賢太/山口がぼやく"そもそも"論(トップへ)

■2018年3月10日から賢太のぼやきを最開しました。

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Vol.20 熊本・鹿児島は山、山、山ばかりだった

2013年09月30日 | 旅行

 25~28日の3泊4日で南九州1周の車旅行をした。熊本城-宮崎高千穂-阿蘇(泊)-枕崎-開聞岳-指宿(泊)-鹿児島市内-霧島神社-宮崎えびの高原(泊)約1,400kmの道のりだ。

                       下関の関門海峡(25日早朝)

 第一印象はタイトル通り、熊本から鹿児島に入る高速道路はトンネル24ヶ所、うち2ヶ所は6km以上もあった。後から教えてもらって、帰りに確認したのだが、トンネルに1~24の番号が振ってあった。

 その他の高速道路はほぼ平坦で、トンネルは2~3ヶ所だけに、ここの集中24ヶ所は異常な体験だった。しかも九州の山は活火山なのである。

 熊本の阿蘇山頂上は白煙を吐き、ロープウエーの運行が停止、鹿児島桜島は噴煙を上げ、市内は火山灰で大変なことになっていた。

熊本阿蘇の白煙(26日朝)鹿児島桜島の噴煙(26日昼:桜島SA)

 日本最南端のJR駅は薩摩半島、指宿枕崎線の西大山駅だそうだ。えっ向かいの大隅半島ではないのか、と地図を見るとJRそのものがない

 地元の人が言うには「山ばっかりで工事ができない」そうだ。上述のトンネルも「今まで2時間掛かっていた隣町が1時間以内になった」と喜んでいた。

 四国の高知は四国山脈で封じ込められているのは有名だが、やはり薩摩も山で閉じ込められている。薩摩は出る人も、入る人も言葉ですぐ判るように、方言なまりをひどくしていたという。高知は「ず」と「づ」、「ぢ」と「じ」が使い分けられるというが本当だろうか?

 その土地に行って初めて判ることは多いが、桜島の火山灰は想像以上だ。地元の人は、その日の風向きを大いに気にするそうだが、「さもありなん」だ。

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Vol.19 海外、特に中国との関わり

2013年09月25日 | 旅行

 これまで海外に行ったのは私的に韓国とベトナム、仕事でアメリカテキサス州だが、システム関連で行ったのは、2003年1月末の中国・上海が初めてだ

 新会社の設立に伴うシステムの構築が目的だが、3月末にはタイ・バンコクへ出張した。こちらはシステムの変更。

 2004年には中国広州の子会社設立に伴って出張、この3ヶ所を2005年までグルグル回った。その間コケの生えた日本国内のシステムもモダンなアメリカ製に変更した(これが後々大変なことになる。機会があれば書きたいが白人の横暴、訴訟好き、金銭の巻上げ等々の目に会う)。 

 2006年には米、英、中国を10日間で周り、とうとう8月に病で倒れた(vol.16参照)

 萩の指月城跡(左端)。関ヶ原で負け、毛利家はここに封じ込まれる。

 2003年~2006年の3年半で上海、広州、バンコクを15回は回った。最初は異国の地、バンコク、中国は見るもの聞くもの珍しかったが、そのうちアラも見えて来て、特に中国はひどかった。

 タイは「微笑みの国」だけあってまだ愛嬌が有るが、中国はやる事なす事えげつない。最近報道されていることを10年前すでに経験した。

 我々の時代、中国のイメージは文化が高度に発達し、あらゆるものがインドか、もしくは中国経由で伝わり、学問だって孔子、孟子、仏教、遣隋使、遣唐使、桂林、書道・・・などなど日本人は勝手に中国に対するロマンを膨らませた。

 それらが現実に中国を知ることで、ことごとく打ち砕かれた。高校時代の漢文、あれは何だったんだろう。現在の中国人ですら読めないという。昔の江戸時代の学問は子曰(のたまわ)くの孔子だ。あんなもの時代錯誤も甚だしい。もっとも漢字を覚えるため、と言われれば納得いくが・・・。

 子どものころ大人が中国人を「チンコロ」と蔑称したのを良く聞いた。犬の名前かと思ったが、チャイナの「CHIN」から来たらしい。

 戦時中の軍人も中国人に勝手にロマンを膨らましていたが、実際に戦闘に会うと、鉄砲を捨てて逃げ惑う、それを見た日本人が先の蔑称語を使ったそうだ。私は「確かに、確かに」と頷く。

