馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

イタリアから、羽ペン、ガラスペン入荷。

2017-02-22 15:49:32 | 日記

2月21日(火)

イタリアから、ダライッティステーショナリーが届いた。

14日 バレンタインデーの前に在庫切れになり

販売増を逃がしてしまった。

  

トランプオジサンの、限りなき声明で

世界中が右往左往。

その発言で為替も右往左往した。

円高を読み切れず

小出し手配をしたので

忽ち、羽ペン、ガラスペンが品切れ。

取引先にご迷惑をお掛けした。

 

トランプさんが、グローバル経済を理解する頃には

首になってるかも?

 

その後の後始末は誰がするの?

食料品高騰は、弊社の贈答品には悪影響。

 

前年に比べて、包装依頼が少ない。

リボン包装料金を頂いているが

少しでも安く購入したいお客様の気持ちは分かる。

 

デパートで購入すれば包装はサービスだが

単価は高い?

 

これから ホワイトディー、入学祝品の依頼が

増加するが、トランプさんの喚きで

価格が決められない。

 

困った 困った。

 

アマゾンショップ


会津若松 君の名は?え!本名?

2017-02-22 14:14:15 | 日記

 

2月14日(火)

会津若松からの帰り道

 

続き

 

アニメ映画 君の名は。

大ヒット中

見てはいない。

少年少女の出会いを描いたストーリーはネットで知った。

昭和20年代 街にはアメリカ兵がうろついていた。

父親は、アメリカが接収管理する軍需工場で働いていた。

戦車を作っていた。

その頃、私が小学校低学年だった。

母親は映画館で働いていた。

今で言う、パート勤務。

館内を籠にお菓子、アイスキャンディーをいっぱい詰めて

客席を回り販売するのだ。

私は学校を終えると、母親が働く映画館に行き

仕事が終わるまで、一番前の空席に座って待っていた。

母親は、時にはアイスキャンディー、煎餅をくれた。

当時 大人達は、映画 「きみのなは」を井戸端で話題にしていた。

漢字も読めない、頭の成長が遅い私は理解できなかった。

きみのなは これが一つの単語?

それとも、きみのなは と呼ばれる縄があるのかと思った。

 

映画館の前席でアイスキャンディーを舐めながら

白黒画面に出てくる、男と女を見ていた。

なんだか、さっぱり分からない。

帰り道、母親に何の映画と聞いた。

映画は、「きみのなは」だと言った。

中学生になり、「君の縄」ではなく

「君の名は」であることを知った。

 

大学生になり、出会いの数寄屋橋が有楽町にあり

既に 数寄屋橋はなかった。

そして、今 車の助手席でうつらうつらしていた。

運転する先輩が、「会津若松城を見学するか」と言った。

 

私は、「遅くなるからいいですよ」と言った。

 

通り過ぎる会津若松市内の街並みを眺めながら

50年前の1日の出会いに想い馳せた。

 

 

 

ブログでは、彼女の名前を伏せた。

先日、古民家を所有する先輩に尋ねた。

「この辺りの姓は ○○がありますか」?

「おお 大勢いいるよ」

「面白い名前だね」

帰宅後、ネットで調べるとこの地方には、かなり多い姓であることを知った。

 

今 この時 市内ですれ違っても、彼女だとは分からないだろう。

何処か遠い町に嫁いだかしれない。

既に亡くなっているかもしれない。

 

その夜 彼女に 君の名は ?

と尋ねた。

 

Strangers in the Night (夜のストレンジャー) / Frank Sinatra cover takashi

恥ずかしそうに、瞳を伏せ

旅館の便箋に書いたのだ。

 

え! それ 本名?

 

「読み方は違うけれど

ホンナ と言うの」

 

青春の未来像を描けない焦燥と

切ない甘美な想いが交差した一夜だった。

 

50年前の出会いと別れだった。

 

森田 公一とトップギャラン - 青春時代

 

 

 


会津若松 古民家から帰京。

2017-02-19 23:14:28 | 日記

2月14日(火)

会津 古民家から 帰京へ。

朝10時 車上の雪を落とし出発。

会津 古民家6

山岳部先輩は、残って片付け。

今年4月末には、賃貸する。

賃貸人が2年後購入する契約。

 

4月中に、もう一度訪問したいな。

有名なお寺で参拝。

 

会津若松市内に入る。

積雪はない。

 

田楽味噌で有名な店で昼食。

 

 

コースを頼む。

炭火で丁寧に焼く。

  

地酒を戴く。

会津 田楽刺し

運転する山梨の先輩は、ノンアルコールビール。

申し訳ない。

 

帰途は常磐道を走る。

会津磐梯山の頂きは、雲に覆われて見えず残念。

 

会津帰路

助手席で寝入ってしまった。

席の命名からすれば、運転される方の

居眠り防止と危険回避を行う義務があるのだが

先輩に運転を任せる。

20代の頃、先輩家族3人を南紀和歌山から

一昼夜 一人運転して鎌倉の自宅に届けたことあったな!

