♪JET STREAM/ナレーション:城達也
10月26日(火)午前0時
眠れなかった。
寝床からライトを点ける。
冷蔵庫を開けスペイン産380円のワインを取り出す。
カーテンを開ける。
ベランダに出る。
今日の役目を終えたバスが戻ってきた。
秋の夜空 ジェットストリーム1
微かにスカイツリーの碧の光が見える。
成田空港に下りると、日本に着いたのだと感じる。
「空気が冷たい」
亜熱帯の島から北の島に下りれば、空港の佇まいより
空気と匂いがその国を現す。
名曲 夜空のジェットストリームだ。
だが、コロナ禍により夜空の静寂に成田空港からの
飛行機は月明りに映し出されない。
あれから30年は経つのだろう。
仕入れ先から「あんたの処には売れない」
ライバル会社に売るのが分かった。
彼はサラリーマン時代の後輩であり
私が書記長の時副委員長をしていた。
苦境を知った彼は台北に招いたのだ。
そうして、海外貿易の道が開けたのだ。
1年間で13回も台湾に渡る年もあった。
既に無い日本アジア航空
いつも一人旅
眠らない台北のネオン煌く林森北路のクラブを彷徨った。
孤独だった。
和風居酒屋に一人入り、不味い日本酒で
朦朧とさせ安ホテルで眠りに落ちた。
取引先は、中国、香港、タイ、イタリア、ドイツと拡大した。
息子も台湾に留学
帰国後、私の仕事を引き継いでいるが
病療養中であるが、耐えて頑張っている。
秋の夜空を見上げ、30年の歳月に想い耽る。
再掲
馬鹿も一心!
8月22日は私の33回目の敗戦記念日。
日記
2014-08-24 21:28:15
8月24日(日)
昨日までの善は、実は今日の悪であり
昨日までの悪が、実は今日の善であると
思い直すことは、人間の心理として
なかなか容易なことではない。
支配階級の道徳。
今から33年前
昭和56年8月22日(日)
私がサラリーマンに終止符を打った日である。
靖国神社近く千鳥が淵には戦没者遺家族が
参拝していた。
その堀際にあるホテルで組合全国大会が開催された。
書記長になり2回目の大会で総括を報告。
2年間、全戦全勝を称えられたが
次期書記長も決まらず苦悶の退任だった。
試合に勝って勝負に負けたのだ。
想像だに出来ない経営側の仕打ち。
その夜、自宅で深夜、涙がとめどなく流れた。
2歳の息子、3月28日に生まれた娘を抱え
住宅ローンの残債もあった。
思想的問題有り、会社を破壊するとの汚名を着せられた
妻子ある男を雇ってくれる会社はなかった。
自ら起業する以外なかったのだ。
26歳の時、上司の不正に巻き込まれ
事実関係を訴えたが、逆に隠蔽すべき
私を喫茶で皿洗いさせ、辞めさせようと謀った。
2年後、汚名を回復して営業部門に復帰したが
労使関係で劣勢であった組合側は
組合活動に関心のなかった私を書記長にした。
(後に、私を書記長にした裏企みを知ることになる)。
常識的な事を常識的に交渉したが
会社の複雑な組織構成に翻弄される。
親会社からに出向社員、定年後の移籍社員
遺家族社員、プロパー社員で構成された
組合組織は意見集約、目標統一は困難を極めた。
社員間に暗黙の階級制度が存在していた。
私のようの低学歴中途入社などは
最下級の身分であったのだろう。
懸命に真面目に働き、将来展望がある会社にしたかった。
しかし、経営側からすれば
階級制度を破壊する危険人物とみなした。
現在のグローバル、ネット拡散社会だったら
ブラック企業とみなされる企業倫理観。
異端者は追放しなければならない。
権力者の無知に翻弄された。
優しいメールも頂いた。
その後の人生が、ずっとずっと欺瞞と狡さと騙し社会であった。
33年間の歳月
年年歳歳花相似たり、歳々年々人同じからず。
会社もホールディング化で分社化された。
当時の関係者は定年、中途退職、懲戒免職、死去等で
殆ど在籍していない。
跡形もなく組合活動の痕跡は消え去り
大きな会社になった。
後年、組合記念パーティーに出かけた。
行きたくはなかったが、断れない事情で参加した。
組合役員の一人が言った。
あなたが書記長だった時の活動は燦然と輝いています。
しかし、当時の組合役員は私によそよそしかった。
後で親しかった役員が私に囁いた。
「皆、書記長に対して後ろめたいのですよ」
「保身の為に見て見ぬ振りをした」
当時の経営側も出席していた。
対峙した管理部長が近づいてきて
「全戦全敗だったね」と懐かしそうに語った。
退社後、苦闘する私を陰ながらバックアップしたのは
立場を越えて恩讐の彼方の経営側担当者であった。
当時の組合役員が私に蔑視の言葉を投げつけた。
「今でも、仕打ちを思い出すなんて馬鹿らしい」
私は黙っていた。
理不尽な仕打ちを受けたことも
傷つけられたこともなく
この男は無知で周囲に嫌われているだろう。
実体験がないので想像力が欠如。
元副総理が靖国に関してしゃべった言葉を思う。
「加害者は直ぐに忘れるが、被害者は3代に渡っても忘れない」
明日の来ない夜だったが、妻子を抱えて食っていかねばならない。
現在は
子供も大学を出て社会人になった。
逆境を転機として新しい仕事を始めた。
毎夏、この日がやって来ると
私は萎える精神を奮い立たせるのだ。
騙されても
馬鹿も一心で頑張っている。
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