Kenshunブログ Swingin' Cafe♪

Caféだから色々なお話し・・・

今季のサハリン定期航路が始まる!

2017年06月05日 | Sakhalin

稚内とコルサコフを結ぶ、今季のサハリン定期航路が6月5日から運航開始し、

コルサコフ発の初便にはロシア人14人、シンガーポール人2人が乗り、

午後1時半頃に無事、稚内港に入港しました。

当初、初便は6月2日入港予定でしたが、悪天候により欠航となりました。

今日は晴天で風も殆どなく波も穏やかで、快適な船旅だったということです。

初便到着に合わせ、船舶タラップで歓迎セレモニーがあり、

林蔵くんや歓迎の横断幕を掲げて、乗客を出迎えました。

今季は9月19日まで初便を入れて38往復、76便が運航される予定です


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サハリン渡航8月6日~9日 番外編21「Everlasting Love」

2013年10月20日 | Sakhalin

ユジノサハリンスク駅前に広がる「レーニン広場」

レーニン通りから行くと、まず旧ソ連時代を象徴する巨大なレーニン像が立っています

この公園には、大きな噴水池や、複数の段差がついた長い流水路があり

夏には子供達が水遊びをする様子が見られ、どこか札幌の大通公園を彷彿とさせます

市民の憩いの場なのでしょう、昼夜問わずたくさんの人たちがここで過ごしています


そんな「レーニン広場」でこんな素敵な愛の形を発見しました

レーニン広場にある流水路には小さな橋がかかっているのですが

その橋をよくよく見るとハート型の鍵がびっしりと掛けられていました

そのハート型の鍵には日付や名前らしきものが書かれているものもあり

恋愛成就のジンクスのようなものかなと思いながら写真におさめました

赤やピンク、ゴールド、ラインストーンで装飾したものなど可愛いですよね


後でユジノにある稚内市サハリン事務所に務める現地女性に聞いたら

「結婚したカップルが永遠の愛を誓ってかけているもの」だとか

とても素敵な風習だと思いませんか!?



※これで今回のサハリン旅行記は終わりです
 皆さんも来年の定期航路で是非行ってみて下さいね






























コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サハリン渡航8月6日~9日 番外編20「レーニン広場」

2013年10月19日 | Sakhalin

こちらはユジノサハリンスク駅前に広がる「レーニン広場」です

レーニン通りから行くと、まず旧ソ連時代を象徴する巨大なレーニン像が立っています

この公園には、大きな噴水池や、複数の段差がついた長い流水路があり

夏には子供達が水遊びをする様子が見られ、どこか札幌の大通公園を彷彿とさせます

市民の憩いの場なのでしょう、昼夜問わずたくさんの人たちがここで過ごしています


写真を撮ったのは殆ど早朝ばかりだったのであまり人がいませんが

朝5時くらいからオレンジのベストを来た清掃員が公園だけじゃなくレーニン通りなどを清掃していました

近年、ユジノ都心部の街の美化運動に力を入れていることがうかがえます

あまりに車が多いので排気ガス問題はありますが、カラフルな建物と花に囲まれた綺麗な街です


さて、もう随分前の事のような気もしますが

まだたった20年前、1991年末に解体されるまでロシアはソ連という社会主義国でした

ご存じ世界初の社会主義国で、ソビエト連邦共産党の一党独裁国家ですが

1905年のロシア第一革命に端を発したロシア革命の中で

労働者の代表機関ソヴィエットを率いて10月革命を成功させ

革命後の1922年、人民委員会議長(首相)としてソヴィエット維持に強い指導力を発揮したのが

このウラジミール・イリイチ・レーニン(1870-1924)です

その後約70年間にわたりソ連はアメリカと双璧を成す軍事超大国として存在しました

しかし時代とともに社会主義経済も翳りが見えはじめ

1985年にソ連の最高指導者書記長に就任したゴルバチョフは

ペレストロイカにより、計画経済政策を掲げ経済の立て直しを図りましたが

結果的にアメリカを相手とする軍拡競争と計画経済政策を両立させることは出来ませんでした

そして1991年末、ソ連邦を構成した15の民族協和国へと解体し、東西冷戦構造も終焉を迎えたというわけです

この際モスクワをはじめとする大都市ではレーニン像は取り壊されました

しかしサハリンではユジノだけではなく、コルサコフ市役所前の中央広場にもレーニン像が建っています

社会主義国ソ連という国家自体が崩壊して20年経ったとはいえ

ロシア国民の間には未だ超大国への郷愁というようなものが存在しているのでしょうか

聞けばサハリンでは今だにレーニンさんは人気があるのだそうです


















コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サハリン渡航8月6日~9日 番外編19「サハリンの車事情」

