一週間ほどお休みを頂きまして
新婚旅行でインドネシアはバリ島に行ってきます
元々アジアン雑貨やアジアンフードが大好きな僕は
若い頃から一番行ってみたい国の1つでした
ホテルはヌサドゥアのコンラッドバリ
ホテルのラグーンや目の前のプライベートビーチで過ごしたり
ウブドのライステラスで森林セラピーしたり
ケチャやガムランといった舞踊や音楽に触れたり
ウルワツやタマンアユン、タナロットといった寺院をまわったり
クタやレギャン、スミニャックなどを街歩きしてショッピングを楽しんだり
ジンバランのビーチでBBQしたり、あれこれインドネシア料理食べて
時間があったらスパ体験もしたいなぁ
とにかくバリを満喫&リフレッシュしてきたいと思います
写真もたくさん撮って
またブログで色々紹介しますね
先日、市サハリン課の皆さんに誘って頂き
ノシャップ岬にある「漁師の店」に行ってきました
こちらは地元漁師さんのご夫婦がやっているお店で
鮮魚店、食事処、兼ライダーハウス(宿泊/休憩)となっています
とにかく新鮮なウニ丼や海鮮丼が格安で食べられると評判になり
ライダー達を中心に口コミで広まったお店です
そんな「漁師の店」で夜宴会をやるなんて素敵すぎます
新鮮なお刺身、自慢の干し魚、シマエビ、ツブetc...
極めつけは丸ごとアワビのバターソテー!
こんなのテレビの世界の料理だと思ってました(笑)
当然バカウマです
そして、相変わらず焼き魚が本当にウマイです
稚内に住んでいて子供の頃からウマイ魚しか食べてないはずなのに
毎回「こんなにウマイ焼き魚久々に食べる!」なんて思うんですから
そして、サハリン課だけに酒はロシアワインやらウォッカやらも用意されており
この夜僕が飲んだのはビール→日本酒→ワイン→ウォッカとちゃんぽんでした
中でも現地ロシア人から貰ったというウォッカを
湯のみ茶碗で飲むというシチュエーションが何ともミスマッチで良かったです(笑)
それにしても「夜の漁師の店」ちょっとクセになりそう
。:*━♪━*:。━♪━。:*━♪━*:。━♪━。:*━♪━*:。━♪━。:*━♪━*:。━♪━。:*━♪━*:。
ノシャップ岬「漁師の店」
【住所】稚内市ノシャップ2丁目3-8
【電話】 0162-22-0303
【営業時間】08:00 - 19:00
【定休日】不定休
毎週金曜日11時から生放送している番組「寄ろう!寄ろう!イオンへGO!!」
今週の「モールでGO!」で紹介した専門店は「FANNER」さん
ファナーは広い店内にたくさんのアイテムがぎっしり!
「カジュアル」「セクシー」「エレガンス」3つのイメージからスタイルを提案
流行の商品をいち早く超お手頃価格でご用意しています
洋服だけじゃなく、小物、バッグ、靴、アクセサリーなどトータルで揃えられます
結婚式などに使えるドレスや、ビジネススーツも扱っています
ターゲットは若い人だけが中心になっているのかと思いきや
サイズも7号から21号とサイズも豊富なので
年齢を問わず幅広いお客様の層になっているようです
またファッション誌とのコラボレーションも多く
思いきって挑戦してみたくなるような最先端のファッションアイテムも注目です
ズドラストビーチェ!
ロシア料理ペチカのペチカセットです
特製ピロシキ、ペリメニ、ボルシチ、ウズベク風焼き肉、ウズベク風ピラフ、ヴィネグレットサラダという
日本でもポピュラーなロシア料理がワンプレートになったもの
これ1つでも女性ならお腹いっぱいだと思いますし
お酒のおつまみがわりに一皿頼んでも良いですね
ペチカのピロシキは挽肉とゆで玉子のシンプルな味で何個でもイケそう
ペリメニは日本でいう水餃子みたいなもので、粒マスタードがとても合います
ボルシチは野菜たっぷりでとてもヘルシーなスープです
実はボルシチは日本でいう味噌汁と同じく、家庭によって味や具が違うそうで
ペチカのボルシチはトマトをベースに素材の味を生かしたあっさりした味わいです
ウズベク風ピラフは肉(羊or牛)、人参や玉ねぎなどの野菜とお米をスープで炊いたもので
クコの実がとても風味が良く美味しいです
ヴィネグレットサラダとは、ロシアを代表するサラダ
ボルシチなどでも使用される真っ赤な野菜「ビーツ(ロシア語名=スヴェクラ)」を使用するので
その鮮やかな色合いは食卓を一気に華やかにします
ビーツの甘み、ピクルスの酸味、じゃがいものほっくり感の組み合わせが何とも言えずクセになります
こんなにたくさんの料理が賑やかにワンプレートに乗せられて何と1300円です!
