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Vol.54 関門橋が開通40年

2013年11月18日 | 日記

 「東洋一のつり橋」と呼ばれた関門橋が11月14日で1973年開通から40年を迎えたVol.51でも関門海峡を取り上げたが、下関と門司を結ぶこの大橋は、山口と福岡、いや本州と九州を結ぶ大きな架け橋だ。今でも九州へは、異国の地を踏む気分にさせてくれる。

 この開通時には、すでに私は関東で就職していたが、その15年前の1958年3月の関門国道トンネルの開通時は小学校低学年で、お祝いで大騒ぎしたことを覚えている。上半分を自動車が通り、下半分は歩道だ。修学旅行でみんなで歩いて渡り、お決まりの県境界をまたいでワアワア喜んだ。

 山口に帰って、宇部250mの霜降山から九州大分1200mの英彦山(ヒコサン)が見えたのは感動した。2011年9月に阿蘇から別府に旅行した時、わざわざ国東半島を回って、釣りをしているおじさんに「ここから宇部は見えますか?」と尋ねたら、「晴れた日はよく見えるよ」と当たり前の返事だったが、何となく嬉しかった。

 山陽小野田136の竜王山からは方角が絶好で、この大橋が良く見える。橋の左側は九州だ。これから空気が澄んでシャッターチャンスが来るだろうから、うまく撮れたら当ブログで紹介したい。下関268mの火の山は周りが一望できる絶好の場所だ。

火の山公園へリンク

 今年5月の下関の先帝祭(市内から花魁が赤間神宮へ体をくねって歩くそれ)に行った時、100艘近い漁船が紅白に分かれて源平絵巻を繰り広げていた。下関は幕末でなく、1000年前の源平合戦なのだ。幕末は萩だ。

 下関の先天祭(クリックで写真拡大)

 下関と言えば「ふく(幸福にちなんで濁らない)」だが、10年ほど前から「あんこう」の水揚げも日本一になった。唐戸市場のおっさんが「辛子明太子、もつの煮込みとも下関発祥の地だよ」と声高に言っていたが、この稿は垂涎(スイゼン)とともに別途改めたい。

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