東京-九州間の夜行寝台列車、「あさかぜ」が今日で最後とか。あさかぜは仕事でよく利用した。風格のあるよい車両だった。ニュースによると、最近の乗車率は3割とか。やはりこれでは採算が取れないだろう。 夜行寝台は郷里が四国であった関係で、いろんな思い出がある。 もう、うん十年も前のはなしで恐縮だが、郷里の四国に帰るときは、よく寝台列車「瀬戸号」を利用した。この列車は岡山で山陽本線を離れて宇野まで行き、ここで、宇高連絡船に列車ごと乗船し、終着駅の高松に着く。昔は会社の休みが少なかった。帰郷できるのは、盆か正月。しかも、休みの日数が少ない。正月休みは、暮れの31日から1月の3日まで。皆さんがそうだから、その混雑ぶりは想像を絶する。寝台は勿論、指定席も取れない。自由席で帰った。 自由席の向かい合わせのボックス席など座れるはずがない。通路に立つわけだが、一旦そこの場所を確保すると、もうそこを離れることはできない。満員電車と同じ状態。人人人でトイレにも行けない。その状態で一晩揺られながら夜を明かすことになる。途中で降りる人は、通路を通れないから窓から降りるということになる。 大阪まで来ると、たくさん下車する。大阪までの辛抱だったように思う。そのときは全く考えたこともなかったが、今考えると、女の人は大変だったろうと想像する。 上京するときも状況は同じことで、とにかく、東京から四国の徳島に帰るのは大変なことであった。独身時代は、やはり郷里恋しく、無理しても毎回帰ったように思う。 宇高連絡船も今はない。明石海峡大橋が出来ている。東京からだと、今は飛行機であっという間に徳島空港につく。あまりにも便利になりすぎて、交通機関のありがたみが薄れてきたような気もする。 |
最新の画像[もっと見る]
- チューリップの花 17年前
- 千住は古い町 18年前
- 千住は古い町 18年前
- 千住は古い町 18年前
- 野田報恩寺にて野点 18年前
- おおたかの森SCオープン 18年前
- おおたかの森SCオープン 18年前
- 2007年新年 18年前
- 流山おおたかの森駅近況 18年前
- 流山おおたかの森駅近況 18年前