馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

北アルプス穂高 凍死。それでも人生にイエスと言えますか?

2020-10-31 07:29:38 | 日記
10月29日(木)トランス作業に集中していた。

一休みして書棚を見渡した。
一番下の段 端に茶表紙の本を見つけた。
表題 「四季 鈴木英夫想い出の文集」

昭和48年12月23日 厳冬の北アルプス穂高岳にて
吹雪の中、凍死した後輩の遺稿集だ。


トランス作業稼働中の合間合間に断片的に捲り読みした。

その年の夏に北アルプス穂高前尾根で同期が滑落死した。

穂高北尾根滑落死

同期は卒業後 高校山岳部OB会としての登山であったが

彼は大学公認 体育会山岳部現役部員であり
冬山合宿も届けてあった。

穂高頂上を目指して森林限界線を越えてところで
猛吹雪に遭遇。
視界ゼロの白い闇の稜線で部員と離れてしまった。
山小屋50m近辺で立った状態で凍死。
詳細は語れないが、羽田空港から
ヘリコプターで麓まで移送した。

誤解される方もいますが、公的機関による
救出救援活動はありません。
一般的なハイキングコースでのハイカー事故であれば
救援活動はありますが、本格的登山による
遭難事故には、公的救助はある。
全ては、家族、その関係者が自助により
費用等も負担します。
所属団体に依頼、山岳保険も加入
ヘリコプターを30分チャーター費は50万円。

遭難時は私は既に社会人であり、現役部員との接触は
殆どなかった。

記憶に残るのは、穂高合宿出発前に
渋谷道玄坂の居酒屋で二人で飲んことだ。

経緯は憶えていないが、私が1年部員だった時


彼は憧れる厳冬の北アルプス縦走に目を輝かせて聞きいった。
帰り際 彼が腕時計を持っていないのに気づいた。

私は自分がしている腕時計を貸した。
「戻ってきたら返せばいいよ」。
「冬の穂高山行を聞こう」
渋谷駅で別れた。
彼も腕時計も戻らなかった。

浜松の鰻養殖業を営む
心優しいお坊ちゃまであった。
「みんな逝ってしまったな」
73歳の体に夜の秋風は
白馬岳での凍傷の記憶を
そろそろ足の親指が思いだす。



以下遺稿文集抜粋。












午下がりのサンチョパンサ
それでも人生にイエスと言えますか?

日記
2020-10-29 21:34:36


随分前の話。子供を失った親……について書いた感想があった。自分ではない誰かの、しかし現実に生きている人に起きた悲劇だ。
僕は……『それでも人生にイエス』と言えるか?今一度、想像してみた……。
父親が幼児を車に乗せて出掛け、ほんのちょっとした隙に居なくなった。
そして哀しい結果となった。
また、学習院大学の山岳部の四年生キャプテンと一年生の新人部員が遭難死……。

そのニュースでそれぞれの親御さんの人生を想った……。
きっと自慢の子供達だったろう……。
生きて行く意味の喪失感にとらわれているだろう?……と。

何も考えられない。何もしたくない……それにしても苛酷な責め苦を与えるものだと思う。

心理学者ヴィクトール・フランクルは著作『それでも人生にイエスと言う』の中で、幾ら絶望的な情況になろうとその事から自分が汲み取るべき意味を見付けなさい!と書いている。

彼は……そんな時……そんな哀しい立場の自分であれ、『自分を頼りに待っている人』の事を考えなさい!……と。
また、そんな自分を待っている使命がある筈なのだと……それを見付けなさい!……と。

自分が当事者で……自分の気持ちのみに従えば……僕は恐らく死にとらわれるだろうと想像する。

だから……自分を頼りに、楽しみに待っている人を想い、仕事を思うのかな?と考えた。
それが……自分が生きる意味、使命になるのか?……と。

フランクルはユダヤ人収容所で日々死を感じながら……自分を待つ人、論文を仕上げる使命を見出だした。

それでも?……人生にイエスと言う……のか?……自分は言えるのか?と思う。

それでも……若い父親に誰も何もして上げられない。
彼が……もがき苦しむ中で……それでも、自分の人生にイエス!と言ってくれるのを待つ他はない……。

慰め様もない惨事……。

その中に自分に示されている意味を見出だしたその時に……親御さん達は亡くなった子供達に報いる事が出来るということだろう……と思う。