アラエイも気持ちはエイティーンの青春ブログ

2019年7月29日から
ロンカイン市生活スタート
令和5年2023年1月1日数え79歳ワクワク人生

伊集院静

2010-06-22 07:11:17 | Weblog
平成22年6月22日 火曜日

間もなく帰国して2ヶ月
時の流れの早さに驚くばかり!!

今朝は9時からの仕事で早めのブログ!!

この数日の二人の作家の感動を。

一人目は伊集院静 週刊誌での彼のエッセーが大好き
彼ほど本音で人を感動させる作家は知らない
それくらい好き

最近彼がNHKに何度か出演
もちろん出版した本の宣伝を兼ねてであろうが
NHK相手に痛快でまたまた彼を好きになってしもうた。

彼は小生の講義でも何度も登場
というよりも彼の奥さん
1985年9月11日に27歳の若さで急性骨髄性白血病で亡くなった夏目雅子を
白血病の講義でよく紹介したもの!!

最新作「お父やんとオジさん」は2000円の本だが
超売れ筋らしく在庫がなく
中古で4000円と!!

とにかく13歳で単独日本にやってきたすごい親父さん
4人の子どもを育て方がすごい!!
早く本を入手したいもの。

二人目は高村薫
彼女とは波長が合わず読みたくないエッセーの代表
しかし今週号のアエラ6/28号に
日本人は急速に老いて安定志向になったか?の記事

これはよかった。

若い世代の日本人がもう少し奮起しないと
発展途上国に飲み込まれてしまうと!!




Wikipediaから伊集院静
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生い立ち
1950年生まれ、山口県防府市出身の韓国系日本人2世である。出生当時の氏名はチョ・チュンレ(ハングル表記では조충래、漢字表記では趙忠來)であったが、のち日本に帰化したことから、氏名を西山忠来(にしやま ただき)に変えた。

山口県立防府高等学校を経て、立教大学文学部日本文学科を卒業した。当初、立教大学ではなく美術大学に進学するつもりでいたが、当時義兄が巨人の野球選手だった影響で高校の夏休みを利用して東京に行ったおり、長嶋茂雄本人から「野球をするのなら立教に行きなさい」と言われた。その長嶋の一言で立教大学に進学を決めた。[1]

ディレクターとして
広告代理店勤務を経てCMディレクターになる。広告代理店時代に最初の夫人と結婚、二児[2]をもうけるが、1980年に離婚。1980年の松原みきからコンサートツアーの演出を始め、以後松任谷由実、松田聖子、薬師丸ひろ子、和田アキ子らのツアーのほかファッションショーも手がける。

作家として
1981年、『小説現代』に『皐月』を発表し作家デビュー。代表作に『機関車先生』山口県防府市を舞台とした自伝性の強い『海峡』三部作などがある。1984年8月27日にかつてカネボウ化粧品の「クッキーフェイス」のCMキャンペーンガールで一緒に仕事をした女優の夏目雅子と7年の交際の後再婚したが、夏目は1985年9月11日に27歳の若さで急性骨髄性白血病で死去した。

伊達歩(だて あゆみ)の名で作詞家としても活躍。近藤真彦に提供した『愚か者』で、1987年に第29回日本レコード大賞を受賞した。その他『ギンギラギンにさりげなく』などのヒット曲がある。1992年7月15日、『受け月』で直木賞を受賞。同年8月7日に現在の夫人女優篠ひろ子と再婚。

1993年、『乳房』が映画化、1997年、『機関車先生』がアニメ映画化し声優として参加している。更に2004年には実写映画化された。その他、テレビ化されたのは「夕空晴れて」「海峡」「あづま橋(橋の雨)」など。 また、2005年「ツキコの月」が帝国劇場、中日劇場にて舞台化された。

作風
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近年、中学入試等国語の試験によく出題される作家でもある。

過去に『週刊文春』で掲載されていた「二日酔い主義」、堂本剛と共著の「きみとあるけば」「ずーっといっしょ」、角川文庫等エッセイも数多く出しており、その小説やエッセイの随所に様々な花が登場するほどの花好きな作家としても知られる。季節の移り変わり、野にひっそりと咲く花や蝶、夜空の月やそれを取り巻く星など、文章の流麗さと自然描写には定評がある。

