春夏秋冬

日々流されないために。

流山おおたかの森駅近況

2006年12月27日 04時15分16秒 | Weblog

ちょっと所用があり流山おおたかの森駅で、30~40分待つこととなった。まわりをぶらついたが何もなく、又寒かった! 休憩するところが一切ないのだ。潤いがないところなので、早くショッピングセンターが開業して貰いたいものだ。
 
そのときの写真。今日はいまいちの所を書く。特に横浜みなとみらい線を見てきた日だったので、余計に気になったので。



駅とSCをつなぐ渡り通路ができつつある。
 
はじめから計画しておくべきだと駅をつくったとき思っていたが、今頃になって手直しという感じで、通路を造っている。写真で見ても分かるように、簡易通路。安っぽい。もう少しましなのが出来ないものか。
 
この日横浜の新しい地下鉄「みなとみらい線」沿線を散策したが、同じ新しい線といっても、すべての雰囲気が、月とすっぽん。品格というものが全く違う。こういう小さなところの気の配りようが違う。
 
 

「たばこの吸い殻、ポイ捨て防止」横断幕。
 
こういう横断幕があるにもかかわらず、駅通路の端、端にたばこの吸い殻が落ちていたり、駅舎の壁にたばこの火を消すためにこすりつけた跡があったり、流山おおたかの駅、もう駅が薄汚れている。
 
横浜・みなとみらい線ではこんなのはお目にかかれなかった。住んでいる人間の品格が違うのかと思うほどだ。この壁にたばこをこすりつけた写真を撮ってきたが、醜悪すぎて私のブログにアップすることを止めた。
 





奥野先生の熱気、すごい!

2006年12月24日 19時50分07秒 | 合唱

柏市民コンサートの練習。先生は奥野真理子先生。今日のクリマスイヴは、生徒さんは少なかったが、それだけに、奥野先生に直に教えて頂く機会が多く、大いに勉強になった。それにしても、奥野先生のスタミナには脱帽! でした。朝10時から男声をご指導され、午後は混声と長時間に亘ってもすごい熱気、何時までもやりますよと言う姿勢。
 
奥野先生、すごく美人です。しかも、おんなの雰囲気十分。本当の話です。しかし、この方が、前に立つとすごい気迫があり、圧倒される。つまり、教えて頂いている途中は、あれこの方、男かと思うほど厳しい。どこかで合唱を指導されていると思うが、この方に付いている方は、相当なレベルになっていることでしょう。ただし、付いていければの話。
 
今日勉強になったこと。先ず第一。バリハイのハイの音を取り方、リハを覚えよ。リハだけでよいという。ハに変な記号(#)が付いており、わたしの最も苦手とする音程。成る程、こういう風に暗記するのだ。もう一つは、モツレク6番、コンフタティスの歌い方。コーンとやれと言う。コーンフタティスとやる。硬すぎるというのだ。確かにこの方が柔らかい。
 
そろそろ楽譜をはずす由。今日も楽譜をはずしてハレルヤをやったが、歌える人とそうでない人がいて、まだまだ。次回は1月7日。少し曲を決めて、暗譜していくかな。でも最近真面目に出席しているので、すこしずつ、様子が分かってきた。歌えてきたということではないが。
 
それに今日は、人数が少なかったので、奥野先生の近いところで、直に教えて頂いて、先生のすごい熱気を感ずると共に、教えられた内容は、「コールJUN」(わたしが入っている小さな男声合唱団)の田上薫先生にいわれていることと全く同じことだなということも分かった。ただ、いわれていることは同じだが、しかし、そのように簡単には出来ないけれども。


みなとみらい線

2006年12月23日 16時23分37秒 | Weblog

12月21日~22日、1泊泊まりで横浜へ。息子が横浜みなとみらいのホテル宿泊券を用意してくれたので、折角の機会とばかりに、横浜を少し散策した。
 
22日朝、10時過ぎ、横浜散策に出掛けた。ホテルを出て、シーバスに乗るべく、ホテルの裏側に行く。と、目の前を若い女性たちが列をなして走っている。走っている先を見ると、あれ、もう長い長い列が出来ている。何だろう、あれは。訊いてみた。あの列は何だね? 今夜、赤煉瓦のところで、ゆずのコンサートがあるんです。それで…。ゆずって何だ。どうやら歌手らしい。
 
夜の公演に、朝からこれだけ女を狩り出す力ってなかなかのものだ。男性はいなかった。女に人気がある歌手か。数人いたシーバスの船員にゆずっていう歌手、どういう歌手なんですか、と訊いてみた、知りません。という答えだった。
 
