稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

長正館 井上勝由館主死去 2021年7月27日

2021年07月30日 | 剣道・剣術
長正館の井上勝由(いのうえかつよし)館主が亡くなられました。
(2021年4月3日に館長から館主になられました)

大正15年生まれ、満94才(数え96才)でした。
最後まで自宅のマンションに住まわれました。
27日に調子が悪く、診察のため病院に行ったところ、
診察の直前で、息をしていないことに周りが気づかれたそうです。
最後は咽頭がんを患われましたが、がんの痛みが出る前に亡くなられました。

井上勝由先生は私の小野派一刀流の師範です。
頑固な性格で、細かいところにも目が行き届き、
長正館の運営については何回も叱られ指導されました。

褒められることはまず無かったです。
しかし、厳しくされたという事はそれだけ信頼も期待もされていたのでしょう。
武道の師弟でもあり、自分の父と年齢も近いこともあり、父親のような気持ちで接していました。

今年の5月22日に、剣道の道具一式、竹刀、木刀、一刀流の鬼小手など引き取りに行きました。
「長正館の後は頼むで」と言われ男泣きに泣かれました。
私も先生の手を握り涙が止まりませんでした。

剣士が剣を捨てる時。
この時、先生は、もう先が長くないと思われていたのでしょう。

長正館には、小野派一刀流を学ぶためだけに入門したのですが、
いつも間にか剣道稽古にも参加するようになりました。

2017年7月28日に長正館が閉館し、そのあと指導者層がごっそり抜けてしまいました。
高齢者が多かった事もありますが、長正館と言う建物が無くなったことも大きな原因だと思っております。
井上先生の人生は長正館の歴史そのものであったと言えます。長正館が無くなった時は本当に悲しそうでした。
そして私が成行き的に剣道のほうも面倒を見る事になりました。
稽古は近くの学校施設を借りて、人数は減りましたが何とか稽古を続けるようになりました。

井上先生は、毎回の稽古にバイクで来られます。
さすがに危ないので車で送り迎えをすることになりました。
冬は指先が冷たくなって動かないとかで、毎回、小さな電気ストーブ2つと電気マットを持参しました。
昔の長正館には大きなガスストーブがありましたが、
先生のために、あの大きなガスストーブがあればどんなに良いかと何回も思ったものです。
小さな電気ストーブでは指先しか温められないのに先生は喜んでおられました。

昨年の12月22日が2020年の稽古納めでした。
若者達や子供たち、最後は私も稽古をお願い出来ました。
この日が井上先生の最後の防具を着けての稽古になりました。
最後まで防具は自分で着用され、蹲踞もきちんとし、私達と対等に稽古をされてました。

コロナ禍で、もともと稽古量は激減していましたが、
もしコロナ禍で無ければ、そして建物としての長正館があったなら、
井上先生ももっともっと長生きされたのでは無いかと残念に思っているのです。

お通夜は7月28日、告別式は29日でした。久々に泣きました。
夕暮れの西の空を見ながら「今頃先生は煙になって空に向かっておられるんかな」なんて思ってました。

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以下、思い出場面。


(2017年7月26日、稽古終了後の集合写真)


(2017年7月29日、神棚を撤去した閉館時の集合写真)


(2020年2月5日、矢田中学校体育館にて)


(2020年2月19日、矢田中学校体育館、A君弟との稽古)


(2020年12月22日、長正館の稽古納め、手前左が井上先生)


(2021年4月3日、小野派一刀流の稽古のあとで)


(同じ写真の拡大)


(2021年5月22日、井上先生のご自宅で)


(同じ日、海軍のお話を色々聞かせていただきました)


(2021年6月26日、先生のバイクを引き取りに行った時)


(亡くなる数日前に出された暑中見舞い)



(文面は印刷でしたが宛名は自筆でした)

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井上先生、お疲れさまでした。
安らかにお眠りください。
本当に長い間、ありがとうございました。
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