稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

脇構之付(即意付)(昭和62年10月29日)

2018年01月03日 | 長井長正範士の遺文
もう皆さんの大方は出来るようになりましたが改めて詳細に申し上げておきます。

但し、打方仕方の形のやり方は省略して大事なところだけ述べておきます。
先ず打方が先に咽喉を突きにくるのを、向かい突きに突き出し、双方鎬で受けつけ、
力が相均衡して離れない漆膠(しっこう=漆やニカワで両剣をくっつけたように)
の状態になることです。

その瞬間、仕方は打方の剣になじまず、その心を見極めて圧迫し、
互いの鎬の合うところの強弱変化、微妙な機を感じ合いながら、
手の内の味わいを逃さず、固過ぎず、柔らか過ぎず、打太刀に仕太刀の心の糊を
ピッタリと続飯(ぞくはん、そくい)をもって付けたようにつけます。

ぞくはん=そくい=即意=相手の意に即し(即応し)ながら、
右にも左にも上にも下にも出ても引いても強くても弱くても微塵もずれることなく、
くっつけてはなさない。どこまでも打方の意に即してつきまとい理詰めに攻めるのです。

昔は各流派もそうですが敢えて片仮名や平仮名で書いて
(漢字で書くと意味を察知されるから)他流にわからないようにしたのです。
即ち「しっこうの付」ぞくはん(続=つらなる意あり)と書いたのです。

さてこの続飯(即意)付の心得で大切なのは、
肩から両腕全体をつかうのではなく、手首、手の内だけで味わうのです。
もし両肘(第二関節から)から手首全体に力を入れ即意付のつもりで
ピタッと鎬をつけて攻め行くと、相手が手首堅しと見てとり
急に剣を右下(相手側が右下に)に外すと仕太刀は手元が堅いから
ガクッと左斜め下へ上半身が崩れ、その刹那、打太刀はこれぞ幸いと
逆に刃を返し仕太刀の首を斬るなり突くなり思いのままに仕太刀を倒すことが出来るから、
前述のように手首を柔らかく、手首だけで相手の剣を先に押える。

打方も己が剣を右に抑えて突きにくるから、
これまた手首だけで軽く相手の剣を左に押えて下がるから、
お互いの剣がピコピコと左右に揺れ動き、両鎬があたかも続飯でひっついたようになり、
最後は打方が嫌って無理に仕太刀を左下(打方から見て)に烈しく払い挫くので、
仕方はこれに逆らわず、それをむしろ助け、ひっつけた剣をパッと低い姿勢の脇構えに外す。
このところが大事な勝どころであります。

この即意付は一刀流の組太刀の中で各所に出て来ます。
その中で皆さんもやっておられる下段の付中正眼の即意付、
切返しの攻め入るところ等、各所に見られる通りであります。

この「敵に従うの勝」でもう一つこれに関連して申し上げておきたいのは「浮木」であります。
少々横道に入りますが、これは一刀流組太刀の傑作であり、
私はこの「浮木」で、どれだけ竹刀剣道に役立っているか計り知れないほど
いつも有難く思っておりますので、その大事なところだけを述べ、
是非ともこの浮木を体得されるよう希望して止みません。

竹刀剣道をやる前、準備運動として毎回やって頂きたく、
手おぼえ、足おぼえ、体におぼえさせて頂きたいと思います。

(続く)



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