実生活で、当時高校生だった実弟と妻の夏目雅子を若くして亡くしている影響もあるのか、哀愁漂う作風のものが多い。

恋愛小説『白秋』『白い声』については、ラストは同じパターンで終わっている。ヒロインが知人の堕胎を思い留まらせようとしたり、妊娠に救いを求めている点で作者の心境の変化が窺われて興味深い。

毎年4月1日にサントリーから各新聞社に掲載される広告のコラム『新社会人おめでとう』を執筆している。

人物
筆名
「伊集院静」というペンネームは実は自身に付けられたものではなく、とある小さな広告代理店に入社予定になっていた女性のコピーライターにつけられるはずの名前であった。[3]
趣味・嗜好
趣味は野球観戦、麻雀、競馬、競輪、ボクシング、美術鑑賞、ゴルフ。高校、大学と野球部所属。
競輪と麻雀を中心にギャンブルにも造詣が深く、『週刊大衆』で『静と理恵子の血みどろ絵日記』を共筆している西原理恵子におけら先生と呼ばれたりもする。

住居
宮城県仙台市に仙台出身の妻・篠ひろ子と共に在住。しかし、仙台に居を置くが、実際には東京のホテル住まい。取材のため海外に出かけたりする機会が多く、過去に仙台に居るのは1年のうち1ヶ月位の年もあった。
東京については、生涯のほとんどを過ごしているにも拘らず未だなじめず、故郷・防府に対しても「安堵はない」、仙台に至っては、犬が中心の家の片隅で仕事と競輪をやっているだけとエッセイで書いた事がある[4]。
1989年に取り壊された逗子なぎさホテルは、結婚前の7年間を過ごした伊集院の下宿先であり、後の妻・夏目雅子との愛をはぐくんだ場所でもある。

交友
芸能界、スポーツ界ともに人脈が広く長嶋茂雄や松井秀喜、武豊とも親交が深い。
大和和紀の夫(雑誌編集者)とは長年親交があり、大和は『天使の果実2』の付録漫画、文庫版『瑠璃を見たひと』の解説の中で伊集院の意外な一面を暴露している。また、作詞家の阿木燿子は伊集院を「酒場ではいつもニコニコしてて、罪作りな程女性には優しい」と文庫版『白秋』の解説で評している。

家族
女優で作家の西山繭子は実娘、ファッションコーディネーターの西山栄子は実姉にあたる。かつて読売ジャイアンツに在籍した高橋明投手は元義兄。また、小達敏昭は2人目の妻である夏目雅子の実弟、沼澤聖一は3人目の妻である篠ひろ子の兄、青山隼は篠の甥にあたる。楯真由子は夏目の実姪、田中好子の継子にあたり、篠との交流から女優を志したという。

夏目雅子
長編小説『潮流』は、広告業界を舞台に、夏目雅子との出会いと共に仕事をした名CF、「アラビアのフロレンス」さながらの「日に焼けない小麦色」を制作していたディレクター時代に材を取って書かれた自伝性の強い作品といえる。後に大和和紀によって『天使の果実』というタイトルで漫画化された(現在は絶版)。
また、伊集院が40歳を迎えた1990年に刊行され、後に映画化もされた短編集『乳房』も、あくまでも小説ではあるが夏目雅子との闘病生活の断片を下敷きに書かれたものと思われる。

エッセイ、小説を含め、夏目雅子をモデルに書かれたものは上記以外ない。その理由を尋ねられた理由に下記のコメントがある。「今の妻と一緒になったとき、先妻のことは一切口にしないと決めた。生きている人間が悲しむ方がつらいから、インタビューも一切受けない。向こうとの縁、かかわってきた人たちとの関係も全部、疎遠にして貰った。会いたいと言ってきても会いません。今の妻はできた人ですけど(ヨイショ)今のかみさんが生きている限りは、(先妻については)書かない。」[5]

西山繭子
娘の西山繭子が小説を出版した際に連絡を取ったが「ああ、そうですか」とそっけない反応だったと語っていた。

賞歴
1991年『乳房』で第12回吉川英治文学新人賞
1992年『受け月』で第107回直木賞
1994年『機関車先生』で第7回柴田錬三郎賞
2001年『ごろごろ』で第36回吉川英治文学賞

サイゴンの新生活感動報告も
ちょっと早い4ヶ月間の夏休み帰国
今しばらくは京都からブログします。

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