馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

92歳 計算ドリル帳で認知症予防。

2016-01-14 20:34:38 | 日記

1月13日(水)午前11時半

池尻大橋駅で下りた。

妻は大学病院の会計窓口で精算を終えたところだった。

最後の血液検査をした。

結果は3月に判明する。

これにて、子宮頸癌治療は終わる。

5年の歳月 長かった。

だが、放射線治療のみで、他の抗癌剤、手術もしなかった。

婦人科部長が言った。

「放射線治療だけで、完治して良かったですね」

感謝です。

昨年春まで看護部長だった義妹のバックアップのおかけである。

正午、近くの中華店で食事。

国道246号線を渋谷に向かって歩く。

 

11月18日に骨折した妻も、ゆっくり歩く。

車に乗るより、意識的に歩くことを医師から言われた。

 

13時 介護病院に着いた。

3階に上がると廊下でお袋がテーブルで

計算ドリルを解いている。

私達が来たのも気付かず凄い集中力だ・

92歳だが、看護師達も驚くシャープ。

妻がドリル帳を見て

「3桁計算なんか出来ないわ」

若い頃の獲得した能力は劣化しないのか?

 

酸素吸入器とボンベを引いて、5階のラウンジに上がった。

3面がガラス張りのホールに、冬の陽射しが

ホール中、充満して暖かさではなく、暑い。

カーテンを引いた。

テラスに出た。

介護病院の玄関口は山手通り

反対側は松涛邸宅街で渋谷の街並みの屋根。

  

高層ビルがないので、展望は池袋、新宿の家並が眺められる。

カーテン越しにお袋と妻が光と影に映り

ゆっくりと時間が流れる。

 

14時 部屋に戻った。

お袋の体重を測った。

29キロ

元気だった頃は60キロ。

小柄で太っていた。

 

私が幼い頃 滑り台のテッペンから落ちて骨折した。

 

あの時、私を背負って病院へ連れて行った。

母とやんちゃ息子の光景が走馬灯のごとき巡る。

14時半

「帰らないで!帰らないで!」

掠れ声を振り切って

松涛を通りセンター街を抜け

渋谷スクランブル交差点で地下に下り

半蔵門線に乗り

神保町駅で私は乗り換え柳橋事務所に戻る。

妻 そのまま船橋に帰った。

帰宅すると、高松山に一緒に登る友人からラインメールで知らせが届いた。

「昨日 早朝 母が87歳で亡くなりました」。

「90歳を越えるまで生きると思っていました」。

 

ご冥福をお祈り申し上げます。