春夏秋冬

日々流されないために。

流山第九アナウンス

2007年03月28日 17時34分59秒 | 合唱
いよいよ流山第九がアナウンスされた。演奏会は12月15日夜と16日昼の両日。2回に分けてやるそうだ。流山市市制40周年記念ということで、合唱団は流山市民を対象とするが近隣地域の方も可ということ。
 
前項で述べたように、今気管支の状態が悪く、まともに声を出して、歌えるような状態ではない。入っていた合唱団を辞めてしまい、もう一つの方は休会してしまった。熱心に教えて頂いている先生方をはじめ、皆さんに申し訳なく思っている。が、第九となれば、別。万難を排してやりたい。
 
私の郷里は徳島。しかも第九発祥の地・板東はなじみのところ。ここからそう遠くないところで私は誕生した。合唱をやるなら、残り少ない人生だ、第九を覚えて、郷里で歌いたい! この前。おおーい日本!といBS2の番組で「徳島」が取り上げられ、阿波踊りや、脇町などまあ、普通のところの紹介のなかで、なんとオペラ徳島というのがあった。え?なんだこれは、と思ったら、そこで板東第九をやっていた。しかもその時の指揮者が、柏フィルハーモニー合唱団の神尾昇さんというひと。この方、小豆島のご出身とか。
 
四国ご出身の方も近いところにいるものだ。この合唱団、10月13日(土)柏市民文化会館で演奏会を開く。曲目は、デュリュフレ作曲の「レクイエム」。これは是非聴きに行ってあげなくてはならない。



体調悪し

2007年03月26日 21時14分10秒 | Weblog
このところ咳と痰に悩む。もう、1ヶ月も続いている。今日、東葛病院に行って相談する。少しずつステップを踏んで、解決していきましょう、とのこと。何が原因かを。医師は、ひとつずつ、つぶしていくようなことを言っていた。大分、日にちが掛かるようだ。
 
待合室の横で、「東葛健康友の会に入りませんか」と誘われ家内の分も入会した。一寸した歩こう会や見学会をやっている。そして、なんとコーラスもやっている由。患者さんのリハビリも兼ねて、前向きに向き合いましょうということで、声を出しているのだそうだ。会員数はもっと多いのですが、今来ているのは、30名程度です。男声が少なくて困っております。
 
「指導者はどなたのですか? 」
「唐沢昌伸先生です。」
「えー? フォンテの…」
「フォンテをご存じ? ですか。コーラスおやりになっているのですか? ならば、是非入って下さい。今、千の風にのってを2部合唱でやっております。」
「先生は厳しいのではないですか? 」
「いえ、とってもお優しいです。先生も私どもの健康友の会の会員で、使命感でやっておられるようですよ。」
 
体調がよくなれば覗いてみるかな。
 


ロハスな生活

2007年03月24日 16時55分56秒 | Weblog
2007年フラワー&ガーデンショウ(幕張メッセ)を観る。車で行ったが、柏から幕張まで結構時間が掛かる。特に船橋我孫子線が猛烈に混む。帰りは16号。こちらが少し楽か。
 
このショウは、種屋さんや園芸業者の展示会なり。花のオークションや即売会があり、まずまずの入りだった。
 
ところでパンフレットに「LOHASな生活」という文字があった。これはどういう意味だろうと、係の人何人かに訊いてみたが正確に答えられる人がいない。これは、フランス語だよ。「ゆとり」とか「余裕」といいた意味だ。いや違う、何とかかんとか…。結局事務局まで行って、ようやく分かった。「Lifestyles of health and sastainability」の略だそうだ。
 
日本では、「ロハス」というカナ字のことばで数年前から使われはじめた由。元々はアメリカから来た言葉らしいが、アメリカの普及度はどうですかね。分かりませんという答えだった。環境に優しい生活スタイルという意味だ。ロハというと、私はすぐ只を思い出す。ケチケチ生活ではなかった。
 




田中一村の絵画展

2007年03月22日 20時59分40秒 | Weblog
昨日のお彼岸の好日、野田市・野田橋近くの報恩寺でやっていた、田中一村絵画展を見に行った。この寺は、豊山派真言宗、お大師様のお寺ということで、四国出身の私としては非常に親近感があるお寺だった。住職の話では600年続いている由。
 
展示されていた一村の絵は、若い頃の日本画。17歳から21歳ころの絵だったが、晩年の絵を彷彿とさせるデザインタッチ風な日本画になっている。もう一つは、蓮の花をかいた天袋絵。これもすばらしかった。一村そのものだった。
 
この寺所蔵の曼荼羅絵は風格があった。畳2畳ほどもある大きな曼荼羅絵が2つつり下げられていた。江戸時代のものだとのこと。
 
帰りに鐘突き堂でゴーンと一突き。まだ余韻が残っている間に、急いで、鐘の中に頭をつっこみ、鐘の音を確かめていたら、横から、アインシュタインですね、と見知らぬ方からの声が掛かった。鐘の中の音は、実際、急に減速されていた。
 


