秋の便りにはまだ早いのですが、昨年の秋に草野町を歩いた時の写真を掲載します。10月と11月、草野の街並みから耳納北麓に広がる柿畑の風景を楽しみました。枚数が多いので3回に分けて投稿します。
草野町は久留米から日田へ行く往還のうち、山辺の道の宿駅として栄えました。江戸時代には街道沿いに様々な生業を営む民家が連なっていました。通りの恵比寿さんの後ろには火の見ばしごが残っています。以前は上に半鐘が下がっていたのでしょう。右手の民家は鹿毛家住宅です。醤油醸造や特産の櫨精蝋、質屋を営み、盛時には数十棟の蔵がありました。
鹿毛家の横小路から、南に耳納連山を望んだところです。これから東の方へ、ぶらぶらと表通りを歩きます。
仕舞屋のショーケース。写真などが置いてあり、ケースの上部には「たばこ」の文字があります。こういう店頭の様子は古い街並みの残る町でよく見かけます。空にしているよりも何かを並べていたいという気持、よくわかるような気がします。
素戔嗚神社。この地を治めていた草野氏の守護神として祀られ、豊臣秀吉によって草野氏が滅ぼされてからは地元の氏神様として崇敬されています。社殿を飾る見事な彫刻群のほかには華美な装飾はありません。枯れた清々しい神社です。
草野町の中心部あたりです。商家は東西に走る街道沿いに並んでいました。この町の民家は造りが大きく、栄えていたころの面影を残しています。
陽を浴びている骨董屋の壁。昔はこういう琺瑯看板を田舎のバス道路でよく見かけました。
町の端のところまで来たので引き返します。
真新しい塗装の建物があります。
玄関に掲げられた看板。明治の終わりから大正にかけて存続した銀行です。住家と一体となっています。昔はこうした小さな銀行が各地に設立されました。
すぐ近くには草野銀行の旧本店があります。先ほどの銀行とは別の銀行です。いまは市の歴史資料館になっていて、草野地方の史料が展示されています。表通りを後にして、この小道を奥へ入っていきます。
道の突き当りは大正時代の診療所です。いまは骨董屋になっています。右手はお寺です。草野氏の庇護もあり、耳納北麓には寺社仏閣が多く点在しています。
秋の日の田舎の元診療所の佇まいです。
裏手にまわると山羊が飼われていました。
ここから次第に街を離れて西の方へ歩いていきます。
この記事、続きます。
北野町と混乱していました<?>・・無知な私です
いい雰囲気の街ですね。昨年ドライブしたときに
楽しかったです
水害の被害はなかったですか?
筑後川に近いところが水につかりました。
耳納北麓と草野町はいい所です。
気候の良いときに、ハイキング気分で時々歩きます。