HAYASHI-NO-KO

北岳と甲斐駒ヶ岳

ロマンチストの独り言-22 【彼方からの便りに...】

2004-12-31 | 【独り言】
ロマンチストの独り言-22

【彼方からの便りに...】

 沈丁花の蕾も膨らんだ。
秋の金木犀、冬へのユッカ、春を待つ沈丁花。
多くの女性とかかわりあった俺だが、その時々に同じようにそれらの季節の花を自然の中に愛した。
偽りのない姿を....。
淡路島が近く見え、涼風が切なく過去を伝える頃に金木犀は甘く匂い、夕陽が紅く焼ける頃ユッカは下から順に咲いてゆく。
そして春、沈丁花の香りが....。
だが、俺は最早金木犀の香をかぐことはないだろう。
寂しさの彼方に、その香を思うのみ。
この人の世で、人は各々の生き方を持ちうる。
各々の孤独を寂しさを持つ。
生きることを、無意識のうちに生きていても寂しさはある。
人間としての寂しさの中に含まれる弱さが、突然死を現実に呈示する。
人を愛し憎んだ、人一倍寂しがり屋が今、人間としての俺を知ってくれた人に対して何かを語らんとしている。
生きていることは幸せかも知れないが、寂しい事でもある。
そして、やがて俺は、死を死ぬのだろう。


   
 南にリゲルが輝いている。
自分勝手な孤独の中に入り込んで、墓地を海辺を彷徨った頃と変わる事のない輝き。
愛がこれほど清く澄んでいて、純粋で変わる事のないものであってほしい....そう願ったことは、遠い昔話になってしまった。
愛の形は、愛を求め合い、失い、傷つき、青春の傷痕と感ずることにより知れるものか? 
俺は、この短い人間生活の中で多くの女性と様々な場面で出会い、その瞬間において可能な限り信じ、誓い、愛した。
愛の中に、友愛を含めて....愛した。
打算でない愛、執念深くない愛、傷つけ合うことのない愛。
その中に、愛に於ける、独占、忘我、信頼、妥協の意味を知ったつもりだった。

 お下髪を、姉の如き黒い瞳を、優しさを、純真さを、その時可能な限り愛した。
己を知らない人間が愛を誓うことは苦しい事であった。
だが、惜しみなく奪うもの....であるからこそ、記憶の一端に今も残っているものがある。
今となっては、去った日々に咲いていた花の一つ一つを記そうとは思わない。
「たった一つの花」は、結局どこに咲いていたかわからずじまいで、一層寂しく涙さえ流れそうなのだが....。
快活に騒いでいたお下髪、姉さんのように慕い、死の間際まで残ってくれそうに思っていた黒い瞳、優しさが大切だった大きな瞳。
それらの面影をみんな、彼方にある星座の中にそっとしまっておいて、俺は一つの冬の印象を伝えたく思う。
印象ではなくて、創作かも知れぬ。
愛を愛しきれなくて、そして本当の愛を人一倍捜し求め星を見ていた俺の、人一倍寂しがり屋の俺の創作なのかも知れぬ。
 
*  
 
  純粋さ。
最早、今となっては正確に思い出し得ない。
よしんば、その姿が手の届く所にあるとしても。色褪せて残っている、
押し花のように脳裏に懸命にしがみつき残されている影は、随分昔のものだから正確な筈はない。
だが純真さだけの感覚だけは残っている。
 ユッカの赤紫の蕾も先端まで花開き、白い大きな房が美しく夕焼けに染まり、枯れ野に吹く風が無情に冷たい頃だった。
 