VOCALOIDなるソフト

2007年03月21日 18時42分33秒 | Weblog
VOCALOIDは、YAMAHAが開発した歌声合成システム。説明によると「実在の歌い手の声をサンプリングして、音素に分解したものを、自由に組合わせて「歌声」を作っていく」というもの。
 
実に面白いソフトだ。ネットで調べただけだから中身は分からないが、サンプルの音はmidiとは比べものにならないくらいの優れもの。本物の歌い手が歌っているように聞こえる。このVOCALOIDで製作した宮澤賢治「水汲み」(高田三郎:作曲)をネットで聴くことが出来る。URLは下記。この記事では、作曲家高田三郎の歌い方に関するコメントまで出ている。
http://www.ihatov.cc/song/takata.html
 
どうですか。うまいものだ。ただ、かちっとし過ぎて、ゆらぎがない。はじめは、あれ!すばらしい!と一瞬思うが、聴いているうちにロボットが歌っているような、無機質な肉声が一寸気に掛かってくる。そして、繰り返し聞くと、味わいが今ひとつかな。今一歩だ。しかし、あと一歩が難しいだろう。
 
上で述べた実在の歌い手をわが合唱団員の声にしてつくるとどうなるんだろう。わが合唱団が楽譜通りに歌う完璧な合唱が出来上がる。合唱団も人数が多くない方がよい。個々人の声が聞き取れるくらいの人数構成がよい。これで、本物とVOCALOIDを聞き比べると面白い。

 

映画「スカラ座の怪人」を観る

2007年03月15日 20時29分35秒 | 合唱

昨日の「マリア・カラス」に続いて今日は、「スカラ座の怪人」をおおたかの森SCシアターで観る。ミュージカルの映画化で、セリフが全部歌になっている。オペラみたいなり。

ソプラノ歌手の声のきれいなこと!この前のマリア・カラスのソプラノとはまた違った実にきれいな声だった。相手役の男声のテノール。よい声だった。怪人役のバス。これもすごい声。迫力がありました。こういう役をする声質は、やはり、圧倒的な声量というものが必要。誰でも出来るものではないワイ。
 
パリ・オペラ座の話なのに、セリフは全部英語。さらに、物語は荒唐無稽な話で、どう考えても無理なストーリー。ただただ、ソプラノさんのきれいな歌声が耳に残った映画でした。
 
帰りに高島屋食品館でサンドイッチを買って帰った。これが実においしかった。パンカッターも開店記念で付けていた。ここは近くてよい。柏まで行かなくて済む。

映画「永遠のマリア・カラス」を観る

2007年03月15日 09時58分50秒 | 合唱

昨日、おおたかの森S Cシアターで、映画「永遠のマリア・カラス」を観た。ソプラノ歌手・マリア・カラスが50歳代に入り声が出ない。でも、プロデューサーは、声だけ若いとき録音していた声を使いオペラ「カルメン」のすばらしいDVDをつくる。しかし、最後の最後になって、こういうインチキはやりたくないという彼女の願いで折角つくったDVDはお蔵行きとなるという話。
 
映画ではこのDVDをつくる課程において、カルメンの舞台がふんだんに出てくる。音楽は若いときのマリア・カラスの声、ここのあたりが、面白かった。オペラを観ているような錯覚を覚えるほど。マリア・カラスを演ずる女優ファニー・アルダンがうまい。本物を知らないので、彼女をそうだと思ってしまう。フラメンコを踊るシーンなど、なかなかのもの。こういうプリマドンナの役、カリスマ性が必要だがピッタリだった。
 
ソプラノ歌手は50歳を過ぎるともう使い物にならないものなのだろうか。熟年合唱団では、ソプラノを歌っている女声たちをみると、50歳はかなり前に過ぎ去ったような方たちが結構おられて、歌っておられるが、彼女たちはマリア・カラスを越えているということなのだろう…。え?レベルの問題?そうでしょうか。
 
オープン記念と言うことで、500円也で観られた。大勢行っているのかと思ったら、正に閑散。観ていたのはほとんど女性で、20~30人ほど。がらがらだった。
 


おおたかの森SCオープン

2007年03月10日 20時53分44秒 | Weblog

おおたかの森SCは3月12日に正式オープンするが、今日10日は、プレオープンという名目で、既にやっていた。スーパーは安売りをしていた。
 
まだ、よく分からないが、ララポートより狭い感じがする。つまり中にはいると圧迫感がある。ゆったり感がないということ。また、一寸休憩するところが少ない。ララポートは、至る所にあるのに。うーん、こういうところがいまいち。休憩に行くところではないが、一寸休憩したいと思うこともしばしばある。
 
 

まわりの人とのアンバランスがあり、まだ何となくしっくりいかない。お店の意気込みは高度なものを狙っているようだが、今日来ている人たちはプレオープンということもあり、ご近所の皆さんで普段着。
 

