稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

No.61(昭和62年6月1日)

2019年08月18日 | 長井長正範士の遺文


◎朝げいこの皆さん、その後、京都大会や何やかやで暫く私の話をコピーして
皆さん、お渡し致しませんでしたが、4月17日(金)の朝、お渡し致しました分から
整理して漸(ようや)くまとめましたので、再びコピーしてお渡し致したいと思います。

ちなみに、今迄の№1から№60までひと区切りにし、第一編とでも致しまして、
№61からは新たに第二編のつもりで述べて行きたいと思いますので、
又、総論のような所から入ってゆきたいと思います。

○日本の国体ほど大宇宙の眞理に叶った国は世界中にない。
1、天照大神=天照(あまてらす)=太陽の事であります。
2、日本という國名と国旗、日の丸を考えて頂きたい。
3、神武天皇は武の神様であります。
4、日本は天皇と申し上げる。即ち天の皇(御子=皇)と言います。
5、他国は天皇という名称はありません。皇帝とか、大王、王、帝王という名称はあっても
天の皇(みこ)は日本の国だけであります。
この項は№26の国体の項に続いて心にとどめて頂きたい。

○心について
1、心から出た言葉は相手の心に響く。
2、心を磨けば顔も輝く。
3、心のたんれんした者は技が正しい。
4、心廣体胖(ひろし=寛大さの意)=四書の中の大学にある。
即ち心広ければ肉体も豊か(ゆたか)。心と肉体がひろくゆたかであること。
更に進んでは心せまく、わが肉体の煩い(わずらい)を、くよくよと気にしてはいけない。
病は気からと言われるように心を病に止めず心を大きくもってすれば体もゆたかになり病気しない。
ということで、これを額に書いて湯川胃腸病院の待合室の正面に掲げてある。
湯川院長のお兄様である、故、湯川秀樹博士の書かれたものである。
私はこれを見て大変教えられたのである。
流石、湯川胃腸病院の評判のよいのは、ここに在ると、
つくづく湯川先生の仁術に感銘を受けたのである。
とかく此頃の医者に気をつけなければならないのは算術の藪医者の多いことである。
心すべきである。
5、心は外に出すものではない。体内に安らかに納まっておらなければならない。
剣道で打とう打とうと思い続けて叩き合いするのは
心が外に表われ心が動き相手にも心を迷わせられるのを戒めねばならない。
昔からよく歌われている歌に“心とは如何なるものを謂うやらん、
墨絵に画きし松風の音”胸に手を当ててよくよく吟味すべきである。
心については№6、21等、再度読んで頂き修養のかてとして頂きたい。
尚、以前、口頭で言いましたが
“心とは心に迷う心なり、心に心、心変るな”
生涯修養である。次に心に関する一つの物語を記しておく。

○或日、ある寺の和尚が庭に咲いた由緒ある椿のひと枝を、小僧に命じて
茶人宗旦(千利休の孫で千家流茶道を創立した江戸時代の茶人)のもとへ届けさせました。
ところがどうしたわけか、椿の花は途中で落ちてしまったのです。
小僧はビクビクし乍ら、宗旦に自分の失敗を詫びました。
ところが宗旦は小僧を茶室に招き入れると、床の間に、利休作の竹の花入れをかけ、
その中に椿の枝を入れ、花入れの下に落ちた花を置きました。
そして薄茶一服を点じて「ご苦労さん」と、労をねぎらったというのです。

この逸話を聞いて某氏は、ほっと心に安らぎを覚えたのです。
労をねぎらうというのは相手を大切にする心の表れです。
宗旦はビクビクしている小僧さんの気持ちをすっぽりと包みました。
そして落ちた椿の花もそのあるが(この項 続く)

註:№53に昔の武士訓の心を紹介しておきました
コメント
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