春夏秋冬

日々流されないために。

ヴァイオリン

2007年01月07日 21時49分17秒 | 記憶のるつぼ

今5歳のわが孫がヴァイオリンを練習している。ヴァイオリンという楽器、音程は指の位置で決まる。わずかな位置のずれでも、音程が狂うということになる。小児のうちからやっておかないと、ものにならない楽器だと思う。
 
実は、ヴァイオリンなる楽器、わたしがまだ子供頃、わが家にあったのだ。あれは、わが家が戦災に遭う前のこと。わたしがまだ小学低学年の頃だ。家の隅っこに楽器があった。これは何かと訊いたと思う。母親は、これはヴァイオリンという楽器だと答えた。
 
しかし親父はヴァイオリンには全く手を触れていなかった。母親に弾けるのかどうか訊いてみた。何やら、ひとつ弾ける曲があるといっていた。今、考えると、その曲は、演歌師が街頭で弾くような曲だった。そして、母親は、ヴァイオリンに対してあまり好意を持っていなかったように思う。
 
後年母親から聞いた話によると、一時期、父親は、一寸した事業が当たり、金儲けをした。そのカネで、当時めずらしい高価なオートバイを買って徳島県内駆けめぐったそうだ。ヴァイオリンもその時買ったものらしい。オートバイもヴァイオリンも母親には不評だった。
 
わが家のそういう昔のものは、しかし、戦災ですべて灰燼に帰した。


船酔い

2007年01月06日 13時58分08秒 | 記憶のるつぼ

昨年の暮れ、横浜で氷川丸を見学した際、説明では、氷川丸の冬の北太平洋航路、船がよく揺れたそうだ。わたしは平衡感覚に弱く、船だけでなく、飛行機や、遊園地のジェットコースターやティーカップなど、全くの苦手。
 
あれは、中学生の頃、クラス全員で鳴門から船に乗った。どこに行ったか今記憶にないが、そのときのわたしの状態は今でも脳裏に焼き付いている。どこでどうなったか分からないが、苦しい! 早く港に着いてくれ、早く陸に上がりたい。わたしは、吐くのを堪えながら、船の舳先でうずくまっていた。級友が嘲笑するように、私を見ていた。
 
ある時、東京港から徳島港までフェリーに乗船したことがあった。夕刻出て翌日昼徳島に着くフェリーだった。船に乗り込んだ途端、船が揺れているように感じた。まだ、東京港に停泊していたときだ。船が出航した。東京湾内ではさほどでもなかったが、外洋に出ると、少し揺れてきた。
 
わたしは、急いで、船の中央部にあったインフォメーション・センターに行った。「船が揺れてきましたね。何か船酔いのクスリはありませんか。」と、案内嬢に訊いた。彼女は言った。「え? 船が揺れていますか? この程度は、揺れているのではないですよ。」「そうだね。大したことないけど…。」 男の手前、そう答えるしかなかった。
 
「こういうのならあります。」 彼女は小さなカプセルを後ろの棚から出して、哀れむように渡して呉れた。わたしはそのカプセルを懐に入れて、部屋に戻ってきた。船の揺れは、その後も、その程度で推移した。わたしはカプセルを貰ったことで安心したのか、いつの間にか睡眠。目が覚めると、もう紀伊半島の潮岬を回っていた。