田園都市の風景から

筑後地方を中心とした情報や、昭和時代の生活の記憶、その時々に思うことなどを綴っていきます。

シーズンを終えた柳坂櫨並木

2015年11月28日 | 耳納北麓

 今年の櫨並木の紅葉は終わったとは聞いていましたが、一応行ってみました。

 山手を望んだところです。ほとんど落葉して、実がたくさん生っています。

 

 櫨はその実が木蝋の原料となることから、18世紀前半から久留米藩が植栽を奨励し、藩の財政を潤す米に次ぐ主要産物でした。ここ耳納北麓にある柳坂の櫨並木はこの時代の名残で、1㎞ばかりの並木道に約200本の櫨の木が植わっています。私が小さい頃は、町のあちこちに櫨の木が残っていたものです。人によっては、その下を通るとハゼ負けをして、皮膚がかぶれると聞いていました。

 晩秋の筑後路を彩る紅葉の並木ですが、温暖化のせいか、最近はあまり色づきが良くないように感じます。

 櫨の実です。筑後地方には、まだ1軒だけ製蝋所があります。木蝋は和ろうそくのほか、化粧品にも使われているそうです。

 

  麓の方角です。

 

  櫨並木の傍にある香櫨亭です。水車や民家の研究家であった方が喫茶軽食の店をしてありました。今は故人となられ無住の家ですが、櫨並木の点景としてそのままにしてあるのでしょうか。

 

  この地方の特産である柿畑です。柿だけは気温に関わらず、どこもきれいに紅葉しています。遠くから見ると赤い群をなしているので、柿畑だと分かります。紅葉の仕組みが違うのでしょうか。

 

  この柳坂をずっと登っていくと兜山(通称ケシケシ山)があります。その山頂に明治期の洋画家、青木繁の遺言によって指骨を埋めた記念碑があります。それには友人の坂本繁二郎の書による青木の望郷歌が彫られています。

 「我が国は筑紫の国や 白日別

        母います国 櫨多き国」

 毎年3月下旬には、記念碑の前でケシケシ祭りが行われます。

 

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