これは絶対お得だと思いますよ
。:*━♪━*:。━♪━。:*━♪━*:。━♪━。:*━♪━*:。━♪━。:*━♪━*:。━♪━。:*━♪━*:。
ロシア料理ペチカ
稚内市港1丁目 稚内副港市場 波止場横丁
0162-23-7070
わっぴ~のCMでもオンエア中の「黄色いお福ちゃんが目印!」
でおなじみの海鮮炉端うろこ亭
目の前がすぐ漁港なので漁船の往来を見ながら、新鮮な海鮮炉端を楽しめるお店です
先日、ここでやっていた秋鮭祭りの中継の帰りにランチを頂いてきました
ホッキフライが2枚分ドドンと乗ったホッキカレー
カレールウにもホッキのひもが入っていて貝の良い出汁が出ています
こちらは期間限定商品ですが人気につき延長中とのこと
是非、一度食べてみて下さいね
他にも焼き魚定食や海鮮丼、エビフライといったメニューもありますよ
そして、宴会には巷でスゴイ!と噂の「炙りものコース」も超オススメ
ホタテ、ホッケ、宗八、豚串、鳥串などの炙りものをメインに
種類豊富な120分飲み放題付きで何と3500円から!
グループで是非どうぞ
。:*━♪━*:。━♪━。:*━♪━*:。━♪━。:*━♪━*:。━♪━。:*━♪━*:。━♪━。:*━♪━*:。
(株)うろこ市
【住所】北海道稚内市中央5丁目6-8
【電話】0120-211-9111
【営業時間】(直売所)8:00~18:00
(お食事)8:00~21:00(金・土~22:00)
※10~11、1~3月は9:00開店で日曜定休となります
最北の味覚を通信販売で全国どこでもお届け!
http://sakanaya.uroco1.com/
サハリンのプリゴロドノエ(深海村)を訪れた時
「ここから猿払まで電話線の海底ケーブルがつながっていた」
そんな話を聞いたので先日行ってきました
それが、猿払村浜猿払の漁港付近にある「電気通信ゆかりの地」です
稚内から国道238号を宗谷岬・猿払方面を走ると
道の駅さるふつ公園や、猿払パーキングシェルターを通り過ぎて行くと
浜猿払方面と、道道585号線(猿払市街行き)の青看板標識があります
その信号機有り交差点を浜猿払漁港方面へ行き
住宅に突き当たって右折します
するとすぐに左側に海が見渡せる浜が見えてきます
その浜沿いにあるのがこの「電気通信ゆかりの地」です
以下、碑文も紹介していますが
昭和9年(1934年)に東京ー札幌ー豊原間が海底ケーブルで繋がっていたなんて凄いですよね
樺太との電気電信ゆかりの地
猿払電話中継所跡
昭和9年(1934)12月11日北海道と樺太を海底ケーブルで結ぶ東京-札幌ー豊原間の長距離電話回線が完成し、初めて樺太と電話が繋がるようになりました。猿払電話中継所はこの海底ケーブルの揚陸地の重要中継所として、同年11月1日この地に設置され、以来30年間大きな役割を果たしてきましたが、終戦後樺太との通話が無くなり、また札幌-稚内間マイクロ回線の開通により、その必要性が無くなり、昭和39年(1964)9月30日廃所されたものであります。
昭和二十年八月十五日終戦。それから五日後の昭和二十年八月二十日ソ連軍が樺太(サハリン)真岡上陸を開始しようとした。その時突如日本軍との間に戦いが始まった。
この日の電話交換手である九人の乙女達は窓越しに見る砲弾のさく裂、戦火と化した真岡の街、刻々と迫る身の危険、もうこれまでと決断、死の交換台に向かい、「皆さん、これが最後です さようなら さようなら」の言葉を残し夢多き尊い花の命を絶ち職に殉じた。この思いを繋いだのが当時電気通信の拠点として重要な役割を果たしていた「猿払電話中継所」なのです。
殉職した九人の乙女の霊を慰め、また電気通信ゆかりの地に電気通信の功績を顕彰すると共に世界の恒久平和を祈り、この碑を建立する。
平成十八年十二月十日 猿払ライオンズクラブ
どのように繋がっていたかの地図。
1 宗谷海峡 話2号 4心平等装荷(GP) 94.174 1943年11月
2 宗谷海峡 電信1号 1心電信ケーブル 105.985 1973年10月
3 宗谷海峡 信2号 1心平等装荷(GP) 99.751 1945年 6月
4 宗谷海峡 信1号 1心平等装荷(GP) 95.820 1943年11月
5 宗谷海峡 話1号 同心型パラガッタ 87.882 1934年 9月
※左から順番
この海底ケーブルで樺太の深海村女麗まで結ばれていたようです。
