春夏秋冬

日々流されないために。

前向きに

2007年05月28日 20時22分34秒 | Weblog
東葛病院にて日野いづみ女医さんと向かい合った。先週もお世話になった先生だ。
「歳ですから免疫力を高めろといっても、おいしいものを食べて、英気を養って、お酒を飲んで、とそんなことしか…」
「おいくつですか。あー、70歳? お若いですよ。ここに来る方は80歳や90歳が普通です。あなたはまだ子供みたいなものです」
「はあ」
「とにかく、前向きに考えて、神経質にならずに、おおらかに、そして大いに笑って下さい」

咳と痰がでて3月から3ヶ月も掛かっているが、なかなか治まらない。4月から東葛病院にお世話になったが、2ヶ月の間に、先生が3人も替わった。こんなことってあるのかい?という感じだ。毎週月曜日に行っているのに、先生が次々と替わるのだ。で、あれやこれやの抗生物質を飲まされて、ごく最近ようやく下火になった。でも、先週からお世話になっている日野先生さん、なかなかさばけた先生で、病は気からと言わんばかり。

「この頃、咳や痰が長引く方が多いです。え? 合唱をやっていたんですか。いいですね。素敵ですね。どんどん歌って下さい。そして、楽しくやって下さい」
「はあ」
「で、どんなうたを歌っているのですか」
「この前、レクイエムを歌いました」
「え? レクイエムですって」
「今度、第九を」
「あー、年末の。宜しいですね。そいえば、よい声をなさっています。うなずけます」
 
診察室でするような会話でなく、普段のお話しだった。この先生、単なる内科医ではなく、褒め言葉も巧みで、精神療法が得意のようだ。患者を気持ちを引き立てて、前向きに。こちらもその気になってくる。少しぐらい咳が出たって、何も言うことはないではないか。

チューリップの花

2007年05月24日 21時14分58秒 | Weblog
わが家がある団地でも花を飾ってあるお家が多くなった。花を飾ったりして庭を綺麗にしているお家は泥棒が入りにくいのではないかと、勝手な想像をしている。下の写真は昨年帰郷したとき、親戚から頂いた球根を植えたもの。綺麗に咲いた。惜しむらくはすべてが同じような色の花だったこと。でもチューリップの花はどっしりして花として見応えがする。いかにも西洋の花という感じだ。



徳島橋梁技術者の会

2007年05月17日 11時20分32秒 | ふるさと・徳島
題記の一寸変わったサイトがあった。その中に「四国における橋梁技術者の先達たち」という記事があり、増田淳やらの記事が載っていた。なかなか興味があったが、もっとくわしく読むには、ログインしなければならない。つまり会員登録する必要がある。しかし、タイトルにもあるようのこの会、橋梁技術者の会、つまり専門家の会ということだ。事務局も徳島大学工学部建設工学科。専門家でもない私が登録してよいものか、迷ったが、郷里の懐かしさのあまり、会員登録してしまった。
 
会員登録したら、事務局をされている建設工学科の先生から、登録御礼のメールを頂いた。話のついでに、WEB記載の増田淳の記事(徳島県技術士会会報)を見る方法をお尋ねしておいたら、有り難いことに、わざわざその記事を見せて頂いた。
 
増田淳は吉野川橋を設計した人。隅田川の白髭橋を設計した人でもある。この人の設計した橋は、素人の感じだが、何か安定感があって、時代を超えた造形美があるように思う。つくば市に国土総合研究所があり、そこの図書館で増田淳の設計図面及び計算書が閲覧できるそうだ。勿論複製だそうだが。機会があったら、行ってみようと思っている。
 
徳島大学工学部といえば、子供の頃、上物が戦災でやられてレンガの基礎だけ残っていた頃、よく遊びに行った。当時のわが家からは少し距離があったが、遊びのテリトリーの範疇にあった。吉野川や徳島大学は子供の頃の思い出の中にある。

