圭子の音楽室

圭子の音楽レッスン日記&出来事

はずしたダリ展・・・

2007-01-02 20:47:35 | 日記
今日は初詣の帰りに上野に寄ってダリ回顧展に行くつもりだったけど・・・超混んでいて子供達も一緒だし諦めることになった。公園内をボーっとしながらお散歩し下町風俗資料館に入った。子供の頃に見たような物がたくさん展示してあった一番感動したのは、振り子時計・・・ちょうど3時になり音を聞く事が出来た。昔聞いたのと同じだった駄菓子屋さんや銭湯も再現してあって何だか遠い昔に引き戻される感じだった帰りに舟和の芋ようかんと甘栗を買って、帰宅した。ちょうど5時だったし、寒いので今日はおでんを煮込んだゆで卵は、冷蔵庫から出してすぐに熱湯に入れて作ると、殻をむく時にツルンとむけて楽です初詣に行った時・・・出店がたくさんあって、焼きそばを食べたのですが、おでんがおいしそうだったので、夕食はこれにしようと思ったのでした。明日辺りが一番おいしいかな明日はどこへも出かけず練習に励みます子供達は土手に凧揚げに行くと言っているのでミクロンに行ってもらうつもりもう私・・・凧揚げてる場合じゃないです・・・マジで

お雑煮について

2007-01-02 20:04:42 | 日記
お正月に食べるお雑煮といえば・・・場所によって様々なものがある。お雑煮は神様にお供えしたお餅に海の幸・山の幸を入れて出来たもの・・・と何かの本で読んだ。私が小さい頃から食べていたお雑煮は、汁は透き通っていて大根・人参・里芋・小松菜・かしわ(鶏肉の事)・に丸いお餅が入っていた。東京は、お餅は四角いお餅をよく使うらしいが他は熊本で食べてたものと同じだ・・・びっくりするお雑煮に出会ったのは、ミクロンと結婚して初めてミクロンの実家でお正月を迎えた時のことだったミクロンの実家は香川県・・・元旦の日にミクロンのお母さんが出してくれたお雑煮は白味噌仕立てだった。ふーん香川はすましじゃなくて白味噌なんだ~と思った。お餅は馴染みのある丸だったのでホッとしたところが・・・お餅を食べた瞬間!中から何か出てきた甘ーいあんこだった私はてっきり、同じ入れ物にあったあんこ入りの丸いお餅と間違って入れちゃったのだろうと思って・・勇気を出して「おっおかあさん!これあんこが入ってる・・」と言った。すると「そーなんよ!こっちのお雑煮はあん餅を使うんよー」と言った。「えっお雑煮にあんこ入りのお餅なんてありえない~」と思いながら・・・カワイイお嫁さんでないとと思い我慢した。私の頭の中では、おしることお味噌汁が戦っていて和解して手をつないだような気がした。お願いだから手をつながないで~と叫んでいたでも食べなければ・・・お餅の中のあんこが外に出ないようにして、お餅を食べる時は、これはおしるこなんだと思い汁を飲む時は、これはお味噌汁なんだと言い聞かせ全部食べたすごい自分との葛籐だった。「意外とおいしいでしょう?おかわりあげようか?」と微笑むお母さんに「んっと・・・もうお腹一杯になりましたごちそうさまでした」と笑顔で答えた・・大変なとこに嫁いでしまったのだろうか・・・とその時はマジで思ったでもそれ以来、私にとって・・・このありえないお雑煮を口にすることはないので安心しているいろんな郷土の味があっていいけれど、やっぱり好みっていうのも確かにあるな~と思ったのでした。今では、ちゃんとお母さんにあんこ入りは・・私・・ちょっと苦手なの~と言えるようになったから・・・ミクロンの実家でのお正月でも大丈夫です

マ-ラーとミクロン

2007-01-02 01:09:29 | ミクロンについて
私がマ-ラーの9番シンフォ二ーを弾く事になったと話すとミクロンがウチにあるCDを全部出してくれた。違うバージョンで6枚もあった「何でこんなに持ってるの?」と聞くと・・・この曲というか、マーラーには何か特別な思いいれがあるらしい・・・。私もマーラーという人についての本をちょっと読んでみたけれど、そう言えば、何かこだわり屋のとことか理屈っぽく取り扱いが難しいとことか・・共通するとこがありそうだ。マーラーもミクロン族だったのだろうかマーラーの奥さんは音楽家でマーラーと同じようなタイプの人だったらしい・・・ミクロン同士の夫婦ってことか・・・上手くいったのだろうか?夫婦間の問題を夢判断や精神分析で有名なフロイトに相談した事があったらしい・・・やはり大変でいろいろ悩んでいたのだろうか・・・幸い私はミクロン族じゃないからミクロンは幸せ者なのだだから・・・もっと優しい言葉使いで私の事大切にしないとバチがあたるよーだ

新年初に思ったこと

2007-01-02 00:06:31 | 日記
初日の出を見に行くために車に乗っていた時、渋滞が始まって・・・ミクロンが「日の出までにまだ1時間ある」と言った言葉から、止める事の出来ない時間という存在とその中でくり返される自然の営みについて・・・まだ真っ暗な空を見ながら、なんとなく考えたどんなに考えたって2100年にはもう私は存在しないのだと思うと、そうやってたくさんの人達が時間の中を通り過ぎていて・・もうすぐ演奏するマーラーという人もそうで・・もう居なくなってしまった今でもその音楽は生き続けていて・・数え切れない位の人達がマーラーが書き残した音符をたどっていて・・私もたどろうとしている。なんかとっても不思議で厳かな気持ちになったマーラーの9番シンフォ二ーからは、なんかとても生死を思わせるような雰囲気を感じる。この作品をどう弾こうなんて考えること自体とてもおこがましいことのように思った初日の出を見て自然の偉大さを痛感したこと・・マ-ラーという人もきっと自然に対する畏敬の念がとても強い人だったように思った。シュヴァイツアー博士や手塚治虫もブラックジャックの漫画の中でも言ったように・・・人間が生き物の生死をどうこうしようなんてとてもおこがましい事なんだと思ったのと、そういうことを感じさせる音楽がマーラーの作品のような気がしたのでした。そんな事を考えながら、今私の教室に通う子供達も限りなく続いていく時間の中での一瞬の時を共にしていて・・この子達の人生にわずかばかり関わる事が出来た私は、一生懸命に尽くさなければいけないと思ったのでした。この子達が大人になって、私と音楽を通じて共にした瞬間を思い出して懐かしく思ってくれたら嬉しいな~と思うのでした。