HAYASHI-NO-KO

北岳と甲斐駒ヶ岳

イトススキ(糸芒、糸薄)

2022-01-18 | イネ・カヤツリグサ・シダ類など

かつて仲良し広場と呼ばれていた。
鬱蒼とした木々に囲まれてはいたけれど、野球が出来る広さがあった。
今も場所は残っているけれど子どもたちの歓声を聞く機会が減った。
寄りつかなくなったのかも知れないし、グランドゴルフに占有される時間も増えた。
挙げ句に周囲の樹は次々と伐採されている。
そこから南帯郭への崩れそうな階段を上がり
少し東へ歩くと、上ノ丸への真っ直ぐなやや急な勾配。
振り返ると西には二つの隅櫓。
幾つもの樹が伐られてしまったから隅櫓だけが浮き上がって見える。
坂道は今はイトススキとメリケンカルカヤの秋の姿。




















(2021.11.09 明石公園)






(2021.11.15 貴崎町)


▲ 石垣近くに育っていたアベマキなどの大樹は悉く伐られた。
お陰で見通しが良くなった…の声が白々しく聞こえる。
不格好な木製柵は、転落防止の為に置かれているだけで、景観そのものを損なっている。▼


(2021.11.09 明石公園)

もう、とどまるところを知らない樹木伐採。
坤櫓から北に伸びる石垣を隠していた樹も無くなった。
糸ススキが揺れている。
これでいいのだろうか。
















(2021.11.30 明石公園)


▲ ススキの葉は幅が狭い、イトススキはそれよりも狭い。▼







▲ 穂はススキほどには密では無い。▼

(2021.12.10 須磨離宮公園)


▲ 南帯郭の東の端から、東の丸に上る緩やかな坂道。正面の樹木は伐採されてしまって目隠しが無くなり
明石駅や銀座通りのビル群、その向こうに淡路島。
正直なところ、木の間越しで見えていた景色が台無しだ。▼


イトススキ(糸芒、糸薄)
 イネ科ススキ属 Miscanthus sinensis f. gracillimus
(2022.01.18 明石公園)

かつての鬱蒼とした森のイメージは霧消した。
何かが出そうで気味が悪かった……そうだけれど
周囲に高層ビルが建ち並び、鉄道線路も高架駅化された後もそこだけは別世界だった。
一度消えたものはたやすくは元には戻らない。
残されているのは古びた記憶と色褪せた写真だけだ。





 
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2 コメント

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繊細なイトススキ。 (こいも)
2021-11-22 14:40:08
林の子さん
イトススキがすっきりととても素敵です。
繊細な感じがして良いですね。
今年は、メリケンカルカヤも撮ることができませんでした。
お城とススキ・・・こちらでは見られません。
素敵なススキをありがとうございます。
姫路城は修学旅行で昔々…行きました。
下調べもせずに、ただただ友と歩いてしまったように思います。
でも、白く美しい姿は「わぁ~とても綺麗なお城~~~」と心に残っています。
今さらですがもったいないことをした・・・と思います。
こうして見させていただきますと、よけいにそのように感じます。
何でもその時だからこそ見ることのできるものがありますものね。
丁寧に良く見ておかなければ・・・あらためてそう思いました。
アベマキなどの大樹が切り倒されたあとが、傷ましく悲しげです。
とても残念ですね。
その時々に目に留まるもの、、、もっと大事にしなければとあらためて思いました。
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明石には天守閣は作られなかった。 (林の子)
2021-11-22 16:03:50
明石公園は、元々明石城跡地が兵庫県に払い下げられて、しばらくは農事試験場の役割を持ち
後に県立公園として整備されました。
大阪城と姫路城の間にある地形上の特性などの理由で天守閣は作られなかった。
四隅にある隅櫓も南東の巽櫓と、南西の坤櫓の二つと、それを繋いでいる石垣が現存するだけです。
それでもなぜだか築城400年記念とやらで見世物的に石垣だけがクローズアップされた結果が
自然保護に逆行する樹木伐採でした。
歴史というものに興味があっても、遺構の美しさだけにしか現代では目が向かない……そんな蛮行だと思っています。
伐採された樹木にも歴史があるはずで、それが元に戻ることはないと思うと、歴史的遺構?を残す意義そのものにも大いに疑義を感じています。
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