アラエイも気持ちはエイティーンの青春ブログ

2019年7月29日から
ロンカイン市生活スタート
令和5年2023年1月1日数え79歳ワクワク人生

その1 朝日山の莵道稚郎子のお墓

2010-06-02 08:45:30 | Weblog
平成22年 水無月 2日 水曜日

2日間浮気して桃山御陵と御香宮の朝の散策したが
本日は元に戻って朝日山へ

宇治の平等院から琴坂を後ろ歩き400歩で登り興聖寺へ
そして朝日山の観音堂にのぼり
落書き帳に記載

この山にも観音堂の隣に莵道稚郎子のお墓があるのでお参り

メインは京阪宇治駅の近くにある(下記参照)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)は応神天皇と宇治木幡の豪族の娘、
宮主宅媛(みやぬしやかひめ)との間に生まれました。幼い頃から学問に
秀で、応神天皇に望まれ一度皇太子になったのですが、兄の仁徳天皇と
皇位を譲り合って自ら命を絶った悲劇の皇子です。紫式部は、この皇子
を源氏物語の八の宮のモデルにしたのではないかといわれています。
日本書紀によると莵道稚郎子は「莵道の山の上」に葬られたとあり、
江戸時代には宇治川東岸の朝日山山頂の経塚が莵道稚郎子の墓とされて
いました。莵道稚郎子の墓の所在地はいろいろな説がありその場所が
特定さ れませんでしたが、明治23年(1890年)当時の宮内省によって
「浮舟の杜」とよばれていた場所が買い取られ、
「莵道稚郎子の墓」(宇治墓)とされました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

本日は9時から勤務
時間がなくなりました。
休憩

サイゴンの新生活感動報告も
ちょっと早い4ヶ月間の夏休み帰国
今しばらくは京都からブログします。

ここまで読んでくれた人
この下のクリックお願いします!!!
↓↓↓↓↓
にほんブログ村 海外生活ブログ ベトナム情報へ