 『食べない? 私も半分ほしいから、割ってもいいでしょ?』
 『さっき、こっそり外へ出てみたら、星がすごくきれかった....』
知らぬ間にビルの谷間は夕暮れだった。
半分に割ったビスケットをこわしちゃならない大切なもののように、両手で暖めながら俺はその人が去っていったドアを見つめていた。
細い指の暖かさが、金属製のドアノブに残っていそうだった。
幽かに残っている甘い香りが切なかった。
「十七年生まれ」といった人。
もし、本当なら俺は、姉さんと呼んでみよう。
知り合って二日目、随分親しくなることができた。
冗談を言い交わし、半分に割ってくれたビスケット、みかんの袋の数での大騒ぎ、この親しさは何故なのだろう。
そう考えている内、不思議なくらいの純真さに、漠然とではあったけれど心の揺れを感じた。
だがその純真さ、純粋な心をすぐ側に感じて一週間、俺達は最早別れなければならなかった。
寂しくはなかったが、その純真さを遠くへ遣ってしまうことは何としても寂しかった。
 『きれいなお話しのようだけど....。いつか読ませてもらうワ』
 「王子さまが言ってたんだけど、大切な事は目で見えないんだって。心で捜さないといけないんだって」
 「会って語れることは、大切なことだと思うんだけど」
 『でもネ、結局人間って、別れてしまうんでしょ、独りぼっちで....』
俺は出来そうにないと感じながらも、この純粋さを遠くへ去らせてしまうことを何としても止めなければ、そう思った。
 『いろんな事あったわね。楽しかった。またいつか会えると思うわ。何だかお会い出来そうな気がする』
俺は、その言葉が空々しく思えてならなかった。
何時までも会っていたいんだ、そう言おうと思った。
そう言えなかった。
寂しくなって見上げた星空は、意外なほど明るく澄んでいた。
そっと、横顔を見た。
 『どうかしたの?』
そう言って、俺の顔を覗き込んだ。
その瞬間、俺の心の中にあった筈の、愛に対する憧れを感じてくれたのだろう。
そっと目を伏せてこうつぶやいた。
 『あなたは、私を良く見過ぎているワ。何だか怖いみたい』
ちょっぴり大人っぽい声の響き。
横顔に未だ残るあどけなさと、不似合いな程に大人っぽさが感じられる声の響き。
細かな心遣い、優しい微笑み、そしてその姿が傍にある、そう感じるだけで安心できる大切な存在であると信じたかった。
可能なら、永遠を誓いたかった。
だが、考え直してみた。
二十歳を越え、死を死ぬ筈の俺が誓うことは不可だった。
 『愛って、まだまだわからない。わかっているのかも知れないけれど、現実とは結びつかないんだわ。自分が本当に愛しているんだって、誰も言えないんだわ。私、余りわかんないけど、愛することを大げさに考え過ぎているんだわ。私、余りわかんないけど....』
愛を、その本当の意味で肯定しつつ、現実の姿に不安を示す態度の中に俺は子供っぽい感傷を感じた。
星の無い夜だった。
別れて一週間、偶然と錯覚の交錯する人の世で、俺達は巡り合えた。
 偶然だった。愛が後ろ姿にあるかと紛うくらい偶然が嬉しかった。
俺の心も、純粋さも一週間前のままだった。
が、目にみえぬ時の流れが大切なものを流し去り、二人の間に、重い、どうしようもない境目を作ってしまっていた。
夙川堤には、桜の頃の華麗さはなかったが午後の静かな美しさがあった。
甲山は優しく北に横たわっていた。
だが自然の調和とは全く反対に、二人は別々のことを考えていた。
寒々とした夕風が吹き抜けていた。
 『純粋さ? 嘘でしょ? 忘れるとか、別れてしまうって、寂しいことだと思います。でも、もうどうにもならないし。私のことも考えてくれないと....』
そう言って寂しそうに目を伏せた可愛い顔に、俺は自分の信じていた純粋さが正しかったことを認めてた。
もうどうにもならないし....を幾度も繰り返し、愛を大袈裟に考え過ぎること、自分の考える愛はもっと自然なものであることを、ポツリ、ポツリ話してくれた。
だがもうどうにもならないこと、だった。
  『でも、結局愛することは、愛されることを望むことなのでしょう?  愛し返されることのない、一方的な愛って考えられない。
愛は、与え奪うものだワ。私は愛をロマンチックなものと考えたくないの。寂しくて、苦しくて、切なくて、涙があって。
それが正しいのなら、今、そんな愛を考えられそうにないの。与えられた愛に答えられる愛。愛し返すことのできる愛。
私には、それだけの苦しみに対する自信が無いの。ぐらつきのある愛ほど、悲しいことはないと思うワ。
いつだったか、あなたが言っていたでしょ?人間は永遠を誓えないって。その通りだわ。会って別れてゆくのが私たちなんだと思うわ』
夕霧の彼方に、街燈が仄かに点っていた。
俺は、一時的に感激して、すぐ愛に結び付けてしまったのは、愛の一つの形としての性急さの故であると、その時思った。
別れ間際に俺は、何故かこれっきり会えぬかも知れぬ人に、こう言ってみる気になった。
 「ごめんなさい。でも、純粋さはいつまでも大切にしておいてね。俺、あなたの肩をこうして抱いてみたかったんだ」
そう言って右手で、左肩に触れた。
伝わってくる温かさが大人っぽい感情を、一瞬だが感じさせた。
俺は決してそれを恥じることはなかった。
 「何時までもお元気で。さよなら、お元気で」
後振り返ることなく、二人は一人ずつになり、俺は、つい先刻歩いてきた道の、純粋さが残っていそうな道の左側を下っていった。
深青色のニテコ池に街燈が映って揺れていた。
 