さて、シーバスに乗って、赤煉瓦街を経由して、山下公園に着く。歩いてもいけるところだが、船に乗ってみた。船の中で、中国人とおぼしき人が、チャイナタウンはどこかと英語で聞いてきた。ネクスト・ストップ。ヤマシタ・コウエン。と答えると、サンキュウと礼を言った。
 
シーバスは山下公園が終点。ここに氷川丸が展示してあったので、見学する。昭和5年建造の当時の超豪華客船だ。22,000屯、11,000馬力。横浜からアメリカのシアトルまで2週間の船旅。冬の北太平洋は荒れたそうだ。船って夢がある。下に見学の写真をアップしておく。
 
ここから中華街は目の前。中華街で肉まんを立ち食いし、今日の目的である「みなとみらい線」に乗る。みなとみらい線は、横浜高速鉄道(株)運営の地下鉄。元町中華街・中央大通り・馬車道・みなとみらい・新高島・横浜の6つの駅しかない。1日乗車券(450円)を買って。各駅降りてみた。それぞれ味のある駅だった。これも下の写真をアップする。
 
みなとみらい線は、そのまま行けば渋谷まで直通。横浜で降りて、横浜駅前に出てみたが、まわりビルばかりで、めまいがしてきたので、地下商店街に降りた。雑然として風情がない! 
 
新高島駅だけは時間がなかったので、割愛したが、各駅とも近代的で快適。近代的な感じは、つくばエクスプレスと共通するところがある。デザインというか、つくりはこちらの方が上。金が掛かっている。デザインもよい。
 


宿泊したインターコンチネンタル・ホテル。
 
ヨットの帆のような形をしたホテル。ホテルの宿泊コースにザ・クラブというシステムがあり、それに乗っかって泊まった。28階でのチェックインとか、朝食の食事どころに白いテーブルクロスがかけられていたとか、一般の宿泊客とは差別感があったが、実質はさほどでもなかった。泊まった部屋の29階から目の前に観覧車が見えたのはよかった。イルミネーションの夜景が華やかだった。この写真は、シーバスの中から。
 

ゆずのコンサートを待つ彼女たち。
 
一寸見えにくいが海岸縁にずらりと行列をつくっている。この寒い中、朝から夜まで待つのだ。あとで分かったが、今日のゆずのコンサート、海岸近くで開催するというということを前に知らせておいて、本当の場所は、当日朝10時からの電話で公開するというアホみたいなやり方。でも、あの行列、10時前から並んでいたように思う。
 
こんなにまでして…。ご苦労なことだ。待つ間何をしているのだろう。非生産的な時間の浪費? そんなことを考えたら、遊びの文化はないということか。
 


氷川丸船長。模型。船長のご挨拶がテープで流されていた。「ようこそ氷川丸へ。氷川丸は1935年横浜で建造されました。横浜からシアトルそしてバンクーバーまで。283回も往復しました。氷川丸は料理が美味しかったので、あのチャップリンも大満足だった。…」
 
氷川丸の展示は、経営不振だそうで、あと数日で閉鎖される。このあと日本郵船に売却されることになっているそうだ。日本郵船はレストランをつくるとかして、
利用するのではないか。
  

みなとみらい線、元町・中華街駅。ここから、元町と中華街は至近距離。元町は石川駅からここまで1本の道路。その両脇に、ちょっとしたお店が並んでいる。若い人が少ないので、落ち着いた街。柏のららポートの客筋とは違う。
 


みなとみらい線、中央大通り駅。
 
神奈川県庁があるところだ。横浜開港記念会館は駅前にあった。ここから赤レンガ倉庫まで近い。500m。又ここは横浜港大桟橋国際客船ターミナルも目の前で、世界の名だたる豪華客船が横浜に来るとここに横付けされるところ。
 

みなとみらい線、馬車道駅。
 
ここは、ホームといわずコンコースといわずすべて煉瓦造り。横浜らしいといえるが、これでもかと煉瓦を使っており、少し食傷気味か。馬車道はJR桜木町駅から300mのところにある。
 


横浜開港記念会館。
 
日本大通駅を降りたところにある。大正初期に立て替えたものらしい。いわゆるレトロな建物。中にはいると、安全講習会が開催されており、作業服を着た職人さんが大勢集まっていた。この建物、まだ現役で使われている。
 
成る程、辰野金吾の設計思想を汲んだ建物だ。東京駅の一部を移築したといっても誰も疑わないほどの辰野金吾スタイル。
 


同会館内のステンドグラス。



あなた

2006年12月19日 10時40分12秒 | Weblog
米タイム誌が選ぶ今年の人は「あなた」。
 
なるほど、わたしみたいな普通の人がこうやってブログを書くことが出来るのだから。情報発信は誰でも出来る時代になったということ。
 
ホームページは、少し敷居が高いが、ブログは書きやすい。ホームページを書いてみようと思っていて、書き方が難しく、挫折した人が大勢いる。そういう方は、ブログを書けばよろしい。このブログは本当に誰でも書ける。特に、経験豊富な熟年者が書いて情報発信して欲しいと思う。
 
偉い人だけの声で世の中が動く時代ではなくなった。庶民の声、というのかな、そういう声が力を有してきたということ。建前は民主主義といっても、実態はなかなかそうではないところもあったが、「あなた」の時代になった。
 
世界中でを見渡して、「あなた」の時代でない国もあるようだが…。
 
 

今日のモツレク、バスは鐘一つ!

