稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

木曜会定例稽古(2019年7月11日)

2019年07月12日 | 木曜会(誠先生の剣道教室)
四條畷市立四條畷西中学校の体育館。
20時から21時15分まで。今年23回目。参加人数20名ほど。
先週は腕の故障のためお休み。本日も見学のみ。
O野君来るかな?と思って着替えたけどO野君もお休み。
開いた扉から風が入ってきてそこそこ涼しい。

本日は横で見学。
特に気に留めた部分のみ記す。

---素振りでのお話---
左足のヒカガミを伸ばしたところから左足で右足を送り出す。
体幹が出来ると目標物に対する打突のブレが無くなる。
振り下ろした時、左拳が上がるような打ちにならないように。

---稽古中でのお話---
竹刀が打突部にきちんと当たらないのは間合いが悪いから。
大抵の場合は間合いが遠すぎるから。

打ったあとの足捌きと体捌きの改善。
打ったあとは、振り向いて対峙し、右足を引いて構えること。
振り向いた時に足が泳いでいては駄目。剣先もピタッと止めること。
振り向いた時に近ければ、そのまま下がって右足を引いて構える。
この時に頭を引いて背筋を伸ばすと見違えるほど風格が出る。

打ったあとの残心、構え直しは昇段審査では見せ場である。
歌舞伎の見得をきるのと同じでゆっくり堂々と行うのが良い。
見得をきっている時は相手は打って来ない。

普段の稽古でも考えながら稽古をすることが大事で、
こしてやろう、こうしたらどう出るかな?など考えながら行うこと。
そのためには自分から仕掛けていく「先の気持ち」が大事である。

「いーち、いちに」の剣道。「いーち」でどう入るか。
「いーち」で入れるか入れないかで剣道は決まってしまう。
そこで相手の機を見て技を出す。すぐ打ってしまっては駄目。
打ち気にはやって入ってしまったら失敗する。

勝つべきところは「相手が打とうとした」ところ。
「いーち」で入るところを怖がっていてはいけない。
しゅっと入る。思い切って自分の打ち間まで入ること。

先の気持ちを持ち続けること。
集中とは「今、起ころうとする現象を予測し続けること」である。
(木曜会メンバーであるメンタルトレーナーの衣笠氏の言葉)
一点に集中することでは無い。先先と読んで閃く剣道。

「いーち」で入ってすぐに打っても駄目だが待ち過ぎてもいけない。
どこまで我慢すれば良いのか。それが明確になるのが間合いである。
相手が来るのを待ってばかりいては待ち剣になってしまう。
自分から中心を割って入って行けると思ったら打つことも大事。


(稽古前の風景)


(素振り)


(3人1組の稽古風景)


(「いーち、いちに」の説明-1)


(「いーち、いちに」の説明-2)


(「いーち、いちに」の説明-3)


(最後の1分半の回り稽古)


【感想・反省点】

始礼のあと、師匠に「腕の肉離れして見学します」と言うと、
「トシ考えなアカン」「理に適ってないんと違う?」言われてしまった。
確かに相手よりも先に打とうと無理をし過ぎたのは事実である。

左腕はテニス肘、右腕は肉離れ。
もはやスピードを求める年でも無いのも確か。
これは鍛える方向を変えなさいという暗示なのかも。

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打ったあとの残心、右足引き付けての構えを意識するだけで、
稽古している道場全体の雰囲気が変わってしまうのがわかった。
全員、風格が違うのである。少しのことでこれほど変わるものなのか。
これは日頃、常に意識しておきたいコツである。

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終了後、同門のK芦五段にアドバイス。
基本稽古であっても元立ちは真剣に打つこと。
真剣に打ち込むことによって自分の稽古にもなるし掛かり手の稽古にもなる。
真剣に面に打ってくるから掛かり手は出小手も返し胴も打てるのである。

面打ちが出来ていない。面が打てなければ攻めが効かない。
最初から構えの剣先が相手のほうを向いていない。
打ってきたら返そうとする剣風が丸わかりである。
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