 ここから中国への猛勉強が始まる。ロマンが無くなり、現実の中国を知ると本当の中国が見えてきた。

 普通のコンビニで煙草のマールボローを買い、一服吸った瞬間”にせ物”と判った。こんな中国を当ブログで簡単に20~30は書ける。これから書き続けるぞ~っ!(と力んだ所で、今日から南九州1周の旅に出かけますので、しばらく休みます)

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Vol.18 猛暑被害その2(バッテリーが・・・)

2013年09月24日 | 日記

 昨日の続きで、証拠は無いが、この猛暑でどうもバッテリー類がやられたらしい。

 我が家の車は購入して10年以上経過しているが、走行距離は6万km以下だ。妻が買い物に使う程度で、ほとんど長距離での使用は無かった。関東は車の移動より、電車の方が効率的だ。

 山口に帰るとそうは行かない。車がないと生活できない。そうなると車をもう少し、いたわってやろうと思い、野ざらしに駐車しているのを、エンジンだけでも日陰にしてやろうと車庫を作ることにした。

 冬にフロントガラスに霜が付くのも屋根が無いからだそうで、その部分も波板を張ってやろうと猛暑が少し涼しくなるのを待った。

 いざ始めようと古い電動ドリルの充電を開始したが、一向に充電せず回転しない。もう一つの新しいドリルも充電しても、すぐに馬力が無くなる。一つのドリルで穴を開け、もう一つのドリルでネジを回すのがコツなのだ。

 極めつけは給油所に車のオイル交換に出したのだが、電圧は正常なのだが「特性が10%と劣化しており、交換した方が良いですよ」と言われ、ピンときた。 

 電動ドリルは風通しの良くない外に置き、この夏、温度計は何度も40度を越していた。車も鉄板で卵焼きが出来るほどチンチンに熱くなっていた。

                   この温度計が40度を越していた。

 冒頭にも述べたように証拠は無いが、この猛暑で人間も熱中症でヤラれる程だから、化学成分のバッテリーがヤラれても不思議はない。

 車庫は完成したのだが、熱を遮断できていない。もう一工夫必要なのだが、いやはや太陽熱というのはすさまじい。都会と違って太陽が東から昇って西に沈むまで、ずっと近くに見える。布団や洗濯物が良く乾く。

 植物はこの太陽熱と雨水を使って酸素と栄養を創り出す。動物は何も創らず、この植物を食べて生きる。食物連鎖は山の植物性プランクトンが川から海に流れて始まる。 

 涼しくなって妙に自然現象に感心する。

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Vol.17 猛暑被害その1(胃調薬で胃もたれ)

2013年09月23日 | 日記

 この夏の猛暑には参った。みんなが参った。そして我が胃も参った 

 娘がお盆に帰ってくるというので、バーベキューをやろうとその具を買いに近くの港に出掛けた。この地区は漁師が早朝に取ってきた新鮮な魚介類を、市場に持って行くのとは別に、船着き場で値段交渉で即売してくれる。 

 顔なじみのおばさんに事情を話すと、明日から漁が休みということもあって「これ持ってけ、これ持ってけ」とエビ、イカ、タコ、カニ、ハモを格安で大量に分けてくれた。胃にはこれが悪かった。 

 猛暑で胃が少し弱っていたところに、消化の良くない魚介類をアルコールと一緒に流し込んだので、翌日一挙に胃もたれを起こしてしまった。

 「これは一時的なものでなく、慢性的だから毎日飲もう」として買ったのが写真の胃腸薬エビオス、Asahiの天然素材ビール酵母だ。どんな胃腸薬でも同じだろうと内容も良く理解せず、2000錠、1500円の特売チラシに飛び付いた。

 説明書を良く見ると朝、昼、晩の食後に10錠づつ飲むと有る。1錠が小さいのかなと思って箱を空けると、普通の大きさだ。

 どうも薬でなく、サプリのようだ

 これを3回の食後に10錠、1日30錠。2000錠は2ヶ月以上有る。「これじゃ食後のデザートだな」とブツブツ言いながら2週間も続けると、さらに胃もたれがして調子が悪くなった。

 薬を飲むのを止めて、少し涼しくなった今日この頃、胃の調子は回復してきた。2回目の胃もたれの原因は特定できないが「薬も作るだけでなく、飲む側の立場も考えて欲しいよなぁ。必要成分量を計算すると、こうなりました、ではなぁ」と大きな愚痴が出る。

 我が家には、この猛暑で特定不明で壊れたものがもう一つ有る。それは「バッテリー類」で明日に続けよう。

 

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Vol.16 田中将大(楽天)は凄い、そして斎藤は・・・

