トラカメの「ALPINE A110 と秘密基地」

所有するALPINE A110 pureと、その他情報の発信基地です。

突然ですが、バイク、降りようと思います。。。

2020-03-01 03:05:10 | 日記
トラカメです、毎度。

さて、突然ですが、

バイク、降りようと思っています。

理由はいくつかありますが、大きくは二つ。
まず、そもそも予定していた期間を過ぎてしまったこと。
もう一つは、情熱が冷めてしまったと認めざるを得ないこと。

~~2020年5月より、よろしければ私のアルピーヌA110のブログもご覧くださいませ~~

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トラカメがライダーに戻ったのは、40歳手前の事でした。

高校から大学まで7年ほどで、RG50に始まり、MBX50、RG250Γ、KR250、
庭で遊ぶCB50Sと、楽しくバイクライフを送っておりました。
大学入学当初から4輪の免許も持っていたので、
バイクしか乗っていなかった訳では無く、親の車も乗りまわしておりました。
就職が決まると共に4輪を購入。
いろいろ悩んだ結果、いきなり新車のRX7を購入したのでした。
初めてにしては贅沢な選択でしたが、学生時代も就職後も自宅通いだったので、
一人暮らしをしている人たちよりは自由なお金は有ったのだと思います。
(今更ながら、両親に感謝)
RX7購入後も自宅ガレージにはバイク達を置き、KRはしばらく乗っておりましたが
(SUZUKIの2台はもっと前に売ってしまいました)、
そのうち、RX7での週末の峠通いをするようになって、KRもほとんど乗らなくなってしまいました。
その後、ランサーエボⅢ、インプレッサの2ドアSTI(峠漫画でおじさんが乗っている物のいっこ前)に乗り、
峠だけではなくジムカーナにも通いました。
当時「スポーツカーと4駆を所有することがステータス」みたいな記事に感化され、
セカンドカーとして軽のジムニーも所有し、ダートの山にも遊びに行きました。
(ジムニーの後、今も軽4駆として4枚ドアのテリオスキットを所有)
子供も少々大きくなり、いつまでもジム足の2ドアインプレッサでは不便となり、
出たばかりのアルファードに乗り換えたのでした。

30代の末、ストレスフルな状態となり、会社の産業医の先生の勧めで、仕事以外の趣味を始めることにしました。

それが、バイクリターンのきっかけだったのです。

学生時代、バイト代をほとんどガソリン代につぎ込み、週末は色々な場所へ走りに(攻めに?)行きました。
(保険代は両親に払っていただいておりました。改めて、感謝)

40歳の直前に大型2輪の免許も取り、学生時代に気になっていた車両も購入しました。
確かに楽しかったし、ストレス解消にもなりました。
でも、当初私の体が求めていたのは、以前峠を走っていた時のドーパミンダクダクまでいかないまでも、
それに近い高揚感だったのだと思います。
何かを追い求め車両を変え、次には「全開にする感覚」を思い出すためにとジムカーナも参加してみました。
それも何もかも楽しかった。しかし、求めている所には到達できませんでした。

脳ミソはもっと前から気が付いていたのですが、きっと体も衰えに気が付いてきたのでしょう。
近年、原付2種で公道をゆっくり(?)走っているだけでも楽しいと気が付くこともできました。

40歳手前で家族と仕事以外に、自分の事を振り返り見直すことができた時、
人は何か趣味(ある種の情熱を掛けること)が無いと生きていけない(意味がない)のであろうと思ってしまいました。
それが私にとってはバイクであり車であろうと思ったのです。
人によっては色々な経験や趣味をお持ちであったりしますが、それも素晴らしいことであると思います。
でも不器用な私は、間口を広げず一貫する方が自身にとって後悔しない生き方であると思ったのです。
(趣味を生き方に例えるなんて、大げさですが)
祖父も父も同じような趣味を持っていたので、私も自ずとこのような趣味になったのかもしれません。

父は早くに亡くなりました。
定年を迎える前に癌が発覚し、手術を受けたものの、その後長くは生きられませんでした。
後から他の人に聞いても誰にも言っていなかったようですが、入院中の病院へ私が一人で見舞に行った際
色々とやり残したことを悔しそうに話してくれました。
もう退院はできないと悟っていたからだと思いますが、痛みを感じているとき以外は穏やかな表情だった父。
タバコを吸う以外にやりたいことは無いのかと思っていたのですが、
本当は死に際まで毅然としていたのかと思うと、今でも悲しくなります。

40歳手前で自分を見つめ直した時、父と同じ60歳までの趣味としてやる事として決めていたのです。

50歳まではバイク、その後60歳までを車(今のベルファイアではなく、スポーツカー)。

しかし、こうありたいとの目標が達成できないまま、車の時間も半分使ってしまいました。
そして今のまま続けていても体の衰えは進むばかり。
後悔しないためにも、次へ進むことを選択することにします。

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実はここ半年、バイクに乗っていません。
もちろん、諸事情があっての事です。

私にとってバイクは趣味の範疇、わざわざ雨の日は乗りません。
しかし、寒い時期、暑い時期、花粉の時期も特に関係なく、暇を見つけて、
あるいは、バイクで済ませられる要件はわざわざバイクでのお出かけ装備を配し出かける。
新しい部品を組み、セッティングを変えて、早朝の小一時間、民家と人を避けた道を走り、朝食用にパン屋さんへ寄る。
先程の到達点ではないにしても、そこそこ満足できるものでした。

