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稚内吹奏楽団サハリン公演 25 コルサコフ港出航

2011年10月10日 | Sakhalin

9月2日(金)

あっという間のサハリン公演

まだまだ居たかったですが仕方ありません

この日現地時間早朝7時(日本時間5時)にホテルを出発し

コルサコフ港のターミナルへ向かいました

ターミナル内はイスも少なく広くないので

わりと外で過ごす人も多いです

僕達も人数が多いのと楽器が大量にあったので

しばらく外で待機していました

そういえば、外には放し飼いの大型犬が結構います

犬が苦手な人や狂犬病とか考えると少々怖いですが

彼らはとてもおとなしく、人にちょっかいをかけるような事もありません

ターミナルの道路を挟んで向かいには商店もあり

飲料や菓子類の他、ソーセージなども買うことも出来ます

すっかり買い物に自信がついた一部の団員は

残りのルーブルを使おうとお店に入り最後の買い物を楽しみました

ちなみに一応ターミナル内にも小さな売店があり、ビールやつまみ程度は売っています


さて、コルサコフ港は日ロ定期航路も発着する「南埠頭」

主に漁船などが利用する「中央港区」

にっぽん丸などの大型客船や貨物船、軍艦も利用する「北埠頭」からなります

南埠頭は樺太時代から貨客船が発着していた場所で、稚内からの船も到着していました

当時は鉄道省(国鉄の前身)が稚泊連絡船を運行しており

「船に乗って稚内から樺太に行く」というよりは

「鉄道を利用するため連絡船に乗る」という方が正しいのかと思います

それは鉄道連絡船の性格上、宗谷本線の優等列車と接続するダイヤを組み

1938年からは稚内側では列車が船に横付けできるよう

北防波堤ドーム内に稚内桟橋駅(稚内駅構内扱い)という仮乗降場が設けられていたほどです

当然、大泊側でも線路が敷かれていて連絡船の乗客のために客車が待機して

そのまま当時は豊原方面へ列車で移動したそうです

今もそのままの形で線路と桟橋は残されており

現在は貨物の陸揚げに古いディーゼル列車が走っていました

1925年、当時の皇太子殿下(昭和天皇)が樺太訪問の際に立ち寄ったことが伝えられています

また、戦後多くの人々がこの港から日本本土に引き上げていった港としても有名です

奇しくも僕らが日本へ帰るこの日9月2日はロシアの対日戦勝記念日

1945年9月2日、日本政府がポツダム宣言の履行等を定めた降伏文書に調印した日に当たります

フェリーが出航し、甲板からコルサコフ港を眺めるていると

心の中に熱いものがこみ上げてきて、何故か涙が出そうになりました

戦前、戦後と実に多くの日本人の思いが、今もこの港に残っているような気がします


帰りのフェリーの中でも話題はサハリンの話ばかり

お土産に何を買っただの、ロシア料理で何が一番うまかっただの

そんな話で盛り上がりました

みんな行きよりも帰りの方がやけにテンションが高かったのは

それだけ今回の公演と旅が充実していたからにほかないでしょう

帰りのフェリーのお弁当はパンを中心とした洋食メニューでしたが

サハリンで食べた料理のディルの香りが早くも恋しくなってしまいました


そんな事をやっていると「今日は二丈岩が見えるかも知れない」と教えてもらいました

二丈岩は、樺太の最南端西能登呂岬の南東の沖合約15キロの、宗谷海峡上にある岩礁

ロシア名の日本語名はカーメニアパースナスチ

ロシア語名はカーメニ・オパースノスチで「危険の岩」という意味なのだそう

昔からこの周辺は航路の難所で多くの船が座礁していたそうです

宗谷岬からの距離はわずか36kmで、北方領土を日本領として考えた場合

最も近い外国の土地になるのだそうです

もっとも標灯が一本立ってるだけで何もない岩ですけどね

でも、1943年この近海でアメリカ海軍の潜水艦ワフーが撃沈されていたり

1945年留萌沖で樺太からの引き揚げ船(小笠原丸、泰東丸、第二新興丸)に対し

無差別攻撃したソ連軍のL-19がこの近海で沈没しているなど、何かと曰くつきの岩です


今回のサハリン公演では多くの歴史も学びました

改めて日本人の凄さを感じるとともに、戦争の愚かさや不条理さを強く感じました

消えない過去、忘れてはならない過去はありますが

それだけでは前へ進めません

稚内はサハリンと友好の道を共に歩んでいます

怖い顔のように見えるロシア人も、話すとみんないい人ばかりです

日本人を嫌いな中国人や韓国人だって、きっと同じでしょう

一人ひとりはどこの国のどんな人だってきっと同じ

でも、世界にはまだ内戦や戦争をしている国や地域がたくさんあります

国や政治に戦争は止める力はありません

おそらく国連ですら難しいでしょう

バカだと思われるかも知れませんが僕は音楽家なので

世界を繋げられる唯一の方法は音楽しかないと考えています

僕たちは今回多くのロシア人と交流をしました

彼らとはみんな友達です

次に会えば何も考えず笑顔で握手をかわすことでしょう

こんなにシンプルで簡単な関係が築けないなんて、国とは愚かなものですね







































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