2013年09月22日 | 日記

 楽天の田中将大が21日の日ハム戦で勝利し今季22勝0敗、22連勝だ。昨シーズンからも通算26連勝というから凄い。

 連勝無敗というのも立派だが、20勝以上というのが良い。我々昔の野球を知る人間にとって、やはり投手は20勝以上して本という感じがある。稲尾なんか毎年40勝以上が普通だった。 

 20勝投手は2008年の岩隈以来だそうで、あのダルビッシュも成し遂げていない。いつからか知らないが、野球が先発とリリーフ、ストッパーと役割分担になってからか、つまらなくて見なくなった。

 昨日もBSの「スポーツ酒場語り亭」に江夏豊投手が出ていて、野村監督から「革命を起こさないか」と言われてリリーフに回った、と話していたから、その頃だろう。

 チームが勝つためには仕方ないのだろうが、やはり先発、完投で相手を力でねじ伏せる、それを打ち返す野球に憧れるのは古い証しなのだろう。

 萩の松下村塾(明治の夜明けはここから始まる)

 実は田中将大選手には思い出が有る。2006年の夏に肺がんを患って入院していた。テレビで高校野球を神奈川県予選からずっと見ていて、全国大会の決勝戦は駒大苫小牧田中と例のハンカチ王子こと早実の斎藤佑樹との一戦になった。

 その延長再試合の日に退院して、斎藤が投げ勝った試合は自宅で見た。その後、何となくこの2人、と言うより斎藤が気になって、精神的追っかけを初めていた。

 そして斎藤が日本ハムに入団した2010年、私も山口に帰り、日ハムファンになった。山口のケーブルテレビはなぜか日ハムの春の沖縄キャンプから連日放送する。斎藤以外の選手も覚える。応援せざるを得ない。 

 開幕以降も日ハム戦はどこかで生放送をしているのだが、斎藤はいつの間にか消えてしまった。田中と斎藤の2人の活躍を期待していたのだが、田中は凄い。野球は顔でするものではない、ことは十分以上、十二分に判っているのだが・・・・・・・斎藤に期待したい。

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Vol.15 縄文のそばと弥生のうどん

2013年09月21日 | 歴史

 関裕二氏の「古代日本史の謎」の中で、東のそば文化と西のうどん文化という面白い記事に出会った。

 確かに山口で育った私は、子どもの頃ほとんどうどんしか知らず、そばといえば大晦日の年越しそばくらいで、しかもまずく、季節行事とはいえ、いやいや食べて、残していた。

 ところが大学で関東に行ったところ、うどんはほとんど食さず、みなそばだ。社会人になって少しふところが豊かになった頃、江東か墨田の下町で食べたそばは本当に美味しかった。これが関東のそばか、と今でも忘れられない。

 関氏の書は、縄文人のそばと弥生人のうどんと続き、その境は富山と名古屋を結ぶ高山本線という。東がそばで西がうどんの唯一の例外が西の出雲そばで、ここは縄文人であり、縄文人出雲が王朝発祥の地であり・・・・と氏の話は膨らむ。私はなるほど、なるほど関西でそばは聞かないし、九州でも聞かないと納得。

島根県の出雲大社。西側唯一の縄文そば文化

 40年余を経て山口に帰ると、今度はそばが食べたくて食べたくて、近所の食堂に行くとそばはうどんより値段が高く、しかもすこぶる付きで、まずい。今ではまた元に戻って週に2~3回は食べる、相当のうどん通だ。

 これと似た話で、源平の合戦で山口は滅ぼされた平家びいきだ。下関の赤間神宮は平家を祀っている。子供のころ平家の落人の話が、中四国の奥深い山中のあそこがそうだ、ここがそうだと聞かされて怯えていた。

 ところが関東に行くと今度は源氏だ。鎌倉の近くに住んでいたことも有って、平家の“へ”の字も出てこない。それが山口に帰ると源氏の“げ”の字も出てこない。人は立つ位置と環境で決まるものらしいが、私は京の公家、大阪の商人を知らない。 

 日本の古代文明は「稲と鉄で解明できる」というのが私の持論だが、それはまた稿を改めてゆっくりと書きたい。

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Vol.14 地球規模で考える

2013年09月20日 | 旅行

 突然ですが、みなさんは地球の回転速度をご存知ですか?