2013年10月18日 | Sakhalin

ユジノサハリンスクの主要道路を見ていると日本車が多いことがわかります

走っている車の実に90%が日本車で、さらにその90%がトヨタ車だそうです

日本車は高いですが性能も良く故障も少ないという事で評価されています

一番人気は何と言ってもランクルに代表されるSUV車です

都心部以外ではまだ未舗装の道路も多いので、悪路に強い4WDのSUV車が人気なんです

最も目にするのは「ランクル」「プラド」あたりでしょうか

あと「ハリヤー」も人気ですし、今年は「FJクルーザー」も見かけました

2011年に訪れた時にはあまり見られなかった日産車も増えたように感じます

同じく以前はあまり見られなかったコンパクトカーも目につくようになりました

ちなみに車は右側通行ですから、右ハンドル車が多いというのはどうなんでしょう

時折、日本の○○商店とか、○○水産とか、○○運輸なんて商用車が走ってて面白いです


あと、こちらは道路に側溝がなく、雨が降ると水はけが悪く砂埃もたまりやすいせいか

基本的に車が埃まみれで汚いですが、あまり気にしていないようです

近頃、洗車場も出来たばかりなのか、列をなしているのを見ましたが殆ど意味がなさそうです


次に運転マナーですが、基本的に飛ばしますし荒いのは確かですが

なのに歩行者にはとても優しいというか、マナーの悪い歩行者に対して決してクラクシヨンを鳴らしません

歩行者が信号を守らなかったり、斜め横断していても、急停車して待っているのです

日本だったらクラクション鳴らしたり、怒鳴ったり、露骨に荒い運転したりしますが

不思議なことに(?)こちらのドライバーはそういうことをしません

車同士ではやっているようなので、歩行者に対してのマナーが絶対的に指導されているのかも

あともう1つマナーが良いと言えば信号待ちです

黄色信号で突っ込んだりしませんし、青真近の見切り発車も青になっての急発進もありません

それは信号が秒数カウントダウンがあるところが多いからでしょうか

欧米ではよく見られますが、日本もこれが良いなとつくづく思います

いつまで待てば良いか分かるのでイライラしません

あと信号の切り替わりも日本より早いので、結果、黄色信号で突っ込む必要までしなくて良いのです

この方がよっぽど合理的だと思いました


さて、今回はサハリンで走っている古い車ばかり狙って写真を撮ってみたので紹介します

なんかレトロで可愛いので見てるだけで楽しいです

でも何度も言いますが古いのはバスや特殊車両が殆どで、あとは日本車ばかりです
















今回はあえて古い車を紹介しましたが、基本的には日本車の方が多いです

SUVタイプの高級車も多くまるで北海道の道路のよう







信号は秒数カウントダウンがあるところが多いのですが日本もこれが良いなと思います

いつまで待てば良いか分かるのでイライラしません





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サハリン渡航8月6日~9日 番外編18「カラフルな街」

2013年10月17日 | Sakhalin

ユジノサハリンスクの街並みはとてもカラフルです

街の中には4階建て、5階建の建物が非常に多く見受けられます

これはサハリンだけじゃなく、旧ソ連の都市では集合住宅が主流であった時代が長いせいです

集合住宅は「クバルチーラ」と言うのだそうです

最近ではユジノ郊外に一軒家も増えてきましたが、今なお主流はクバルチーラになります

クバルチーラは当時旧ソ連政府が建設したもので、狭さも含めて日本にある団地とよく似ています

高層階にするとエレベーターを設置しなくてはいけなくなり経費もそれだけかかるので

殆どが4階~5階建てになったと現地の方が教えてくれました

よって建物自体はかなり古く、壁の色もコンクリート打ちっぱなしのような冷たい外観でしたが

近年、外壁の塗り替えがすすみ、特に大通りに面した建物はかなりカラフルになりました

政府から引き渡された時点でかなり老朽化も進んでいたようですが

今は見た目に反して、中は意外に綺麗に改装されているところも多いようです

また、冬期間の暖房は集中暖房になっており、温水パイプで部屋を暖めるタイプのようです

ただ細かな調節が効かないので、個人の家庭での温度調節は窓の開閉がメインです

それから日本の団地も同じですが、クバルチーラの周囲にはたいてい小さな公園やベンチがあります

外で過ごすのが好きなロシア人にとっては憩いの場になっており

小さな子供が走り回り、お年寄りはベンチで井戸端会議

陽が暮れると団地の窓にポツポツと明かりが点りはじめ

晩ごはんのいい匂いが漂ってくる頃、みな我が家へと帰っていくのです

