昨日団体戦で負けた要因を考えてみると、最近、感じていたことに結びつくんじゃないかと感じた。
何か「ぬるい」と言うか、ピリピリ、ギラギラした選手がいないということ。
道場内で試合をし、負けても悔しいという気持ちは伝わってこないし、自ら課題を克服しようとする姿も感じられない。
反面、親や選手は、我が子や自己を過大評価している者が多いと感じることも多く、ここ数年、続けて全国へ出て、団体戦でも勝つ時代がしばらくあったせいか、勘違いが発生しているように感じて仕方がない。
元々、強豪道場なんかではなく、全国へ出場したと言っても、紙一重の戦いをギリギリで制してきただけであって、そこにはたゆまぬ努力や反省、検討を繰り返してがあってこその結果であり、ただ単にその場にいて、ただ単に練習し、また練習場所によって温度差があるような状況で、日々努力をしている道場や選手に勝てるはずがない。
繰り返し、我々は強豪道場などではない。
才能に満ち溢れ、体格に恵まれた選手などいない。
名もなき雑草軍団が雨風に打たれ、上から踏まれて踏み倒されても「いつかきっと」と泥々になって這いずり回り、また、その時々に感謝の気持ちを持ってやってきた。
ただ、今はそんな時代を知る人間は少なくなり、所謂、恵まれた時代の中でやってきたマイナス面は確実に出てきている。
そんな状況を感じていながら、傍観していた自分自身にも原因があるかも知れない。
しかし、一度、温室を知ってしまうと、人間はなかなか下げれるものではなく、急に灼熱の温度を押しつけるわけにもいかず、何より要らぬお節介をしても自らの意思がないと意味がない。
数年間、栄華の中でやっていたことで得たこともあるが、失ったものもあるように感じる。
それに気がつかなければ、世の習いどおり、栄枯盛衰しか待っていない。
そう考えると、自分自身はどん底からスタートしたのは良かったのかも知れない。
悔しいという気持ちを常に持ち続けている。
何で悔しくないんだろなぁ〜・・。
何で笑ってられるんだろなぁ〜・・。
最近の練習を見ていて、そんなことばかり考えている自分がいる。