 赤道付近でなんと時速1、700kmです。300kmの新幹線どころか、旅客機の900kmの倍、戦闘機の3,000kmの半分という猛スピードで回転しているのです。

 すると必ず出る質問が、旅客機は地球の回転と反対側、西から東へ、つまり山口から青森の本州間約1,700kmを1時間の半分、30分で行けるかというと、そうは行かない。

 その答えは「大気も一緒に回っているから」と言うのだが、山口宇部空港から羽田まで約1時間半だが、宇部発の方が10~15分早い。

 美祢市秋芳洞の千枚皿

 タイ・バンコクに出張したとき機内放送で「本日は大変良い風が吹きまして、予定より1時間10分も早く到着しました」には驚いた。「迎えは大丈夫か」と心配したが、良く有ることのようで、しっかり来ていた。

 地球誕生46億年と、この高速回転を考えると地球上に何が起きても不思議ではない。

  もう一つ、世界地図を眺めていると、東京は北緯35度付近にあるが、この線はヨーロッパでは地中海のクレタ島あたりで、主要都市はすべてその北側である。

 ロンドンなんか51で北海道を越え、カムチャッカに近い。それでも気候は日本と変わらないそうだ。北米はワシントンが38.5、昔イチローが居たシアトルは48で北端稚内のはるか北だ。それでも気候は日本と変わらない。ロンドン同様近くに暖流が来ているからだそうだ。

 美祢市秋芳洞の黄金柱

 初めて上海に行った時、ここは31度で鹿児島市とほぼ同じ。旧正月の2月初めころ軽い気持ちで出掛けたが、朝晩の冷え込みと吹く風の冷たさに「何が九州鹿児島だ」と八つ当たりした。やはり「これが大陸なのだ」と本当に、本当に感じた。

 北緯35度といえばもっと不思議な事が有って、日本の京都、鎌倉はじめ中国の洛陽、西安、イラン、イラク、ギリシャなど一様に古代文明が栄えたそうだ。これ以上の追求は、時間がないから止めにする。

 上記内容で、タイトルの「地球規模で考える」に相当しているか否か、その判断は読者にお任せするが、日本以外の国を知って「視野と思考が広がった」ことは間違いない。あの高杉晋作も、Vol.5の長州ファイブも。

 

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Vol.13 集団的自衛権

2013年09月19日 | 政治

 我が国、日本は世界的に見て誠に不思議な国である。

 朝日新聞が17日付け社説で「集団的自衛権の行使 憲法の根幹にかかわる」と題して、憲法解釈の見直しを図る安倍政権を大々的に批判している。

 考え方の違いだから致し方ないが、あまりにも偏向していると思って筆を取った。800万部を誇る新聞の社説の影響は甚大である。いずれ原爆を投下したアメリカ同様、いかなる形であれ、責任を取ってもらいたい。

 そもそも現在の日本国憲法は、天皇助命と引き換えに9条の戦争放棄を盛り込んだ、米国が作った押し付け憲法だ。これは吉田茂(渡辺謙主演)をドラマ化した昨年のNHK「負けて勝つ」でもはっきりと描かれている。

 要約すれば、マッカーサーは日本政府に「新たな憲法を書いて持ってこい」、「今の明治憲法を少し変えた、こんなものではダメだ」、「民主主義を唱えたこれを使え」と、マッカーサーの父親が作ったフィリピン憲法を真似て1~2週間で作り上げ、押し付けたのが日本国憲法だ。

 ドラマの中の吉田茂も「自国の憲法を他国から押し付けられたのは、我が国が初めてだ。屈辱の限り。一刻も早く独立しよう」とはっきり述べ、GHQをGo Home Quicklyと読んだところが圧巻だった。

 山口市の常栄寺雪舟庭(29代大内政弘別邸)

 その憲法を施行から60年近く経って、一度も変えないどころか、お役人の勝手な憲法解釈で自縄自縛しているのが「集団的自衛権」だ。

 その内容はともかく(これもまずもって目的が有って、そのため無理無理こじつけているのだが)、この流れから言えばアメリカは作成した時に「日本国憲法で、そう言った」ことになる。

 アメリカは「そう言っていない」のに日本が勝手に「そう解釈している」のだ。これを不思議な国と言うのである。

 日本はイギリス同様に島国で、大陸と違って都合が悪くなれば、島に戻ってジッとしていれば良い。しかしこれは船までの話で、飛行機の時代になれば通用しない。

 今までは国という単位だけで考えていれば良かったのに、グローバルという名のもとに無理無理、世界の中に引きずり込まれているのが、今日の地球の姿だ。TPPを考えて見れば判り易い。

 私も海外に仕事で出掛けて「日本の常識は、世界の非常識」を嫌と言うほど痛感した。これを痛感している日本人は何%居るのだろう?とっくの昔に世界単位で考えねばならないのに、未だに国単位なのが、我が国、日本である。