 一体、何があったのだろう。
純粋さとは? 愛したはずの純真さ。現実ではなかった愛。
否、初めから愛など無かった。全てが虚偽の現実であったのだろう。
はかないもの、だったのだろうか?
花が枯れ、色褪せて散り逝く如く、純粋さの影は消え去った。
時来れば咲き匂う花、巡り来る星。だが、失った心は二度と取り戻せない。
冬の日、ユッカの如く愛した面影はもう、どうにもならぬくらい遠い。
純粋さのみが、押し花のように残っている。
儚い人の記憶として残っている。
俺は、純粋さを愛そうとしたらしい。
憧れが愛に結びつく理論もあるのだろうけれど。
俺は、別れて後、純粋さをそっとそのままにしておかなければならないと思った。
広隆寺の弥勒菩薩像の如く、優しく、物静かな純粋さに、手を触れることは禁断だ。
光り輝くのではない木造の、魂の篭った像、仏の道はわからなくとも俺は、純粋さを仏像の中に見られそうに思っている。
弱々しい響きかも知れないが俺は、美しさのすぐ側にある寂しさとともに、純粋さの意味を解する。
よしんば、純粋さという意味が俺の記憶と別な意味であっても、俺はこの純粋さを正しいと信ずる。
記憶は、夕暮れを彷徨って薄れてしまった故に、今となっては面影さえ思い出し得ぬが
俺は一つだけ、優しい言葉を、大人っぽい声の響きと共に覚えておく。
『あなたは、ほんとうに寂しさを自分のものと感じている様だわ』