駅からの通路。きれいにできている。雨が降っても大丈夫。ここはララポートよりよろしい。


 

レクイエム雑感-楽曲

2007年03月09日 21時58分49秒 | 合唱

先ず第一に、媚びない音楽だと思う。内面に深く向かう音楽、これがよいですね。ちゃらちゃらしていない。では、媚びるのと媚びないのとどこが違うのかと、正面から問われると返答ができない。なんとなく、感じで、というしか答えられない。でも、どちらが好きかという答えはいつでもできる。レクイエムは大好きだ。
 
この前の時には、私はバスのパートで歌ったが、レクイエムという曲、バスのためにつくったのではないかと思うほど、バスのメロディが優遇されている。出だしほとんどバスのパートから歌い出す。それがまた、キーポイントになっていて、バスパートの歌い手としたら堪えられない。レクイエム研究家というのが沢山いて、彼らによると、モーツアルトは先ずバスのパートを書き、上のパートをそれに合わせるように書いたという。レクイエムは死者を送る曲。音が低いところの楽曲となるのであろう。以上、勿論全くの私見なり。
 
楽曲の意味をもう少しやって欲しかった。先生から、楽曲を訳したパンフレットを頂いたが、頂いただけで、それの説明がなかった。勿論歌の練習時間が大事なので、歌詞の説明まで手が回らないということもあったが。でも、もう少しあってもよかったのではないか。内容が分かると、これによって歌い方も変わるだろうから。
 
先生が時々おっしゃっておられたが、死者を送る歌としては、ラッパが入ったり、猛烈にテンポの早い曲があったりと、極めて多彩で、明るい。日本のお経に相当するが、イメージは全く異なる。葬送曲ながら、極めて楽天的な曲。モーツアルトらしい曲と言える。
 
レクイエムは、モーツアルトの他に、ヴェルディ、フォーレ作曲もあり、この3つが3大レクイエムというのだそうだ。この3つとも歌ってみたい。先短いので、私の命が朽ちるまでに歌えるかどうか。フォーレのレクイエムはこの前、柏市合唱連盟でやっていた。もう少し早く合唱に目覚めていたら、これに応募するのだったのに残念。



レクイエム雑感-練習

2007年03月08日 21時03分53秒 | 合唱

3月4日のレクイエム本番が終わり、今回の柏市民コンサートを、少し整理してみる。今回が5回目だそうだが、前回はベートーベン第九。ほとんどの方が第九を経験していた。前回の頃は、私は全く合唱に興味がなかったので、第九があることすら知らなかった。今思えば残念だった。参加しておけばよかった。音楽の本筋だし。
 
でも、レクイエムもすばらしい音楽で、私好みの音楽で非常によかった。はじめからレクイエムがよかったわけではなく、やってみてすばらしい音楽と認識した。大体レクイエムがどういう音楽かも知らなかった。ある知人がレクイエムはやっておいて絶対損はないぞ、今回終わってもまた、どこかで必ずやるから、また歌えるのだ、と言った。その言葉で参加した。
 
さて、練習の話。昨年5月からはじめたレクイエムの練習、10ヶ月の長期に亘った。大体週1回程度の練習が続いたが、女声のみの練習というのが、やたらと多い。勘定してみると混声を含めて、女声は55回もあった。それに比べて男声は全部出ても35回。なんと20回も差がある。何故こんなに差をつけたのだろう。最後になって、出来が悪いのは男声の方になり、男声陣、かなり荒削りのまま、本番突入となった。
 
次は、すごい先生方の熱意。練習時間は3時間だが、先生方のヒートアップがすごくて、しばしば3時間をオーバーしそうになる。途中一寸休憩を入れることもあったが、大門先生は、トイレなどの場合には各自自由に行って下さいと、3時間、ぶっ通しでやった。つまり休憩なしだ。奥野先生も、あ、もうこんな時間?といつも3時間ぎりぎりまで練習をやって頂いた。
 
まわりは知らない人ばかり。でも、今年にはいると名前が分かりかけた。男声陣はフロイデの方が多かったが、そうでない方もいた。特定の合唱団には入っておりません、こういうときだけ歌いに来ます、という人もいた。途中まで来ていたがそのうちに来なくなった人もいた。
 
歌える人は、後半、段々分かってくるもの。特定の合唱団に入っていない人でも、すごく歌える方がおられた。全体として、どうだろうか、まともに歌えるひとは三分の一ぐらいかな。あとは私を含めて付いて歌う方。テノールの方は一寸よく分からない。
 
10ヶ月の長丁場だと思って安心するといけない。ある人が直前、テープを一生懸命聴いていた。熱心にやっていますね、というと、いつもギリギリになってやり始めるのだ。もっと前からやっておけば苦労しなくて済むのに、と漏らした。でも、前からこうは、できないんだろうな。私も同じ。直前にならないと、気持ちが乗ってこないのだ。