10月31日(日)第58回全日本吹奏楽コンクール2010[高校の部]に行ってきます
全日本吹奏楽連盟・朝日新聞社主催の全日本吹奏楽コンクールは
日本の吹奏楽界では、高校野球でいう「夏の甲子園」に匹敵する最も大きな大会で
中学・高校の部の全国大会が普門館で毎年開催されていることから
普門館はいつしか「吹奏楽の甲子園」と呼ばれるようになりました
同大会は1972年に普門館で初開催され、翌年からの4年間は別会場で開催されましたが
1977年以降は毎年連続して同館で開催されています
日本テレビ系列で放送中の「1億人の大質問!?笑ってコラえて!」で
2004年に初めて「日本列島 吹奏楽の旅」というコーナーで中高生の吹奏楽部の特集が組まれ
一般視聴者にも「普門館は吹奏楽の甲子園」という認識を大きく広めたのではと思います
ホール自体は在家仏教教団「立正佼成会」の所有するホールで定員4,702名
国内最大級のキャパシティを誇るとにかく“超バカでかいホール”です
普門館は日本中の吹奏楽部員にとって今も昔も憧れの的ですが
僕は東海大学第四高等学校(現:東海大学付属第四高等学校)吹奏楽部で1年生からレギュラー
1987年、1988年、1989年と3年連続でこの大舞台に立つことが出来ました
色々な思い出がありますが1年生の時はホールのあまりの広さにビビりまくりだったのと
真っ暗で客席の奥の方が見えず「まるでブラックホールだな」といった印象を持ちました
あの独特の雰囲気と広すぎる会場に完璧に気押されてほろ苦いデビューでしたね
2年生の時は審査発表の時に自分達のエリアにやたらカメラマンがいるなと思っていたら
「ゴールド金賞!」の発表でフラッシュの嵐を浴びて泣きました
3年生の時は「金賞獲って当たり前」と自信満々で挑み
(勿論それだけ血の滲むような猛練習をしたという事です)
1~2年生でよく見られなかった普門館のステージからの壮大な景色を楽しみながら演奏し
演奏が終わった瞬間、会場のあちらこちらから「ブラボー!!」の叫び声を聞き
暗転してすぐに親友と金賞を確信し「やったな!」とガッチリ握手しました
ロビーでも当時交流のあった強豪浜松商業などと王者の貫録で称え合ったのを覚えています
ということで、僕の時代の普門館の戦績は1987年「ダフニスとクロエ」で銅賞
1988年「プラハのための音楽1968」、1989年「吹奏楽の為の神話」で金賞受賞というわけです
あれから20年以上経った今でもあのステージの感覚と感動は忘れません
そんな僕の高校生活の全てを注ぎ込んだと言っても過言ではない
あの普門館に17年ぶりに行ってきます
まさに一番アツイと言われる全日本吹奏楽コンクール高校の部にです
勿論、今年で出場回数29回目となる名実共に高校吹奏楽界の最高峰に位置する
我が母校・東海大学付属第四高等学校も出場します
同じく僕の時代からのライバル校にして名門校・強豪校の
天理、習志野、埼玉栄、常総、柏、愛工大名電、高岡商業などの顔ぶれもあるので
あの青春時代にタイムスリップしてしまうような感覚に陥ってしまうのかも知れません
とにかく今年もどんな素晴らしい名演奏が生まれるのか非常に楽しみです
<情報!>
BS朝日は10月31日(日)に東京・普門館で開催される全日本吹奏楽コンクール全国大会(全日本吹奏楽連盟、朝日新聞社主催)の高校の部を2時間の特別番組にまとめ、12月に全国放映する予定だそうです。
出演団体のステージ演奏や会場風景など大会の様子を、吹奏楽にかけた青春ドラマとともに、お茶の間にお届けするとの事。
まだ放送日は未定ですが、要チェックです。
【普門館】
東京都杉並区和田2-6-1
完成 1970年4月28日
収容人員 約4,900(消防法上は5,082)人
客席数 大ホール 4,702席(1階 3,150席、2階 1,552席)
1977年に世界的指揮者H.v.カラヤンがベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を率い、同館で来日公演を行った。しかし、ホールがあまりに巨大で、またコンサート専用のホールとして設計されたホールではないため、響きが悪く、多くの聴衆の失望を招き、1979年の再来日の際にはカラヤン自身が反響板を新たに作るよう要求したことがあった。ちなみに、この1979年の普門館公演でライブ収録されたベートーヴェンの交響曲第9番は、カラヤン没後にCD化され、カラヤンのライブ録音の第九自体が稀少であることもあり「普門館の第九」として話題を呼んだ。
立正佼成会の所有ホールではあるが、同会が「文化、学術、芸術活動の普及と発展に貢献する」という方針のもと建設したため、同会の活動拠点としてのみならず、音楽コンサート等で多くの人々に幅広く利用されている。 東京佼成ウインドオーケストラ本拠地。