、毎日、ここで相談し、あそびに行った。この頃家で勉強した覚えがない。
 
近くの竹藪の冒険。背丈より高い葉っぱが一杯の畑の中で走り回ったこと。池で釣りをして初めて魚を釣ったこと。近所の川で泳いだこと。流れの早い川だったが、小生ここで泳ぎを覚えた。畑に出て家族と一緒に農作業。と言っても遊びに行くのと同じ。麦踏みも始めちょこっとやったら、もう走り回っていた。夜のお墓の肝試し。川の上流に有料の小さな橋があった。ここでもいろいろ思い出がある。
 
庭の隅に小屋があって、そこに牛が1頭飼われていた。親戚のお家では、お父さんが戦争に行って、まだ、復員していなかった。それで、おじいさんが、牛を畑に連れて行って、耕していた。小生、こわごわ牛の後を付けて行って、よく畑に付いて行ったことを思い出す。
 
また、この親戚は、困窮した小生宅に小さな農地を貸してくれた。そこで、何か作りなさいと言うことだったようだ。そこは砂地に近い土地。水はけがよいので、ここでサツマイモを沢山作った記憶がある。戦後すぐの頃だったので、食糧難は極度に達していた。このサツマイモはわが家に貢献したはず。
 
その後、小生の父親は徳島の市内に家を新築し、徳島市での生活となった。このため、毎日、あっちこっちと遊び回った時代というのは、小学6年生で終始符を付けることとなった。その後、徳島の市内でも城山冒険と称して、近くの小さな山で毎日遊んでいたが、そろそろ中学生。田舎で経験したようなあそびはなくなった。
 
今、回顧すると、小学3年から6年までの田舎での3年間が、小生の最も楽しい、田舎の良い思い出ばかりが残る頃だったように思う。小生にとって、田舎はどこか。と、言われれば、栄村の田舎に決まっている。思い出がいっぱい詰まった宝物だ。
 
今回、一緒に遊んだ従兄弟の母親、つまり、小生の叔母上様の13回忌の法事で、この田舎に行った。幹線道路から一歩この村にはいると、昔が一気に思い出されてきた。道路はそのまま残っている。小さな祠もそのまま。昔あそびに行ったお寺もそのまま川向こうにある。
 
昔と変わらぬくらし。そして、そこで、純農家として、農業をまじめに一生懸命やってきている証し、を見ることができた。これが一番、小生の心に残った。
    
従兄弟は、赤銅色の顔をほころばせながら、
身体のあちこち、ガタが来ていると言っていた。長生きしてほしい。
 

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