春夏秋冬

日々流されないために。

あと1ヶ月

2007年01月29日 17時41分02秒 | 合唱
レクイエムの本番まであと1ヶ月となった。焦ることこの上もない。しかし、もうこうなったらじたばたしても始まらない。いつの方法でやるしかない。つまり、歌えるところだけをしっかりやることだ。後は、出来る人が沢山いるので連中に任せることだ。
 
楽譜を見ても可
となった。ただ楽譜は常時見るのではなくて、あそこが分からない、ここが不安と言うときに見るようにとのコメントがあった。時々ヨーロッパの映像を見ていると教会などの合唱では、皆さん楽譜を見ているではないか。でも、第一部でやる各曲は暗譜だとのこと。こちらは、繰り返しが多いハレルヤの暗譜ができれば、いけるだろう。
 
昨日はJORDAN会合同演奏会、日程が重なる
男声合唱をやっている連中はみんな森のホールに行ってしまった。私はあんなのを聴いてもつまらないので、練習の方に参加した。で、集まったのはバスが5名、テノールが3名。合計7名。おかげで、いつも手厳しい奥野先生は、今日は男声陣に手心を加えて下さり、気持ちよく練習が出来た。
 
川の流れのように
きれいですね。この曲。特にアルトが何とも言えない。思うに、第一部は女声合唱でこのきれいな「川の流れのように」をやる。男声合唱は「運がむいてきたぞ」。酔っぱらいの歌。曲想だ対照的。で、思い切って、男声陣は三枚目を演じたらどうだろうか。ソロの方も、ところどころ音痴で歌ったり、声が裏返ったりして、散々な歌い方をする。合唱の方も、ノリノリで歌う。足を上げたってよろしい。こうすることによって、「川の流れ」もかえって、引き立つというもの。
 
2月はレクイエム漬けにならなくては!!!

流山市市制40周年記念式典に出席

2007年01月27日 14時23分10秒 | 合唱
今日、流山市市制40周年記念式典に出席し、流山市合唱連盟の人たちと一緒に、国歌、流山市民の歌、空だった、の3曲を歌った。練習していかなかったので、歌の方はいまいちだった。流山市民の歌と空だったは、コールJUNが流山市合唱連盟に所属している限り、これからも歌うことが多い。コールJUNでは、ほとんど練習しないが、こういう曲もわが団で練習して貰いと願う。他の合唱団では練習しているところもあるようだ。
 
楽曲は簡単なので、歌える人は楽譜を見たら歌えるようだが、私はそうはいかない。練習を積まないと歌えない。コールJUNは柏市所属の人が多いので、流山市に関連した歌はあまり興味がないかも知れない。しかし、流山市の合唱連盟に所属しているのだから、合唱連盟の仕事に協力するのは、当然の義務だと思う。
 
君が代は国旗に向かって歌う。国旗は合唱団の背中につり下げられていたので、壇上の議員さんを含めて全員が合唱団の方を見て歌った。合唱団だけは前を向いて歌ったので、全員が合唱団を見て歌うという一寸奇異な光景だった。
 
壇上には来賓として議員さんやらが並んでいたが、私は知らない人ばかり。歌を歌い終わって、そのまま引き上げた。功労者の表彰やら、いろいろ行事が続くのだろうが、興味がなく省略。コールJUNの連中と近くのコーヒ店で休憩した。
 
【後記】
合唱団が舞台の袖から入場するとき、私は先頭で入場したものだから、会場に来ていた旧知の人たちに見つかってしまって、後ほど、いろいろ声を掛けられた。で、合唱の方はどうでしたかと訊くと、少しは練習したのかね、と結構手厳しい答えが返ってきた。あああ!真面目にやらなければ!!!