2006年12月15日 22時22分22秒 | 合唱
今夜の柏市民コンサートの練習、柏市中央公民館にて、大門先生のご指導。
 
練習はじめは下手だという話。
 
「バリハイから始めます。はい!」
-「アーアーアーアーアー…」(生徒が歌う。ベースのなかで歌ったのほんの数人。出だし、今回もつまずく。)
「ベースこんなに大勢いるのに。この前田中先生の時にいたひと手を上げて! 結構いるではないか。大勢いるのに。1週間の間に忘れてしまったのですか! 」(生徒、歌えなかったのは自分ではないという風な顔して、シラを切る)
「今6時半。でも、7時頃になったら、皆さん歌えるようになるよ。」
 
で、7時頃になった。
「ね。大分出来てきたでしょう。でも、それでは、本番ではダメなのだ! はじめから、きちんと歌えなくてはならない。ハイ!」
-「アーアーアーアーアー…」
「ストップ! ベース! アーアーの2つ目が下がりすぎる! 気をつけて! 楽譜は読むのではない。楽譜を離れて、覚えて下さい。半音が多い楽譜を読もうとしないで、覚えてしまった方が楽です! 繰り返しです。10回で覚えられなければ、20回やる。20回で覚えられなければ30回やる。必ず繰り返しで覚えられる!繰り返し回数は人によるが…。」
  
さぞかし小生は、50回は必要だろう。だめかな、100回ぐらいか。バリハイの曲、楽譜は7頁ある。この1曲覚えるために、テープを聴いて100回やるとして、そう、1曲5分と見積もって、500分。休憩も必要だからまあ600分。10時間だ。朝から10時間やれば覚えられると言うこと。しかし、こういう歌って、眠ったら忘れるのと違うかな。一晩寝たら、又はじめから、延々と繰り返し。
モツレクになるともう計算が出来ない。とてつもない時間が…。寿命の方が先に来そう。
 
モツレクの練習に入った。第6番。
 
「バスから 歌ってみて下さい。 ハイ!」
-「コンフタッティス、マレディクティス、フラーミサークリブーサディクティス…。」
「カーン!」
女声たち「うふふ!」(勝ち誇ったように)
あああ、いけない、いまいちだなと思っていたら、大門大先生、即座に判定した。カーン!鐘一つ。何も大勢いたので、わたしだけの問題ではないが。
 
確かに練習のはじめはいまいち。何回も歌ったあとの方が、よいように思う。流山市の市民劇場の時、プロも歌ったが、袖で待っていたら、プロの方たち、楽屋の自分の部屋で、でかい声で歌っているのがかすかに聞こえた。プロでも本番前に必死に練習をしているのだ。突然歌えと言われて最高の調子に持っていくのは至難の業。合唱団は、事前の練習が出来ない。ということは、突然歌えと言われても、水準以上の歌が歌えるようにしておかなくてはいけない、ということになる。
 
あと3ヶ月を切ったが、やるしかない。



昨日のララポート柏の葉

2006年12月13日 13時27分48秒 | Weblog

これで3回目だが、まだ、お店がよく分からない。あそこに行きたいが、と、見えているのに、そこに行けない。と、今のところそんな状態。170店舗もあるから、一つの街。南柏のイオンより大きい。モラージュよりも勿論大きい。普通の用はここで十分。ご近所の方とまた会った。スポーツクラブに来ているのだそうだ。その方、ここは、もう生活習慣の中に入り込んでいる感じ。
  
こういうところの効用。それは、これから寒くなるとここに来て、一休みすることができるということだろう。全館、空間が広くて実に開放感があり、ここに来ると気持ちがのびのびする。しかも、暖かいし、人はそれほど多くないし、座るベンチはいっぱいあるし、うちの家よりも明るいし、本を読むには最高の場所だし、車で来ても、3時間駐車無料で、この3時間、ちょうど良い時間だし、今のところ、よいことずくめ。
 
いまいちの所は、レストランのお値段が少し高めで、しかし、それなのに、どこのお店もいつも満員で、長蛇の列。この長蛇の列を何とかして欲しい。フードコート式になっているところも、席がいつも満員。空くところを待つのに、一苦労。外食好きの人が多くなってきたのだろう。
 