 

18時 船橋の自宅着。

エントランス奥

ロビーで妻が待っていた。

テーブルで、数分の会話。

山梨の先輩とは、15年以上も会っていない。

妻の仕事では、大変お世話になった。

 

先輩達は、更に東関道に向かい。

自宅には21時過ぎに着く。

 

今日はバレンタインデーだが

妻の誕生日でもある。

 

娘が買ったショートケーキがあった。

 

 

 


古希 70歳を実感。

2017-02-19 15:53:32 | 日記

2月13日(月)

会津若松 雪に埋もれた古民家での酒籠り

 

続き

 

中国の言葉


幼き時、物事知らず
老いては白髪老人、体弱く
若い頃 青春は一瞬の光芒か

若い頃 人間が体苛め
老いては 体が人間苛める。

 

寝床に就いた。

3人布団の真ん中だ。

少し、足が冷たい。

二人は、直ぐに、老齢のイビキがし出した。

なかなか 寝付けなかった。

 

今日の一日を反芻する。

 

皆、年取ったのだ。

温泉で倒れる者。

炬燵で突然 意識を失いそうになう者。

酒豪の山岳部先輩は、酔いで居眠りを始める。

 

山岳部先輩とは、体育会山岳部では4年と一年の関係で

公式合宿は1年足らずだったが

厳冬期 立山から槍ヶ岳縦走が成し遂げた

 

 八幡平

その後、先輩が卒業してから二人での個人山行。

積雪期八幡平縦走

 

 

厳冬の尾瀬ヶ原縦走

先輩とスキー板、かんじき、ピッケル、アイゼン、

わずかな食料で、雪洞で休み走破したのだ。

 尾瀬ヶ原

温泉に浸かる先輩の足腰は

当時の強靭な筋肉は衰えていた。

キャンパスでのトレーニングでは

長距離走は、一番早かった。

 

今日、炬燵で酒を飲みながら訊ねたのだ。

周囲の山は登らないのですか?

先輩は、首を左右に振った。

無言の動作に得心。

 

整備された登山ルートもなく

村人も入山しない雪山で

遭難すれば、捜索は不可能、救助は困難。

 

積雪のないシーズンであっても

登山道は無く、視界もなく

昨年も山林従事者が熊に右腕を食いつかれた。

単独行はできない。

 

近頃の中高年の遭難は、若い頃からの登山経験が少ないため

危険への察知度が低い。

 

航空会社リタイアした方は、地元の楽団でビオラを弾き団長。

数年前 映画にも出演。

 

一人は、イタリア人の義息子の工芸製作を手伝い

 

先輩は、今でもゴムの加工業をしている。

そして、3人とも、糖尿を患っている。

私が体力的には元気だが前立腺癌発症。

 

気持ちだけは、青春だが

肉体の衰退はいかんともし難い。

 

夜半 尿意で目覚める。

玄関を開け、月明りに煌く雪面に

向かって放尿した。

子供の頃、雪面に小便するのは面白かった。

 

雪面に放尿を始めると、放物線が

雪を溶かし、黄河の谷のように

黄色の峡谷を形成。

男だけの爽快感だ。

 

お休み!

 

  北アルプス 前穂北尾根

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


会津若松 雪に埋もれた古民家で酒籠り。

2017-02-16 19:14:07 | 日記

2月13日(月)

古民家到着からの続き

 

雪の古民家

朝8時半 目覚めると早速 朝酒。

石油ストーブの燃料なくなった。

 

先輩オジサン 二人が雪道をよろよろ歩きポリタンクを運ぶ。

会津古民家5

固まっていない雪に足踏み入れてひっくり返る。

会津奥只見3

昼 車で温泉に向かう。

会津 古民家6

周辺には、温泉が点在。

只見川沿いの露天風呂に浸かる。

 

裸で寒中の渡り廊下を急ぎ足。

雪見温泉は、心身癒される。

只見川を渡る列車の雪景色は、台湾人には人気がある。

 

入浴中 一人がのぼせて ひっくり返る。

 

休憩室で寝かせる。

温泉を出て、町場まで食糧買い出し。

午後3時から、又飲み始める。

互いの人生を振り返る。

山岳部の先輩は、農業関係の出版社に勤め

日本の農村を回った。

退職して、山小屋でバイト。

自動車の車体メーカーで組立の仕事をする。

その後、ゴム会社に勤めた。

ゴム会社のサラリーマン時代に職場結婚

私が結婚式の司会をした。

そして、独立してゴム加工の会社を設立した。

私も、ノンスリップマットを製作して頂き

展示会で販売、大いに儲けた。

自宅のある埼玉と福島を行き来して

現在も現役で仕事。

もう一人の恩人は、自動車関連団体に勤めた。

順調なサラリーマン生活だったが、退職数年前

不祥事に巻き込まれ、部長級から

係長に降格した。

新宿駅ホームで突き飛ばされ転落。

瀕死状況から生還した。

人望もあり、忍耐強い気質なので定年退職。

ナショナルフラッグの航空会社勤務の方は

定年間際、倒産危機に遭遇して

年金が減額されたが、世間相場から格段の年金支給。

ご当人も、給与、福利厚生 全てに恵まれていましたと述懐。

ご当人は、温厚で出世しなかったそうで

昔の教育ママにしごかれ

K大附属中から大学。

コネで就職。

又 娘二人は東大を出た。

恵まれた人生。

そんな方もいるのですね。

会話の中で驚いたのは、私の中学時代3年間

一緒のクラスで住まいも横隣に道路向かい女性と

羽田勤務時代一緒だった。

その女の子は、中学で一番綺麗と言われ

お勉強も出来た。

私が弁当を学校に忘れると持ってきてくれた。

地元の国立大学を出てナショナルフラッグの航空会社に就職。

グランドホステス業務に就いた。

社内でも、華やかで注目されたそうだ。

私は、小生意気な少女だったので苦手だった。

早くに両親亡くして、社内結婚して

今でもそこに住んでいる。

私も波乱万丈人生を継続中。

 

この日も終日飲み続ける。

 

近辺の散策もせず、夜半 雪明りの寝床に入る。