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邦訳『人間・国家・戦争』の今日的意義

2013年07月09日 | 研究活動
ケネス・ウォルツ『人間・国家・戦争―国際政治の3つのイメージ―』を読み直しています。原書は既に読了していますが、日本語訳が刊行されましたので、改めて、邦訳に目を通してみることにしました。

ウォルツの主張は、論争的ですが、同書が国際政治学の現代の古典であることには、誰も異議はないでしょう。とりわけ、国際政治学のアプローチとして極めて有用な「分析レベル(=イメージ)」の原型を示した同書は、文字通り、現代の古典です。それが、ようやく日本語に訳されたことは、日本の国際政治学教育にとって、大きな進歩でしょう。

翻訳に尽力された渡邉昭夫先生、岡垣知子先生に、あらためて心より敬意を表します。とりわけ、岡垣さんは、ウォルツの主著『国際政治の理論』も訳されています。日本における国際政治学の啓蒙に対する岡垣さんの情熱を感じます。

内容の深い同書は、読み直すたびに新しい発見があります。だからこ、「現代の古典」と位置づけられるわけです。とりわけ、原書の刊行から半世紀近く経った2001年度版への序文における以下の指摘には、国際政治学を教える立場の人間として、ハッとさせられました。

「『イメージ』が適切な言葉なのは、どうがんばっても国際政治を直接に『見る』ことはできないからであ(る)」。
(ウォルツ『人間・国家・戦争』勁草書房、2013年、5ページ)




個人的な印象に過ぎないのですが、私は年々、大学で国際政治学を教えることの難しさを感じています。その主因は何だろうか、とあれこれ考えていたのですが、このウォルツの一言で分かった気がします。すなわち、学生たちは、「見えないこと」をイメージすること、すなわち抽象的・論理的に事象を考えることが苦手になっている、ということでしょう。

なぜ、そうなっているのかについては、教育社会学者の研究にお任せします。おそらく、様々な複合的要因が作用していることでしょう。大学教育の現場にいると、ウォルツの言う3つのレベルのうち、学生の思考が「第1イメージ」、すなわち人間に偏重していることを痛感させられます。だからこそ、国家レベルや国際システムレベルの考察の重要性が、増しているのかもしれません。

ですから、この時期に『人間・国家・戦争』が、日本語に訳され、我が国で広く紹介されることになる意義は、強調してもしすぎることはないでしょう。

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