 
徳島橋梁技術者の会 
http://www.tokushima-bridge-engineers.net/modules/pukiwiki/ 

親切

2007年05月05日 19時57分13秒 | Weblog
道に迷った。柳橋界隈を散策していたら、ぐるぐる回って現在位置を確認できなくなった。浅草に行きたいが、ここからはて、何処のように行けばよいか。地下鉄駅の浅草橋を目指せばよかろうと思うが、一寸訊いた方がよさそうだ。ふと前に食堂の親父さんらしいひとが見えた。
 
「浅草に行きたいのですが、地下鉄の駅はどう行けば宜しいですか。」
「浅草ですか。駅は東日本橋の方が近いですが、浅草に行くのでしたら、浅草橋の方がよいです。」
親父は奥から大きな地図を出してきた。各家まで書かれている近所の詳細地図だ。
 
「この道を真っ直ぐ行って、この柳橋を渡って、それからこちらの道を…。」
「ありがとうございます。ここをこう行って。大体分かりました。」
「そこまで案内しますよ。」
「いけそうです。」
 
「いや、結構わかりにくいんですよ。」
「そうまでして頂かなくとも、大丈夫と思います。」
「いや、そこまでですから、ご案内します。」
「え? よろしいんですか。」
「私は案内したいんですよ。」
「悪いですね。」
 
奥から、おかみさんの声が飛ぶ。
「親切の押し売りになっちゃうよ。」
 
そうか、親父は親切に道を教えるのが生き甲斐なんだ。でも、助かるし、押し売りという程でもあるまい。親父は、駅が近くに見えてくるまで付いてくれた。私はお礼の言葉も底をつくほど、礼を言って別れた。
 
こういう親切心にあふれた人って、元来が人好きなんだろう。好意でする親切の押し売りは相手が少しどうかなと思っても、納得するもの。親父さんも困っていた私のお役に立ったわけで、親父さん自身も満足しているに違いない。

 

千住は古い町

2007年05月01日 15時43分25秒 | Weblog
「あー、お年寄りだィ!」腕白連中がやってきて、われわれを見て言った。何事だろう、子供たちは遊びを中断し、好奇心で近づいてきたところ、全員お年寄り!素直な言葉が口から出たのだ。横にいたオバアさん、子供たちに向かって負けずに叫んだ。「そうだ。そうの通りだよ!お年寄りだよ!間違いないよ!」子供たちは、またすっと元の遊びに戻っていった。
 
千住-宿場の名残り-を歩こうという企画で、この日、東葛健康友の会のお年寄りたちが北千住駅近辺を散策。千住の町は、江戸時代は宿場町として賑わったところだ。でも、あるのは立て札だけ。脇道にはいると昭和30年代が残る。狭い道路、朽ちそうな塀、「医學博士 ××」なる表札がある。子供たちが縄跳びをして遊んでいる。「こんなところの方が和むものですねえ。」「そうですねえ。」「こどもの頃こういうところでよく遊びましたよ。」「こういうところがいいんですよね。」
 
荒川の土手に出た。ああ、気分が宜しい。今日は春の日差しが柔らかく、草むらでみんなで体操しましょうと輪になって手をつなぐ。川縁で腰を下ろしおにぎりのお弁当。近くに座ったおばあさん、どうぞ召し上がって下さいと切りミカンを差し出してくれた。前を見るとモータボートのエンジン音。若者が水上スキーを楽しんでいる。これを見ていた親父の声が聞こえる。もう一寸策がなきゃー! その声が聞こえたかのように、スキーヤー右に左にとジグザグをはじめた。
 
江戸の痕跡などあるわけでもなく、一寸古い町を見て歩く健康散歩だった。歩くのが目的。幹事さん、ちょうどほど良い距離でよかったです。最後に幹事女史の大黒湯の判じ物あてクイズ。全員外れ。銭湯・大黒湯の入口に「わ」か「ぬ」の板の看板が掲げてある。どういう意味か?…。答えは、「わ」の板が出ているときは、「わいた(沸いた・営業中)」。「ぬ」の板が出ているときは「ぬいた(抜いた・終了中)」。写真を掲げる。

  
   

銭湯・大黒湯。屋根が古めかしい。「道後温泉みたいだ!」「そうだね。」


 
左ーぬいた。右ーわいた。まだ、わいていなかったが、「ぬ」を裏返すと「わ」だった。