坂本冬美ショー

2007年01月21日 09時11分27秒 | Weblog

一昨日、券を頂いたので松戸の森のホールで開かれた坂本冬美ショーを見に行った。坂本冬美は歌手だから聴きに行ったというのが正しいのかも知れないが、見に行ったと書いた方が雰囲気が出ている。勿論歌は抜群にうまくて、歌はそれ自身堪能させて頂いたが、それと同時に、演出がすごい。お客さまは大切!!という見せる演出、これに感心した。
 
途中、結構長い歌謡浪曲をやった。近松門左衛門の「冥土の飛脚」(飛脚問屋忠兵衛と遊女梅川の悲恋物語)だったが、熟女が大部分の観客に大いに受けていた。冬美演ずる、忠兵衛と梅川の二役。お涙頂戴の場面だが、こういうのがよいように思う。皆さん、何も高尚な音楽を好んではいないのだ。
 
3階席までの満員御礼。3階の後ろは立ち見の客がぎっしり。帰りにチケット販売所を見たら、夜の部の客が長蛇の列をなしていた。この前、四国に帰郷したとき、演歌歌手の田川寿美コンサートがあって、今日は、コンサートを聴きに行くので忙しい、チケットは8000円の高い席から売りきれる云々を聞いて、演歌は廃れない!と思った。
 
歌を聴いたが、なかなか聴き応えがあった。2時間の公演があっという間に終わった。歌った曲の中で「能登はいらんかいね」がよかった。今度カラオケで練習してみるか。


市制40周年

2007年01月15日 21時47分20秒 | Weblog
昭和48年(1973年)3月 流山市にわが家を新築した。昭和42年に市が誕生したのだから、わが家が移ってきた頃は、流山市もできたてのほやほやの時だったわけだ。市が出来て6年目ということ。勘定してみると、あれから34年が経過した。わが家もあと6年で40周年を祝わなくてはいけない。
 
これだけ流山市に長く住んでいると、わが流山市に愛着がわいてくると思うが、なぜか、わがふるさとの徳島ほど、気持ちが傾かない。何故なんだろう。やはり生まれ育って、幼い頃を過ごしたところが一番気持ちは落ち着くのかも知れない。
 
会社勤めの現役の頃は、流山市は単なるねぐらみたいに思っていたが、定年後、生涯学習で地域の人たちとコミュニケーションをはかっていると、段々この地に愛着がわいてきたことも事実だ。早い話、この1月27日(土)の市制40周年記念式典で、流山市合唱連盟のメンバーの一員として、式典を盛り上げるべく合唱を歌うこととなった。別用が有り練習をさぼったので、うまく歌えるかどうか分からないが、「流山市民の歌」と「空だった」の2曲。
 
流山市のホームページ 祝 市制施行40周年
http://www.city.nagareyama.chiba.jp/top/topic/40syuunen/40syuunen.htm
 
上を見ると、ああ懐かしい!!
故郷と呼ぶにはある程度時間が経過する必要がある。私にとって流山市は、もう一つの故郷になりつつある。

ヴァイオリン

2007年01月07日 21時49分17秒 | 記憶のるつぼ

今5歳のわが孫がヴァイオリンを練習している。ヴァイオリンという楽器、音程は指の位置で決まる。わずかな位置のずれでも、音程が狂うということになる。小児のうちからやっておかないと、ものにならない楽器だと思う。
 
実は、ヴァイオリンなる楽器、わたしがまだ子供頃、わが家にあったのだ。あれは、わが家が戦災に遭う前のこと。わたしがまだ小学低学年の頃だ。家の隅っこに楽器があった。これは何かと訊いたと思う。母親は、これはヴァイオリンという楽器だと答えた。
 
しかし親父はヴァイオリンには全く手を触れていなかった。母親に弾けるのかどうか訊いてみた。何やら、ひとつ弾ける曲があるといっていた。今、考えると、その曲は、演歌師が街頭で弾くような曲だった。そして、母親は、ヴァイオリンに対してあまり好意を持っていなかったように思う。
 
後年母親から聞いた話によると、一時期、父親は、一寸した事業が当たり、金儲けをした。そのカネで、当時めずらしい高価なオートバイを買って徳島県内駆けめぐったそうだ。ヴァイオリンもその時買ったものらしい。オートバイもヴァイオリンも母親には不評だった。
 
わが家のそういう昔のものは、しかし、戦災ですべて灰燼に帰した。


船酔い

2007年01月06日 13時58分08秒 | 記憶のるつぼ

昨年の暮れ、横浜で氷川丸を見学した際、説明では、氷川丸の冬の北太平洋航路、船がよく揺れたそうだ。わたしは平衡感覚に弱く、船だけでなく、飛行機や、遊園地のジェットコースターやティーカップなど、全くの苦手。
 