日本ではあまり見られなくなった、人の生活のぬくもりを感じる光景ですね














最近、ユジノ市内では最新鋭の設備を持つ新築マンション建設が進んでいます

これもサハリンプロジェクトによる好景気のおかげでしょうか








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サハリン渡航8月6日~9日 番外編17「何となく撮った」

2013年10月17日 | Sakhalin

海外旅行に行くとどこを撮っても気になる景色ばかりで

標識とか看板とかその国の言葉が入っているだけで写真に撮ってみたくなります

僕は旅の際にはカメラを常に持ち歩いているので何でもバチバチ撮るのですが

後で見るとあまりの枚数にびっくりするのと同時に

「何でこんなの撮ったんだろう?」と思うようなものも沢山あるのですが

決していい写真じゃなくとも中々捨てられなかったりします

そんなブログで紹介するほどでもない(笑)写真達を集めてみました

































コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サハリン渡航8月6日~9日 番外編16「戦後製D51形蒸気機関車と旧豊原駅の倉庫群」

2013年10月16日 | Sakhalin

表紙写真はユジノサハリンスク駅前で保存されている戦後製D51形蒸気機関車です

1945年の終戦当時、日本運輸省鉄道総局樺太鉄道局の国鉄線など南樺太の施設および資産について

ソ連最高会議幹部会は同年9月20日に国有化を命令し、翌1946年2月2日に公表しました

これを受けて決議されたソ連人民委員会議令263号に基づき

ソ連国鉄を運営するソ連運輸通信人民委員会は豊原に南サハリン鉄道局の設置を指示

南サハリン鉄道局は運輸通信人民委員会がソ連運輸通信省に改組された1946年4月1日に発足し

ユジノサハリンスク、ホルムスク、ポロナイスクに鉄道地区部が設置されました

戦後もサハリンにおいては、1948年末の引き揚げ完了まで日本人の居住が認められたため

日本人が引き続き南サハリン鉄道局の国鉄線運営に従事し、ソ連側に業務を引き継いだのです

南サハリン鉄道局では一部にソ連製の機関車および貨車の投入例がありましたが

戦後も約20年間にわたって戦前の日本時代の車両や設備が引き続き使用されたとの事です

1948年には写真と同じ新製輸出された日本製のD51形蒸気機関車が主力機関車として投入されたほか

1961年には日本製のA1形ディーゼル動車8両が投入されたようです


勿論、レールは日本時代につくられたもので、今なお立派に活躍していますし

同じくユジノ(豊原)駅横に立ち並ぶレンガ倉庫群も健在です

近年、あの宮沢賢治の代表作「銀河鉄道の夜」のインスピレーションを与えたといわれるサハリン

いつか、大正12年に南樺太を訪問した宮沢賢治の足取りを鉄路で辿ってみたいものです











コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サハリン渡航8月6日~9日 番外編15「「サハリン州立郷土博物館(旧樺太庁博物館)」

2013年10月16日 | Sakhalin

これは1938年(昭和12)年に建設された樺太の名建築「樺太庁博物館」

日本統治時代には樺太の自然や歴史などを展示していたそうです

現在は「サハリン州立郷土博物館」として残っており

館内にはサハリン先住民族、文化、産業、自然等の紹介から

日本統治時代の遺品のほか展示品は多岐に渡っています


第二次世界大戦にまつわる展示もあり

これはソ連軍から見た戦勝国としての記録なのと

日本では上映出来ないような、無残な死体の映像も流されており

日本人としては非常に複雑で悲しい気持ちになりますが

これは仕方のない事ですよね


また、建物は日本の城郭屋根を乗せた、当時流行していたという帝冠様式の建築で

築70年以上経つとは思えないほど、重厚でしっかりとした佇まいです

中庭には日本軍が実際に使用していた大砲も展示されいました

前庭には綺麗な噴水があり、ベンチでのんびりしたり、記念写真を撮ったりと

ロシア人にとっての憩いの場となっているようでした

入口には樺太神社から移設された狛犬も鎮座していました

日本では考えられない事ですが、ロシア人の子供が無邪気に狛犬と遊んでいました

それでも、無下にされるより仲良く暮らしてもらう方がいいですよね


















コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サハリン渡航8月6日~9日 番外編14「シティモール」

