アラエイも気持ちはエイティーンの青春ブログ

2019年7月29日から
ロンカイン市生活スタート
令和5年2023年1月1日数え79歳ワクワク人生

その3 近所のMiQuang屋さん

2014-09-23 20:57:36 | Weblog
この数日、体重1キロが減らせません!!
信じられないが、初めての現象!!
まあ食べすぎが原因

ってことで今夜は御飯やお肉は止めて
キシメン並の大きさでお味は
讃岐ウドンの釜揚げより
グー:野菜がたっぷり
でも大盛りはちょっと
多すぎました。









もう顔を覚えてもらっていて
言葉が要りません。
言ったところで
我が発音で
通じること
なしなし。

これで明日の朝の体重計は71キロの予定です。

3回目の休憩
午後8時51分

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その2 ゆったり気分の秋分の日@サイゴン

2014-09-23 13:17:02 | Weblog
朝夕のラッシュを外れると15キロ40分が
20分くらいでつく。
我が家から2区のThaoDinのファミマで昼食です。

油断していて本日は1キロオーバー72キロに!!
吾輩は炭水化物人間
御飯類なら大丈夫で
おにぎりと
巻き寿司



結構暑いが
2Fも部屋は止めて外のテラスで!!


高校生や大学生が沢山

今朝も、またもや男はつらいよのゴクミちゃん見たくて



そしてブラバン1年先輩の満男と離婚で
母は名古屋、叔母の佐賀の家に
預けられ、そこまで満男が
追っかけに!!

二人のやり取りは
高校時代に戻れます。
でもでももうちょっと二人の会話
とくにゴクミのお話タイムを設けて欲しかったです。




そして余った時間は読書:あいつと私
何百回読んでも飽きません。

間もなく、サイゴン国際サービスの授業です。

ファミマから1分です。

2回目の休憩
午後1時13分
ブログ@ThaoDienファミマ

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その1 人間いたるところ青山あり

2014-09-23 07:19:53 | Weblog
平成26年 2014年9月23日 秋分の日 祝日

とはいってもここはサイゴン
ベトナムの会社の実習生学校は関係無しで昼からは授業

悲しき吾輩は午前中だけのお休み!!

ってことで秋分の日を一考

昨日最終のHero2を見ながら、キムタクが北川景子をつれて
彼の検事への道を目ざましてくれた師匠のお墓参りへ
我が世代は、吾輩は何かあればいつもお墓参りだった。
  

吾輩は2歳で母を、8歳で父を亡くしお墓にお世話になる。
何か試練のときは、いやいや高等学校の隣にお寺があったので
下校の時にすら出来事を伝えに、先祖様に力をもらうためにお参りをしたもの!!
もちろんワイフと結婚する前も、京都から松山に彼女を連れてきて墓参りです。

我が人生において、つい最近まで先祖さんとお墓参りは一致していたし
こころの支えにすらなっていた。

でもサイゴンに来てから7年目:お墓が遠くに感じられます。
っていうか地球上であれば、いやいや宇宙であれば
自分の死を受け入れてくれる場所は
どこでもいいって!!!

そして自分の生きる力や喜びを与えてくれる場所があれば地球上どこでもいい!!
もう我が子供達からも、いやいや日本からも吾輩が育ったような環境は消え失せ
お寺やお墓の存在意義も随分変化!!!

お墓崇拝は次世代の自由にまかせ、、吾輩のようにお墓に依存せず、
苦悩は自ら乗り越え、次のすばらしき何かと出逢う人生を見つけ
送って欲しいって思うが!!

生きる糧として親が、あるいは先祖が必要なら、
お墓なくても、彼らの心の中だけでもいいじゃないって思うが!!

人間いたるところ青山あり
です。

昨日も又もや寅さん:吾輩ってやっぱ学園ものの恋がいい!!

彼岸花やコスモが郷愁にかられる。






浪人中の満男が後輩のブラスバンドのゴクミに恋をして
東京から名古屋、佐賀までバイクドライブ

そして映像の中の彼岸花とコスモスをを見ながら
お彼岸のお墓参りを思い出しました。

吾輩は、人間(じんかん)いたるところ青山ありって言葉が大好き
そして葉っぱのフレディ~いのちの旅~が思い出される。

岳父の御通夜で長い時間の中、葉っぱのフレディのコピーを
妹たちに渡して命の尊さをお話したが!!

葉っぱのフレディ~いのちの旅~は:
フ レディは春に木の枝に生まれ、冬にその役割を終えて落ちていく。誕生から死までは本当に短い期間。
彼は、その短い期間に充分に役割を果たし、去ってい く。そして去っていくこと、それは「死」
ではあるが、「いのち」は永遠であり、新しい「いのち」を生み出すための
準備でもあることを知る。

すべてのものには、それぞれの役割があって、変化し、寸分の狂いもない大自然の設計図は進んでいくのである。
フレディはすぐそばにある目にもとめられないかもしれない平凡な葉っぱであり、
身近にいるすべての生あるものであり、自分自身でもあり、
自分の周囲にいるたくさんの人でもあり、
ひいては人間すべての姿。

生と死の意義が理解される!!

そしてWikipediaによる秋分の日とは
毎年9月23日頃を秋分の日と言い「祖先を敬い、亡くなった人をしのぶ日」
として1948年に法律で制定されました。また秋分の日は、祝日法の上で
「秋分日」とされています。毎年2月1日に、国立天文台が作成する
「暦象年表」という小冊子に基づき閣議で来年の
秋分の日の日にちが決定されると!!

そして秋分の日の い・ろ・は です。
コピペ:

い:祖先を供養する日
秋分の日は春分の日と同様に、昼と夜の長さが等しくなる日です。しかし、
春分の日よりも昼の平均気温は10度程高く、まだ夏の気配が残ります。
秋分の日を中心とした一週間を「秋彼岸〔あきひがん〕」と言います。
各家々では、家族そろってお墓参りに行ったり、祖先を供養する
「法会〔ほうえ〕」が行われたりします。

ろ:自然信仰から生まれた祖先供養の日
元々農村部では、春分の頃に豊作を祈り、秋分の頃に豊作を祝う自然信仰があり、
山の神様である祖先の霊を春分以前に山から里に迎え、秋分以降に里から山へ
送る儀式が行われていました。しかし、仏教の浸透とともに秋分は「秋の彼岸」
として祖先を供養する意味を持ち始めました。

明治時代に秋分の中日を「秋季皇霊祭〔しゅうきこうれいさい〕」と定め、
宮中において祖先をまつる日となった事がきっかけで、一般市民の間でも
そのように定着していきました。

1948年には、お寺参りの日・先祖供養の日など、宗教的慣例としてのまつりの日だけではなく、
広い意味で「祖先を敬い、亡くなった人を忍ぶ日」として国民の祝日に制定されました。

は:秋分の日と彼岸
秋分(春分)の3日前の日を「彼岸の入り」といい、3日後を「彼岸の明け」と言い、
その7日間を彼岸と言います。秋分・春分はその中間に位置するため
「彼岸の中日」と呼ばれています。

また「彼岸」とは元々仏教用語で「煩悩に満ちた世界から解脱した悟りの世界」を指します。
これは、簡単に言えば「亡くなった先祖達の霊が住む世界」のことです。
その祖先の霊を供養するために、私たちはお彼岸になると
「お墓参り」へ行きます。

やっぱ吾輩はお墓に触りながらの方が両親や先祖と親しくお話できます!!

1回目の休憩
午前7時17分


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