流山おおたかの森SCも来春できる。ここと同じくらい大きいそうだが、どんな感じになるか。希望は、こういう、開放感のある感じになって欲しいもの。そして、ここと同じように、どこででもくつろげるところをつくって欲しい。ララポートより多くつくって欲しい。お店の集合体として、柏駅近くに行くと、一杯お店があるが、ああいう、せせこましい感じはごめん。ララポートのようなゆったりした感じにして欲しいもの。




柏市民コンサート、田中先生初見参

2006年12月09日 22時00分12秒 | 合唱

プログラムの第一部を指揮される田中豊輝(とよあきと読むそうだ)先生が今日初めてお見えになった。
大門康彦先生の紹介では、静岡大学の合唱団を指導されているとのこと。なんで、静岡大学の名前が出てくるのかと思ったら、この大学、合唱コンクールに出るような有名な合唱団らしい。初めて知った。慶応ワグネルというのは聞いたことがあるが…。
  
今日の練習の感じ。一寸書いてみる。
 
田中先生の練習は、音取りが出来ている段階(出来ていない曲も勿論あったが)なので、音楽をどうつくっていくかという曲想のご指導が大部分だったように思う。大門先生は教え方がうまいが、この、若い田中先生もうまい! とにかく分かりやすい。どこをどうして下さいという、指示がはっきりしている。きれいに歌えなんて、そういうあいまいな言葉はない。ここはピアノでとか。ここは休止符があっても、休まないようにとか、具体的。
  
そして、褒めて、歌わせるという姿勢。なかなか策略が巧み!市民コンサートだから、誰でも参加できるメンバー。玉石混淆は当然承知しているだろう。親切指導というところか。
 
「バリハイ」はやはり音取りが難しく、出だしをミスした。で、これは音取りからやった。文句を言われるのかと思ったらそういうそぶりは全くなかった。しかしこの先生、音を取るとき、ピアノのここから拾えとか、ソプラノのここから拾えとか、音取りの指示が具体的だった。うーん、成る程。勉強になった。
  
わたしなど音が取れない典型の人間。大いに参考になった。そして、「移動ド」でやって下さいということも言っていた。現実、これでないと、わたしなど話にならない。
  
田中先生の略歴をみて驚いた。
見るからに若い先生だが、ついこの間の2000年国立声楽科卒業とあった。初見参の今日もジーパン姿。意識してこの姿で来たか? 先生がとびきり若くて、歌う方が、おじん・おばん(が多い)。変わった構図。若い静岡大学の合唱団を指揮をしている方が様になる気がする。

おじいちゃん!

2006年12月08日 15時16分35秒 | Weblog

大分、以前になるが、わたしの孫を柏高島屋のキッズコーナー遊び場(室)で遊ばせていたとき、他人様の小さな子が、何故か私の所にやってきて、何やらかやと、話しかけられたり、お相手をさせられた。横に家内がいても家内のところには行かなくて、必ず私の所に来る。たまたまそうなのかと思ったらそうではなくて、いつもそうなのだ。
 
つまりわたしは、幼児にもてるのだ。
 
昨日、「ららぽーと柏の葉」に行って、食事時、フードコートのある中華やさんの列に並んだ。前には7,8名が並んでいた。どこからともなく声がした。「おじいちゃん!」。列の中に小さな女の子がいた。その女の子がわたしに向かって、声を発したのだ。並んでいる他の7,8名には目もくれずわたしだけに。勿論、わたしの孫ではなくて、他人様の可愛い女の子。ウインクすると、もう一度、大きな声で「おじいちゃん!」。母親らしい女性のたしなめる声も聞き取れた。
 
ここでもわたしは、幼児に好意を寄せられたのだ。
 
ここで考えた。幼児には、わたしみたいなおじいちゃんの風貌なら、自分には安全だろう、という本能が、永年の積み重ねで遺伝子情報として、組み込まれているのではないか。或いは、幼児のご家庭でわたしみたいな風貌のおじいちゃんがいて、可愛がってもらっているのかも知れない。
 
とすると、わたしは、逆に、おじいちゃんとしてのそれなりの風貌をしているということになる。どこがそうなのか分からないが、白髪頭で、皮膚が汚れて、目がしょぼしょぼして。これも大分前だが、わたしの孫を抱いて、顔をくっつけて写真を撮ったことがある。可愛いのとそうでないのとが見事に写っていた。
 
おじいちゃん、になったのだ。
 
おじいちゃんは最高だ。可愛い孫世代にもてる。また、逆に孫世代を実に可愛く感ずるようにもなってくるのも不思議なり。