*      *      *

 死、なんと重苦しい言葉!!  生への否定であり、生への要求である死。
純粋な心も、歪んだ俺の死も同じだ。
死、現実から隔絶。生の終末。
今、この場に立って、一方では多くを伝え、一方では全ての足跡を抹殺したく思う。
潜在意識の奥底から生まれる暗い恐怖や幻覚、不安と孤独の交錯、それらが死を否定し続けている。
俺は、可能なら愛を通してでもいい、人間としての俺を見つけたかった。
俺に、何が必要で何を考え続ければいいのか、そして、何が可能なのか?
その過程を通して俺は、様々なかかわりあいを持つはずだった。
しかし、結局は自分を見つけられずして、寂しさの故に幾つかのかかわりあいを持ったに過ぎない。
今、しかしその印象が正しいとすればそ、れは人間として精一杯生きようとした俺が何とか生きていた証拠である。
motalである人間が、死すべき時を、自ら決めるのと、自然に任せておくのとにどれだけの違いがあるのか?
結局は、残るものなど何一つも無い、路傍の花のような十字架を背負った生き物でしかない人間。
星を、花を含めての自然を愛し、偉大さを認めようとすればする程、motalである筈の、はかない人間の心を求めた。
気軽さを、信頼を、友情を、愛を....。
それらは、人間であるからこそ求め、人間であるが故に必要であった。
俺は、寂しさを大切にする。
寂しさを意識しあえた仲間を見つけ「社交の場」へと入り込んだ。
そして、二十歳の手前で失った。
刹那的では決してなかった筈だ。
だが結局、人生は空しさばかりが残ってしまうのか?
もう、記憶の殆どは薄れ、遺物と化そうとしている二十年の中で、求め得たもの、求め得なかったものを含めて俺は、永遠の旅へ連れてゆきたくない。
何処まで続くか知れぬ、苦しい、寂しい旅だろうから、心の支えが欲しい気もするのだが。
消え去るものは、時間とともに消えてくれよう。
だが、この俺にも残しておきたい記憶が幾つかあった。
それを君に伝えておきたい。
人間としての俺を知っていてくれ、俺の寂しさを理解してくれ、共に歌い、語り、飲み騒ぐことの出来た君だから。
日記帳を別送する。
一度読み通して、焼却してくれ。
俺は、別れるのならお互いに、別れることを知らないでわかれたく思っていたのだが、君には昔、別れを大切にしろ
そう言われたことがあったのを思い出し、今便りしている。
未練がましいかも知れないが今、浮かんでくる様々な面影がやはり大切に思える。
できるなら会って別れたい。その面影の全てが、俺とは別の世界に住む人となるのかと思うと、耐え難く切ない。
泥水の中に腐った記憶を、俺は君に残してゆく。
静かすぎる朝霧の流れる中で、如何なる敵も俺を拘束できなかったことを喜んでいる。
だが俺も、誰をも拘束できなかった。
それでいいのだろう。
人の生き方は、誰にも拘束されるものではないんだから。
あの夕暮れの中で振れた肩の感覚を思い浮かべて、純粋さを残しておきたい、それじゃ行ってくる。

**      **      **

 彼が、カルモチンを何時手に入れたのか私は知らない。
残していった40冊余りのノートは、彼の墓標の横に埋めよう。
彼の言っていた、「自分が原因で、結果である行為」とは、死だったのであろうか。
彼は、愛を仄めかしていたのだが。
もう、沈丁花も散って、夜空にリゲルも随分西に傾いてしまっている。
去った日が正確に一年毎巡ってきても、去った人は戻らない。
刺すような鋭い視線が、星の彼方から飛んできそうな、春浅き夜である。


 [覚え書き]
 大学時代のワンゲル部誌「やまなみ」に掲載した 小文。
孤独者の死が、美的感傷の中に語られることは多い。
僕たち自身も、自分たちの周りに、そのような自殺者が現れることを半ば期待していた。
そして、決して自らがその当事者にはなり得ないことを自覚していた。
だからこそ、小文の中に、仮の自殺者を描いていた。
誰もが甘い死を夢想していた。
そして又、架空の自殺者を、美的感傷の中で語り合った。
その結果としての僕の創作。
只、「純粋さ」に関する部分は大部分が事実に近い。


『彼方からの便りに....』のモデル 或は、下敷き
 僕は、大学1年の冬、神戸・元町の「大丸」で約2週間アルバイトをした。
歳暮シーズン中でもあり、多くの学生が、正社員に混じって働いていた。
僕は同じクラブの仲間達とは別の勤務場所で、発送荷物の検品などの担当だった。
その後半、手が足りないという、商品券発送の仕事場も手伝うことになった。
少しだけ賃金も増えるということもあって、残業覚悟で請け負った。
その商品券発送の仕事場で知り合えたのが、『彼方からの便りに....』の中にほぼ事実に沿った記述で登場し、
この節で詳細が登場する「17年生まれ」の女性である。
 最初の出会いは、バイトを初めて1週間経った頃だった。
『私は、昭和17年生まれで、大阪松陰大学に通っています。住まいは、西宮』 と自己紹介した。
「可愛い人だな」が第一印象だった。
彼女も別の仕事を持ちながら「上に居ると、暇で眠くなる」ので、商品券発送の仕事を手伝いに降りてきていた。
初めて会った、その翌日だっただろうか。
帰り間際、誰かに貰ったというビスケットを一枚だけ持って階段を降りてきた。
階段といっても天井の高い荷捌き場の中に建てられた、プレハブの事務所の二階からである。
下りてくる足音が弾んでいた。
 『食べない? 私も半分ほしいから、割ってもいいでしょ?』
そう言って、半分に割ってから、大きさを見比べている。
 『うまく半分こするの、むつかしいネ、大きな方がいい?』
 「どっちでも、いいです」と、僕は丁寧に答える。
年上なのだから当然のことだと思っていたし、まだ二日しか経っていなかった。
 『今日も残業なの? 私はお先に失礼するワ』  そう言って、そこだけ不思議な位に頑丈そうな金属製のノブを押し開け帰っていった。

 翌日も、その次の日も、お昼を過ぎた時間になると必ず現れるようになった。
商品券発送のチーフは、帆先さんという三木から通っている女性だった。
親切で、昼の食堂の上手な利用方法とか、社員割引の購入方法とかを教えてくれた。
彼女から貰ったみかんの袋の数を数えていた時、突然二階から笑い声が響いた。
理由は簡単である。
帆先さんが僕に、みかんの皮を剥かなくても中の袋の数は分かるんだと話してくれた時、僕が大きな声で喋った声が二階まで聞こえたからである。
 「へその数を数えるんでしょ?!」
 『変なお話、しないで!!、お仕事一生懸命やって頂戴ョ!!』
僕と、帆先さん、それに同じ職場で仕事をしていた佐野さん、九村さんは大笑い。
その笑い声に誘われて、二階から飛ぶように下りてきた彼女の手には、みかんが三つあった。
 「お姉さん、今、蜜柑の袋の数の話をしてたんだよ。へそって、蜜柑のへそのことだよ。何か誤解したんでしょ?」
 『???』
 「蜜柑のへそを取って、そこの凸の数を数えると、中の袋の数と同じになるんです。帆先さんにその事を教わっていた所なんです」
 『???』
 それでも理解できない様子の彼女の為に、三つの内の一個が実験台として使われた。
 ただ、困ったことに一個目は、小さな袋がくっついていた為、実際の数とは違っていた。
 『違うじゃない!!????』
 二つ目は、ぴったり正解だった。
 『へえーっ、面白い!!』
そんな訳で、三つの蜜柑はすっかり解剖されてしまった。
ところが、である。
 『一寸待ってて』
そう言って、二階に駆け上がった彼女を僕たちは少し心配そうに待っていた。
直後に、籠に入った蜜柑を抱えて降りてきた彼女を見て、僕たちは腹を抱えて笑い転げた。
心配したとおり、彼女は面白がって全部の皮を剥いてしまった。
食べきれないほどの皮を剥かれた蜜柑が、検品係りの部屋に残された。
その後二日間は、蜜柑騒動の余韻が余りに大きかった為(事実は、20日を過ぎて追い込みが忙しくなっていた為)
全員は彼女を無視してお昼過ぎ迄、必死に荷物の山と格闘することになった。
そして、僕がバイトを終える予定の前日だった。
久し振りのような気がしたが、三日振りの優しい笑顔が隣にあった。
 『明日で止めてくんでしょ?、キュウちゃんが、お昼に外で食事しようって。勿論、割り勘だけど』
 
僕たちは、主任の了解を貰って、すぐ近くの「牡丹園」で豪華な中華料理を食べた。
とにかく大騒ぎだった。
部屋の中では、蜜柑の袋騒動で多大の顰蹙を買ってしまっていたから、おおっぴらには騒げなかった。
その反動で、社員の悪口が次々飛び出してしまった。
ただ、いくら了解を貰っていると言ってもバイト生。
四人が職場に戻ったのは休憩時間を15分も過ぎていた。
勿論、お目玉を頂戴したのは言うまでもない。
その日の夜、僕は三人にそれぞれ丁寧に別れの挨拶をした。
 
翌日、夕方5時を過ぎていただろうか。
2週間分の手当を受け取って事務所に戻った僕を彼女が待っていてくれた。
 『今から、飲みにいきましょ。今日は、私たちが出すから』  
何処で飲んだのか、どんな会話を交わしたかさえも覚えていない。
ただ、彼女のコートが薄い水色だったことと、元町から三宮センター街を抜けて、国鉄三ノ宮駅に着く直前に彼女の言った言葉の断片だけが残っている。
 『いろんなお話できて、楽しかった。あなたたちと一緒だと、どう言えばいいのかよくわかんないけど....、そう、一年生同士という気軽さがあったワ…』
僕は、その時まで「十七年生まれ」を信じていたから、半ば驚き、半ば悔しい気持ちになった。
 『黙っていても良かったんだけど....』
と言いながら、とても済まなさそうな顔になった。
寒々とした風が、センター街を吹き抜けていたし、楽しい仲間達(結局全員が大学1年生で、初めてのバイト経験だった)との別れも寂しかったし
何とはなく「お姉さん」などと呼んでいたことに気恥ずかしさを覚えたりで、久し振りに心の揺れと切なさを感じた。
センター街を抜け、三ノ宮駅南の道路を横切る時見上げた夜空に幾つか星が煌いていた。
 『どうしたの?』
そう言って僕の顔を覗き込んだ時の無邪気と形容しても許されそうなほどの気軽さ。
何か、体裁のよう言葉を見つけようとしている、そんな僕の心を見透かすように、彼女は交通センター・ビルの階段の所でにっこり笑い乍ら話した。
 『あなたは、私を良く見過ぎているワ。何だか、怖いみたい』
僕は「さよなら」の代わりに、「じゃ又」と片手を挙げて国鉄三ノ宮西口の狭い改札を入った。
20円区間の切符を手にしていた。
あっけない別れだった。
  年が明けた。寒い新年だった。
約束をしていたのかどうか、そしてそれが何時のことだったのかは正確には覚えていないが、
僕は正月の人混みでごった返す阪急三ノ宮駅東口の階段下の公衆電話から、クラブの仲間吉田秀夫に電話をしていた。
彼は不在だった。
再度電話しますと、受話器を置いた目の前を、懐かしすぎる水色のコートが通り過ぎようとした。
1週間は経っていたと思うのだが、僕はほんの数時間前に別れた人のように、はっきりとその横顔に「蜜柑の袋」を思い出していた。
躊躇した。
僕は、吉田秀夫と会う約束になっている。
だが、目の前を通り過ぎ、今阪急電車の改札口に向かっている懐かしい姿は、もしかしてそのまま会えなくなってしまう人なのかもしれない。
ほんの数秒の躊躇だった。階段を上り、切符販売機で西宮北口までの切符を買った。
電車はすぐ来た。
躊躇の時間が1~2分長かったら、間に合わなかっただろう。
各駅停車だった。
電車の中での会話は覚えていない。
殆ど喋らなかったような気がする。
西宮北口ではなく、一つ神戸寄りの夙川で乗り換える。
この乗り換えも記憶に無い。
電車は甲山に向かって走り、次の苦楽園口に着いた。
 『ここなの。静かな所』
その一言だけは、覚えている。
改札を出て右手、川を渡り薄暗くなりかけた静かな道をゆっくり、ゆっくり歩く。
ニテコ池を北の畔からほぼ半周し、そこからやや登りになった道を辿る頃になっても、会話は続かなかった。
気持ちが何となく落ち着かない僕と、その僕の突然の出現をまだ怪訝な気持ちで図っている様子の彼女。
すれ違ったままに、阪急・三ノ宮駅での一つのエピソードとしてそっとそのままにしておけばよかったことなのだろう。
そう、自答しながら僕は別れるタイミングを見つけ出せなかった。
 緩やかな坂道を登り切り、広い道路から狭い道に左折する。
 『こっちが近道なの。車が走らないから、私は好きな道』
僕はその道を折れるタイミングで、別れることを決めた。
その直後の僕の言葉。
 「....、俺、あなたの肩をこうして抱いてみたかったんだ」

 僕たちが、西宮市奥畑なる地の車が通れない程度に細い道で、
少し大人っぽい心と子供っぽい無邪気さとを感じながら、結局は別れの切ない気持ちになっていたことは誰も知らない。
 僕たちは、その切ない別れの後、もう一度だけ会っている。
昭和40年6月13日、その日母校明石高校で開催される予定だった「兵庫県合唱祭」に、彼女の所属する神戸海星短大コーラス部も参加することになっていた。
僕が何故、どのような経路で、誰からその情報を得たのかは覚えていないが、
電話だったか(筆無精だと言った彼女からは、年賀状を貰ったことは覚えているが、手紙は貰ったことがないから、恐らく電話)で、時間を打ち合わせたメモ紙があった。
雨降る母校の中部講堂前の庭、創立40周年記念で整備された「青年の像」の前で二冊の本を手渡した。
福永武彦の『草の花』と、サン・テグジュペリの『星の王子さま』
『どうだった? 良かったでしょ? 最初の方だったから、一寸緊張してたんだけど。  あっ、この童話ネ。こんなのが読みたかったの。きっと読ませて頂くわ。
今日は聞きに来て頂いてありがとう。嬉しかったわ…』
 そう、一気に喋った。束ねた髪が少しだけ伸びていた。
僕は、その日高校時代の友人たちにも出会っている筈だが、彼女との会話以外は全く記憶にない。
雨が降り、すっかり暗くなっていた午後の前庭だったが、水色の傘だけが、本当にその周りだけが明るく光っていたような気がする。
そして、その年の暮れ再び同じ「大丸」で彼女はバイトをしていると葉書が届いた。
僕は、別のバイト先だったため、結局会うことはなかった。
だから今に至る、彼女との最後の出会いは、この雨の降る母校での再会の場面である。
人の別れは、やはり別れるということを意識しない別れがいい。
「昭和17年生まれ」の浜田美恵子は、昭和41年春、短大を卒業した。
時折、寒くなって蜜柑の箱を見ると、随分大騒ぎした昭和39年冬の一コマを思い浮かべる。

[覚え書き その後] 
国鉄三ノ宮駅西口のこと。
僕達の遊びの中心だった神戸一の繁華街、元町・三ノ宮は交通機関の集中する場所でもあった。
その元町駅の南に大丸神戸店が、三ノ宮駅の南にはそごう神戸店があった。
国鉄(現在のJR)間は1㌔程度だろうか。
元町駅ホームの東端からは、東方の三ノ宮駅が十分見通せる。
そんな至近距離だから、相手が誰であっても、たとえ元町センター街で飲み、食べ、騒いだ後でも
いつも三ノ宮センター街をブラブラ抜けて、三ノ宮駅で別れるのが常だった。
その理由は、二つある。
一つは、国鉄利用の場合はいずれの駅でも良かったのだが、阪急電車で帰る相手の場合は三ノ宮駅(神戸高速開通後は、西に延長された、花隈駅が作られたが元町より少し西だった)へ戻る必要があったこと。
もう一つは、明石迄の運賃は同額だった上に、下り電車の場合、元町駅からでは絶対に座れなかったこと。
それ以上に、国鉄西口と、阪急東口の両改札口が接していたあの狭い国鉄の高架下の、セーター街へ抜ける人込みで始終混雑していたあの場所が一番のお気に入りだった。
天井が低く、線路やホームを支える為の太い柱が短い間隔で立っていた場所。
出会いには、それぞれの場所が在ったのだろうけれど、不思議なくらい別れはその場所だった様な気がする。
だからこそ、そこで別れてそのまま会うことの絶えてしまった人も多い筈の、その三ノ宮駅西口が今も大切な場所として残っている。
平成7年1月17日の大震災では 随分長い時間通行が出来なかったし、
懐かしい阪急三ノ宮駅のドームも、南に抜ける為にいつも通っていた交通センタービルも取り壊されてしまったのだけれど、
連絡通路だけは、殆ど昔のままの雰囲気で再建され、相変わらず大勢の人々が行き交っている。
多くの日々がそこに再現されることはもう無くなってしまってはいるのだが。

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