2013年10月15日 | Sakhalin

ユジノ市内の郊外で一際巨大な建物がこの「シティ・モール」

2009年にオープンしたユジノ初の大型ショッピングセンターです

スーパーマーケットや飲食店、ブランドショップ、映画館、ボウリング場などが

広大な5フロアの中に入った複合商業施設です

札幌のサッポロファクトリーがそれに近いかも知れません

外の駐車場も1000台はゆうに停められそうな規模です

僕自身来たのは2回目ですが、今回も殆ど時間がなく1~2階をちょろちょろしてる間に時間切れ

最低でも半日はいないと充分楽しめないかも知れません


施設のメーンゲートを通り、1階ホ-ルに足を踏み入れると2階吹き抜けになっていて

中央にカフェと日本車やドイツ車などの高級RV車が展示されています

店内を歩くと本当に広く、近代的で洗練された作りとなっており

「ここが本当に極東ロシア・サハリンなの!?」とカルチャーショックを受けてしまいます

それにしても“こうした複合商業施設がある”という事自体が

サハリン経済の急成長ぶりと、市民の生活の豊かさの象徴だと言えるでしょう


確か5階一番上には「ニトリ」のようなホームセンターと全11レーンのボーリング場になっており

4階には5つの劇場を備えたシネマコンプレックス

3階にはサハリン公演で打ち上げで使ったビアホール「ブハーリン」などの飲食店とブティック

2階にはファストフードなどを楽しめる広いフードコートとブティック

1階にはスーパーマーケットと化粧品店、高級ブティックが立ち並ぶetc...

という構成だったように思うのですが・・・

何ぶん2回訪れたとは言え、何れも充分な時間があったわけではないので自信がありませんが

食べたり、飲んだり、買い物したりなんてやるならば

丸一日いっぱいいても遊び足りないくらいだと思われます

また機会があったらゆっくりと回りたいものです










1階フロアのど真ん中にお洒落なカフェがあります

日本車にドイツ車にバギーまで展示されてました







1階フロアには日本でもおなじみの「ロクシタン」や「ロイズ」「ゲス」「アディダス」などあります









他にもお洒落なブティックやスポーツ用品店など多数入店しています



見ても何書いてるかわかりませんがフロア図です





こちらはシネマコンプレックス



これはトイザらスみたいな大きなおもちゃ屋さん







2階には広いフードコートがあります

ドーナツ、アイスクリーム、フレッシュジュース、ラーメン屋までありました



これは熱帯魚屋さんです



「侍SAMURAI」という店ですが、日本の包丁などを売ってる店です



ここはおそらく民芸品土産専門店「ゲルメス」の支店と思われます



こちらは日本製品を扱うお店「いざなみ」



ネイルサロンではロシア美女二人がお手入れ中でした



若いカップルのデート場所としても人気





稚内吹奏楽団サハリン公演の打ち上げ会場だったビアホール「ブハーリン」

日本風に言うと札幌ビール園を思わせる巨大ビアホール

ビールはここで造られており、出来たての生ビールを味わうことが出来ます



シティモールの駐車場から飛行機が飛んでいくのが見えました

近くにユジノサハリンスク空港=ホムトヴォ空港(日本時代の旧大沢飛行場)があるのです

サハリン航空では夏季期間、新千歳と水・土の週2便で運航しています
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サハリン渡航8月6日~9日 番外編13「メガポリス近くのバザール」

2013年10月15日 | Sakhalin

ここはユジノ市内エセーニナ通りという道路に面したデパート「メガポリス」近くのバザールです

以前はバザールといえば青空市場(露店)が殆どであったそうですが

近年は州政府の指導などで建物に入ったものが多くなってきたそうです

ここのバザールでは主に野菜や果物、生活雑貨などが多く見られました

また近くにはサケ・マスを扱うテントもありました

当ブログで紹介したスーパー「ピエールヴィー」は価格もかなり高いので市民生活には向いていません

多くの市民の台所と生活を支えているのは、やはりこうしたバザールなのです



















コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする