再掲
34年前 新潟 越後湯沢の温泉旅館で客死した親父の墓参り
2020年3月21日
松濤の介護病院で暮らすお袋は94歳になった。
コロナ感染防止のため、見舞い禁止になった。
名代?として、お袋、兄 弟の代わりで墓参。
船橋駅から総武横須賀線に乗り13時戸塚駅下車。
バスかタクシーに乗ってもよいのだが
県道を歩くことにした。
30年前は、道路は舗装がひび割れ凸凹だったが
再舗装されていたが、歩道は狭く、肩幅に車との間が50cmも満たず
耳元にエンジン音が埃と共に侵入する。
鎌倉方面に向かって4.5キロの道程だ。
寺は横浜と鎌倉の境にある。
当初の住職は尼僧であった。
船橋は海風で冷たい風が吹き、コートをまとったが
県道は内陸なのでコートでは汗ばむ。
門前には、コンビニがあり、供花、線香供え物があるので
てぶらで歩く。
これが大失敗であった。
門前にあったコンビニは、宅配ピザ店に代わっていたのだ。
愕然として引き返して500m程にあるコンビニに向かう。
店には、供花線香等はなかった。
致し方なく、煙草、缶ビール、酒パック、ツマミを買った。
墓前に置き、煙草を吸い紫煙は青空に消えた。
13年以上殆ど吸っていなかったので、
頭はが~んと響き、目まいがする。
ヘビースモーカーであった親父の死因は心筋梗塞。
墓石にビールと日本酒を注いだ。
飲んでくれ!と墓石に呟く。
山桜が満開だ。
墓石の石囲いに腰掛け、残り酒とツマミで一服。
古墳のような小山に段々畑の如く墓石が並列。
生の供え物は、カラスが、墓参人が離れると
忽ち急降下して掠めとるので供えない。
小山のてっぺんに向かう。
雪富士と丹沢山塊を遠望。
スマホ動画なので鮮明ではない。
春風がさざ波のように木々を揺らし
塔婆がカタカタ音で答える。
誰が来たのか互いの地下住人が囁いでいるようだ。
墓石から父は富士を眺めているのだ。
私は小さな頂きで佇むと
心が癒され荒廃する精神が快復するのだ。
正安寺から雪富士 丹沢を臨む。
富士が見える墓石に眠る父を想う。
那須の寒村で生まれ、7歳の時母親を亡くした。
軍用船に一兵卒として大陸に向かった。
出征する悲しい見送りには
母親がいなかったので悲しくはなかったと
呟いた。
その表情は何も無かった。
戦地はコロナウイル発症の武漢であった。
ハンサムであった父は軍服姿がかっこよかった。
武漢戦地で、崩れた塹壕の前で
汚れた服装の中国少年少女達がはにかみの表情で一緒写るこげ茶色写真。
温和で優しい父は肩で抱き寄せ笑顔であった。
ひとしきりてっぺんで煙草を吸い、酒を飲んだ。
昨夜、午後7時に軽い食事をしただけで
16時間以上の空腹。
煙草と酔いでフラフラする階段をゆっくりと下りる。
正安寺下る
再び、街道を歩くが、酔いと喫煙が脳を刺激 千鳥足で戸塚駅16時半着。
駅近く 川沿いの焼肉レストランは、家族で墓参後食事するのだが
休業中の貼り紙。
駅前広場で若者が路上ライブ。
自作のCDを無料で配る。
私は500円玉を箱に入れた。
路上ライブではコロナ感染はしないな!
戸塚駅東口路上ライブ
横須賀線に乗り横浜駅下車。
東口に向かい、シューマイで有名な崎陽軒本店に向かう。
幾層に分かれてのレストランで一番安い店で
担々麵と小ビールを頼む。
私が起業して最初の仕事は崎陽軒の販促グッズ製作であった。
注文をくれた方は横浜在住で
苦境の私を察して前払金を払った。
その方は、戦後すぐの音楽関係のイベントをしていた。
まだ幼い美空ひばり、江利チエミをトラックに載せて
米軍基地を回った。
恩人は59歳の時癌で亡くなった。
その方の紹介でマヒナスターズの仕事もした。
泉下の客参照
https://blog.goo.ne.jp/kikuchimasaji/e/5f893644dceb62d2a3f1d48d4b1e62d1
https://blog.goo.ne.jp/kikuchimasaji/e/6f084340b6f2df8306eb0b79c97db469
想い出が走馬灯の如く駆け巡る。
レストラン内は、テーブル間はかなり離してある。
コロナ感染防止対策であろうか。
驚いたのは、真向いの男女の食べ方だ。
マスクをしているのだが、
食べる時、マスクを顎下まで下げる。
会話する時にマスクを口に戻す。
感染防止には良いが
美味しい食味できないだろう?
土産に月餅を買う。
18時半横浜駅から総武快速に乗車して船橋駅下車。
ヨタヨタ歩きながら20時自宅着。
歩いたな!
歩行数と歩行距離がかなり乖離しているのは
千鳥足歩行で前に進んでいないから。