あれは、中学生の頃、クラス全員で鳴門から船に乗った。どこに行ったか今記憶にないが、そのときのわたしの状態は今でも脳裏に焼き付いている。どこでどうなったか分からないが、苦しい! 早く港に着いてくれ、早く陸に上がりたい。わたしは、吐くのを堪えながら、船の舳先でうずくまっていた。級友が嘲笑するように、私を見ていた。
 
ある時、東京港から徳島港までフェリーに乗船したことがあった。夕刻出て翌日昼徳島に着くフェリーだった。船に乗り込んだ途端、船が揺れているように感じた。まだ、東京港に停泊していたときだ。船が出航した。東京湾内ではさほどでもなかったが、外洋に出ると、少し揺れてきた。
 
わたしは、急いで、船の中央部にあったインフォメーション・センターに行った。「船が揺れてきましたね。何か船酔いのクスリはありませんか。」と、案内嬢に訊いた。彼女は言った。「え? 船が揺れていますか? この程度は、揺れているのではないですよ。」「そうだね。大したことないけど…。」 男の手前、そう答えるしかなかった。
 
「こういうのならあります。」 彼女は小さなカプセルを後ろの棚から出して、哀れむように渡して呉れた。わたしはそのカプセルを懐に入れて、部屋に戻ってきた。船の揺れは、その後も、その程度で推移した。わたしはカプセルを貰ったことで安心したのか、いつの間にか睡眠。目が覚めると、もう紀伊半島の潮岬を回っていた。


焦るレクイエム

2007年01月03日 20時24分24秒 | 合唱

年頭の抱負なんか書ける余裕がない。3月4日柏市民コンサートに出ることになっているモツレクが全然、出来ていない。あと2ヶ月、舞台に立てるのか。諏訪神社のおみくじは大吉。いけると思いたい。
 
思えば、昨年5月、柏市民コンサートの募集があった。モーツアルトのレクイエム。市民コンサートだから、市民なら誰でも参加できる。新米でもオーケーのはず。そのとき、合唱を始めて、半年の頃だから、モツレクがどんなものか、さっぱり分からない。気楽に考えて、家内とともに応募した。
 
ところが、入って練習を始めてみると、様子が全く違う。市民なら誰でも応募できるはずだが、周りの人たちを見ると、音楽をやっている人が多い。この前、練習の時、横で座っている人に、レクイエムというのはモーツアルトの他に、フォーレのレクイエムもあるらしいですね、と訊くと、ええ、あります。今楽譜を持っていますよ、とカバンからフォーレの楽譜を取り出した。カバンに2つのレクイエムの楽譜を持ち歩いているこの男は何者だ? と思った。
 
ドイツ人がパート別のモツレクを歌っているCDを紹介されて購入した。しかし、聴いてみたが、参考にならない。あんな声が出るはずがない。かえって、自己嫌悪に陥るだけ。日本人が歌っているのはないか。ありました。papalinさんという人が一人多重録音で歌っている。全パートを一人が歌っているのだ。この前「歌日好日」で書いた「自由の歌」は、男声合唱曲だから成る程と納得できるが、この人のモツレクを聴いてびっくりした。
 
なんと、ソプラノの声も出している。あれって、ほんとうなのだろうか。裏声で出していると思うが、よくまあ、そこまで。という感じ。それはさておき、この人の、ベースの歌が参考になる。この前、大門先生にカーンと鐘一つだったコンフターティスのところ、聴いてみた。こんな風に歌えれば最高だが、これもレベルが違いすぎる。しかし、練習の見本にさせて頂いて、時々聞いてみるかな。



2007年新年

2007年01月02日 10時32分57秒 | Weblog
迎春
 
平成19年。今年は亥年。わたしの年。何回目か忘れた。
諏訪神社でおみくじを引く。大吉なり。行い正しくすべし。
 

絵皿  
「丁亥の図」(ひのといのず) 森 佐馬尉(日本画家)筆。
イオンで貰ってきた福皿なり。きれいだ。