田園都市の風景から

筑後地方を中心とした情報や、昭和時代の生活の記憶、その時々に思うことなどを綴っていきます。

出張先でお供は鞄持ち

2016年09月01日 | 遠い日の記憶

 今から30年ほども前。時々、社のトップに随行して出張した。行き先は主に東京である。初めて行った時は先輩からノウハウを色々と教えてもらった。出張先ではトップが仕事に専念できるよう、諸事一切の雑用は随行者の仕事である。しかも効率的に動けるように気を使う。

 まずお供だから当然、鞄持ちである。訪問先への土産や資料もあるので、自分の携行品は洗顔用具や着替えなど限られたものしか持って行かない。

 社用車に乗る時とは違い、タクシーに乗る時は後部座席の右側に座ることにしていた。目的地に着くとトップは先に降りて行ってしまうので、車中でメーターを睨みながら釣銭の要らないようお金を用意する。

 常宿のホテルに着いても、彼は真っ直ぐエレベーターの方へ歩いて行く。私はチェックインを済ませ重いバッグを持って後を追いかける。当時は宿泊棟が別館で距離があるので助かった。

  夜。部屋で明日の予定と資料を確認する。当時はまだ携帯電話もパソコンもない時代。電話もかからず解放的な気分で一息つく時間である。トップは今ごろテレビで好きな野球でも見ているだろう。自動販売機でお酒を買ってきて飲むことにする。翌朝は時間通りに部屋のドアをノックしなければならない。

 大きな会合などの帰りは、ホテルでもない限り流しのタクシーを捕まえる人で混雑する。そんな時は50メートルほど走って行ってタクシーを止め、自分が先に乗り込んでいてトップを拾うのである。食事の時も、終る頃に席をはずして先に会計を済ましてしまう。帰りはレジを素通りである。何せトップは待っていてはくれない。

 ある地方都市へ行った時には、たまには遊び気分でついて来なさいと言われた。そんなことはあるまいと思っていたら、案の定、夜になって呼び出しがありホテルの部屋で口述筆記をさせられた。一晩で清書して翌朝に手渡すのである。先輩の中には、出張の時はいつ呼ばれても良いようにズボンを穿いたまま寝ていたという人もいた。こんな笑い話をよく聞かされた。いつも緊張して仕事をしていたが、仕事の基本を身につけた時期でもあった。

 まだ違う部署にいた頃、たまたま研修で上京していた時に連絡があり、野球のナイター観戦のご相伴にあずかったことがある。帰って同僚たちから自分だけ良い思いをしてと言われたが、椅子に正座して観ていたと返事をしたものである。

 ある年にトップが交代した。新しいトップは穏やかな方で、張りつめていた事務室の空気は一遍に緩んだ。叩き上げの人で、出張時でも旅行鞄は自分で持つからよいと言われた。帰りの空港で、土産を買うので荷物を見ていて下さいと厚かましいお願いをした事もある。しかし、それだけに気を使って業務に励んだ。仕事ぶりは人によっても変わる。

 

            フリーフォトより

 

 

 

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2 コメント

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良いお話 (tango)
2016-09-02 00:10:29
まぁ、、、素敵な話!
そのような思いでお仕事をされていたのですね~~
私はそのような話・・聞くのは大好き!
つまり秘書?いいお仕事ですね。でも大変はお仕事・
国会議員さんを見ていたら書類の政策は秘書が作り
返答だけ・・・それでも勉強していない国会議員は
返答がしどろもどろ~~~
若い時重役さんの秘書は勤務中に英語の勉強、タイピングも自由・・・
ホテルの予約、会議は英語で4枚複写
良い思い出です・・
ぜひまたお仕事のお話聞かせてくださいね。
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おはようございます (九州より)
2016-09-02 08:09:06
秘書は気配り目配り、全方位に神経を使います。
あと度胸も必要でしょうか。
tangoさんも秘書をしていらしたのですね。
この時期はいい勉強になりました。
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