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Vol.12 豊田英二氏を偲ぶ

2013年09月18日 | 日記

 17日豊田英二氏が亡くなった。急きょ予定の稿を取り止め、ご冥福を祈りたい。Vol.8でも書いたが、若いころ自動車部品を納入する営業を行っており、T社を担当していた。

 英二氏が社長を退き、T社が全盛を誇った頃の時代で、氏の豪邸の前を車で通行していた。犬を連れてよく散歩していると聞いていたが、お目にかかることは無かった。T社には多くのことを学んだ。 

 T社を担当する前は栃木県のH技術研究所に出入りしていた。H社の本田宗一郎氏には出会ったこともあり、講演にも出掛けた。

 T社の祖、自動織機を発明した豊田佐吉氏も本田宗一郎氏も浜松の出身で、何か有るのかと両氏の生家を訪れたが、浜松気風を何も感じなかった。

 昔の織機は「ガチャマン」と言って、一度シャトルを通して「ガチャン」と糸を紡ぐと1万円になったという。それは織る機械の保有台数によって糸の配給が決まる、というので、業者が段ボールに現金を詰めて、企業名を書いて置いて行ったという。繊維業界の古き良き時代の話だ。

 その現金をもとに長男の喜一郎氏が自動車製造を始めた。佐吉氏の弟の次男が英二氏だ。

 高く大きく育った、我が家の鶏頭 

 私はH社からT社の担当になった時、「H社は実にユニークで面白かったが、T社はクソ真面目で面白く無いだろうな」と腹を括っていた。 

 この両社はクルマ作りのポリシーが全く相反していた。H社はやんちゃ坊主の三男坊、T社は礼儀、常識をわきまえた長男という感じだが、自由も金も即断力も有った。

 H社は国立大学卒は少ない、実力主義だ。T社は国立大、しかも一流ぞろいだが、決して学歴尊重主義ではない。ただ任務を課すと必ずやり遂げるという、人脈の奥深さが底力としてあり、どこぞの商社のような金太郎飴(どこを切っても同じ意見)でもない。

 まあT社は西の人間が多くて話が通じ、パソコンもそうだがいろいろと教えてもらった。不謹慎ながらT社社員になりすまして業者から接待ゴルフを受けたことが有る。また社員としてデンソーへ納品をお願いされたことがある。

 この地区のT社は、こんなにも大事に扱われているのかと瞬時の殿様気分を味わった。

三河モンロー主義で「国内で転勤しても単身赴任でなく、通勤できる」のが応募の動機には参った。今はそんな田舎の大企業は卒業したと思うが・・・・。

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Vol.11 五輪招致合戦の相手2ヶ国

2013年09月17日 | 日記

 引き続き五輪関連の話だが、内容はガラッと変わって日本と招致を戦った、トルコとスペイン2ヶ国の話だ。

 この両国に共通するのは一時代、世界を凌駕した大国であると同時に、西欧との境界にある国で、イスラム教を信奉していた。イスラム人とヨーロッパ人が混血した摩訶不思議な国なのだ。スペインはその後のレコンキスタでキリスト教が勝利したが・・・。

 トルコは中国の北方、遊牧人「突厥」が西へ西へと流れ着いて出来上がった国だ。漢時代のフン族がハンガリー、フィンランドを作り、モンゴルはロシアを250年に渡って植民地下に置いた。

 西と東の交流は、東のアジア人が圧倒的優勢を誇り、オスマントルコはオーストリアのハプスブルグ家を「あわや」のところまで追い詰めた。大航海時代というが、陸を封鎖された欧州人が生き伸びるために海に活路を求めただけだ。

 何かの理由で急に撤退したトルコ軍だが、その時に欧州に残したものがコーヒーとクロワッサン

 山口市のサビエル記念聖堂(旧建物は91年に焼失、98年に新たに建てられた)

  トルコは日露戦争で、日本が勝利した時に大喜びした。今でもトーゴー通りがあるそうだ。と言うのもロシアの南下政策で連戦連敗、憎っくきロシアに同じアジア人の日本が勝利したのだから、痛快だったのだろう。

 スペインのお隣、ポルトガルは日本とは馴染みが深いが、これは両国が勝手に地球上に線を引き、日本は幸運(?)にもポルトガル側だった。スペイン側だったら大変だ。

 大体、五輪に立候補するくらいの国であれば、この程度の「こじつけ話」はいくらでも出来る。むかし子どもが「台湾がなぜ五輪に出てるの?同じ中国じゃーないの」と聞くから「これを説明するのに10分は必要だな」と言ったら、もう居なかった。

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