しかし、バイクライフを迷走しているうちに、複数の(多数ともいう)車両を保有してしまい、
しかも、常に数台は走らせられるように準備していたため、最低限とはいえ整備にも時間を掛けてしまいました。
この書き方自体が情熱が無くなっている証拠でもあります。
過去にはこのブログでも「乗るのも好き、いじるのも好き」と書いており、偽りではありませんでした。
でも今、負の意味として「***をしなければいけない」のような感情が出てしまいます。
オイル交換、ブレーキエア抜き、バッテリー充電、空気圧のチェック・・・
そもそも毎日毎週と乗っていた訳では無く、しかも複数所有なので、
「今回はこれでお出かけ」と事前に楽しく始動前点検をしていたのです。

実はきっかけがありました。
MITOです。

MITOはシリンダ焼き付き状態で入手し、手持ちのPLANETのシリンダを使い、復活させました。
MITOにも仕様が色々あるのですが(PLANETにもいろいろ仕様違いがあるようですが)、
このMITOは、7速、フラット・ピストン+リング1本、MIKUNIキャブの、本物・最高仕様のMITOです。
シリンダはたまたま手持ちのPLANETと同一でしたが、再生当時フラットピストンが入手できず
PLANETのピストンとヘッドを使用し組みました。
実際に、その組み合わせのカタログ34馬力MITOも存在しているようです(キャブは違いますが)。
イタリアの合理性なのか、シリンダは共通でもピストンの仕様を変えることで、
給排気のタイミングと圧縮率を変え(ヘッド形状も変え)ています。
さらに、ピストンリング数を変えているので、ピストンフリクションなどは変化し
本来であればキャブの再セッティングが必要だと思います。
しかし私はセッティングそのまま(焼き付き防止にと思い、油面高め)で使用しています。濃いめです。
それでも、ここでは書けないくらいの速度は出ます。125としてはとんでもない馬力が出ています。
それこそPLANETの倍以上!
(カタログ上、PLANETは15馬力、MITOは34馬力なので、カタログ値を体感しているだけ?)

私は自称2スト好きですので、それなりに知識は持っていると思っています。
そして、プラグのチェックをマメにしておりました。
早朝スタートする際は、前日の夜に一度エンジンを掛ける念の入れよう。
(これ、かなり有効です。近所迷惑なので、ガレージで遮音できる人にしかお勧めできませんが)
しかし、早朝、すべての装備を装着してエンジンを掛けようとしたとき、掛からないのです。
原因はセルのスイッチ。セルが反応しないのです。
それでも2スト125キャブ車。軽量でエンジン圧縮も低く、前日にも火を入れているので、
押し掛けで(と言っても、2速に入れ、跨ったまま数回蹴って)簡単に復帰します。
そのままガソリンスタンドまで行き給油、押し掛けで再始動。宮ケ瀬まで行き、休憩。
帰りもやはりセルは回らないので押し掛けで。
これはこれで楽しむことに関し問題はありませんでした。
やがてセルも復活させたのですが、今度はセルは快調でもエンジンが掛かってくれません。
これは困りました。
せっかく充電してあったバッテリーが弱くなりセルが回らなくなるまで試したこともありましたが
(無論、途中でプラグチェックなどをしながら、です)結局かからずしまいの事も有りました。
比較的簡単に掛かる時もあります。
電気系かもしれませんが、そちらはカラッキシなので、火が飛ぶかどうか確認する以外どうにもなりません。
スローかチョークなどキャブ系かもしれませんが、MITOってキャブへのアクセスが悪く、確認に至っていません。
そしてMITOが候補からはずれ、PLANETのみが普段乗りとなってしまいました。
(PLANETもセルスイッチ不具合があり、宮ケ瀬でも押し掛けしていましたが、修理後は順調)

周囲のスクーターを除く2スト経験者からは「2ストは普段乗りでかぶる」とか「始動性が悪い」とか、聞くことも多いですが、
私は何か「コツ」を体得しているのか、今までこのMITOを含め10台ほど2ストに乗りましたが、
ストマジ1号機以外、始動で困った記憶はありません。
走行中や出先でプラグ交換しなければならなくなるようなカブリも経験がありません。
ストマジ1号機の始動は、解決までに長い期間を掛けてしまいましたが、結局はオートチョーク系の問題で、
マニュアルにして解決しました。

本当はMITOにも乗りたいのです。だから1年以上時間が掛かってもコツコツと修理してきました。
小柄な自分に合わせポジションも改造し、ご近所迷惑にならないようにとPLANETマフラーを装着し
見た目も自身で納得できるようにステッカーで装飾しました。
細かく見れば傷も多いですが、納得の仕上がりで、走らなくともガレージの壁に飾っておきたいくらい気に入っています。

でも、先々の時間を考えると、乗るための整備がおっくうになり、今はガレージの中でカバーを被ったままになっています。

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近代の車両に乗りたいとの欲求があまり無く、過去に縛られて古い2ストをメインにしていたため
部品取りで同じ車両を確保したり、乗ったり直したりを繰り返してしまいました。
最初から近年の手のかからない車両にしていればもっと違ったバイクライフだったと思います。
そもそも、20年近くバイクとは遠ざかって正しい知識も無く、昔の記憶を頼りにしたり、
しばらく乗れば昔のように走れるようになると勘違いしていたことが迷走の原因です。
自分の立場や年齢も道路状況も変わり、通学やバイトにと毎日乗っていた頃に戻れると思っていたこと自体ナンセンスなことで
薄々分かっていても捨てきれずにいた自分も居ます。
でも、決めましょう。そろそろ時間は無くなるので。

今までコレクションのように集めてしまった車両たちやパーツは、
次のステップへの資金一部にするため、順次売却をする予定です。

もうしばらく、このタイトルのままブログは続けるつもりです。

ではまた。