このマンホールの中にあった海底ケーブルが海側の標石の下を通って樺太にのびていたそうです。
この海が当時の人々の想いを結んでいたんですね・・・。
言わずと知れた宗谷岬の名物食堂
店内はサイン色紙でぎっしり
一番人気はホタテラーメン塩(700円)
新鮮で大きなホタテが丸ごと入っています
サラっとした塩味にバターの風味
ホタテのまろやかな出汁とコクがクセになります
他にホタテカレー、磯つぶ焼き、うに丼なども人気
稚内からもGWあたりに開店すると同時に足を運ぶ人が非常に多いです
観光シーズンのお昼時は常に満席状態ですが今時期は割と待たずに入れると思います
今シーズンもあとわずかって事で食べ納めしてきました
こちらはしょう油ラーメン
こちらはミニホタテカレー
店内はサインがぎっしり
。:*━♪━*:。━♪━。:*━♪━*:。━♪━。:*━♪━*:。━♪━。:*━♪━*:。━♪━。:*━♪━*:。
間宮堂
【住所】北海道稚内市宗谷岬4-1
【電話】0162-76-2453
【営業時間】10:00~17:00(季節・天候により変動有り)
※冬期間は営業していません
昭和58年、世界を震撼させた”大韓航空機撃墜事件”が眼前のサハリン西海域で起きました
大韓航空機撃墜事件とは昭和58年9月1日ニューヨークのJFK国際空港を出発
アンカレッジを経由しソウルへ向かっていた大韓航空のボーイング747が
予定飛行コースを大幅に外れソビエト連邦の領空を侵犯してしまい
ソ連防空軍の戦闘機によって撃墜されるという事件の事です
この飛行機の乗客240名、乗務員29名の計269名全員が死亡とされています
事件直後、稚内市には大韓航空機遭難対策本部が設置され
また稚内を含む北海道沿岸部には機体の破片や遺体の一部が次々と流れ付いていたそうです
この辺りの資料は稚内公園にある「北方記念館」に展示されています
この「祈りの塔」は2周忌にあたる昭和60年9月1日に遭難者の慰霊と世界の恒久平和を願い
遺族会の資金と稚内市や全国からの浄財をもとにサハリンを臨む宗谷岬の高台に建立されたものです
中央の塔は鶴が大きく羽を広げ天空に首を持ち上げる姿をしています
これは事件の真相と真の平和を鶴のように首を長くして願う様子が表されています
また、19.83mという高さは事件の起きた1983年を、16枚の羽は亡くなられた方の国の数を
269枚の白御影石は亡くなられた方の数をそれぞれ表しているのだそうです
塔の周辺には地域の婦人部が世界平和の願いを込めて植栽しているアルメリア花壇があります
碑文には以下のように彫られています
愛と誓いを捧げる
あなたたちの生きる喜びを一瞬のうちに奪いさったものたちは
いま全世界の人々から糾弾されています
事件の真相はかならず近い将来にあきらかにされるでしょう
わたしたちは あなたたちの犠牲を決して無駄にはさせません
わたしたちは 生命の尊さと武力のおろかさをひろく世界の人々に訴えていくことを誓います
愛しい人たちよ 安らかにお眠りください
1985年9月1日建立日本大韓航空機事故遺族会
稚内市宗谷岬公園内に現存する、旧海軍望楼跡です
旧帝国海軍が1902年(明治35年)に建造したもので
1968年(昭和43年)12月に稚内市の有形文化財に指定されています
1874年(明治7年)には、樺太千島交換条約により樺太と千島が交換され
樺太全島がロシア領となり、宗谷周辺は国境となりました
当時、帝政ロシアは樺太に軍備を進めるなど国交が悪化しており
宗谷海峡における日露の緊張は高まるばかりでした
こうした情勢下で当時の日本海軍が宗谷海峡と樺太を一望できるこの位置に建造したというわけです
稚内市は数回にわたる大火で古い建造物を消失していますが
この大岬旧海軍望楼跡は、稚内市内で現存する唯一の明治時代の建築物となっています
話に聞くと当時世界最強と謳われたバルチック艦隊の動きを早期に察知する役割があったとか
日露戦争時にはロシア軍艦「ノーウィック号」と日本海軍巡洋艦「対馬」「千歳」との戦いを見守ったとか
1920年(大正9年)沿海州で勃発した尼港事件の際には無線通信基地として機能したとか
太平洋戦争においては対潜水艦監視基地として機能したなどと伝えられています
また、船のブリッジを模したその形は当時の望楼としては異色の存在だったそうです
現在は観光施設として望楼上に上がることができ、サハリン方面がよく見渡せます
この日もぼんやりとサハリンの島影を見ることが出来ました