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予防戦争としてのロシア・ウクライナ戦争(更新)

2022年04月26日 | 研究活動
我が国のロシア・ウクライナ戦争の原因分析で決定的に欠けているのは、「予防戦争」の視点である。予防戦争とは、将来に闘うのは不利であり、今、戦争を始めた方がマシであるという国家の指導者の動機から生じるものである。第1に、バランス・オブ・パワーが不利に傾く状況において、追い詰められた国家は、予防戦争のインセンティブを高める。第2に、こうした国家が限定的で局地的な軍事優勢を保持している場合、迅速な勝利に期待して予防攻撃に訴えやすくなる。ロシアのウクライナ侵略は、この予防戦争理論で説明することができるのだ。

リアリストの予防戦争仮説とリベラルの民主主義波及仮説
リアリストのジョン・ミアシャイマー氏(シカゴ大学)やスティーヴン・ウォルト氏(ハーバード大学)、リチャード・ベッツ氏(コロンビア大学)は、ロシアのウクライナ侵略の主因が、NATOの東方拡大によるバランス・オブ・パワーの変化にあると見ている。かれらと同様な分析は、ラジャン・メノン氏(コロンビア大学・ニューヨーク市立大学)も共有している。かれは次のようにクレムリンの決定を説明している。「ロシアのウクラナへの攻撃は予防戦争である。すなわち、敵とみなされた国家が将来のある時点で、深刻な脅威になるということで正当化されるものである。予防戦争は単に国際人道法違反にとどまるものではない。強力な国家が他国に侵攻する権利とその政府を転覆する権利を主張する想像されたシナリオなど、受け入れらるものではないと(予防戦争を考えざるを得ない)国家が宣言する場合、世界はかつてないほどさらに危険な場所になるのである」。

ロシアがウクライナに侵攻してから1年以上が経過して、この戦争に対するさまざまな事実が明らかになる中でも、この戦争はやはり予防戦争であったと説明されています。旧ソ連/ロシア政治に詳しいジェフリー・ロバーツ氏(コーク大学)は、学術誌『軍事・戦略研究ジャーナル』に発表した論文において、プーチン大統領のウクライナ侵攻の決定を以下のように説明している。

「2022年2月のプーチン大統領のウクライナ侵攻は、予防戦争の意思決定の典型的事例であった。プーチンが戦争に踏み切ったのは、ウクライナがロシアとの国境での強力なNATOの橋頭堡となり、キーウクリミアとドンバスの支配権を強引に取り戻そうとするのを防ぐためだったことが、公的記録から分かる。プーチンは、ウクライナだけでなくNATOとも将来戦争になることを予見し、ロシアにとって即時衝突のリスクは、中長期的な脅威よりも低いと評価していた。また、ウクライナが核武装する危険性も、超国家主義的なキーウ政権を断固として『反ロシア』政権と認識することと同様に、戦争への最終決断に重要な影響を及ぼした」。

このようにリアリスト政治学者を中心にして、ロシア・ウクライナ戦争は、これまでに起こった多くの戦争がそうであったように、パランス・オブ・パワーの不利な変化が、ロシアを戦争へと駆り立てた「予防戦争」であると分析されているである。

他方、マイケル・マクフォール氏(スタンフォード大学・元米国駐ロシア大使)らは、西側のウクライナの民主化支援がロシア侵略の原因だと主張しており、我が国の少なからぬ「国際政治学者」は、リアリストの仮説を退けるか、マクフォール氏を支持している。こうした競合する相いれない主張を現時点で入手できる証拠により検証すると、リアリストの予防戦争論がより説得的であるといえるだろう。このことを関連する社会科学/人文科学の理論を援用したり、エビデンスや証拠と照らし合わせながら論証していきたい。

不均等な軍事バランスとロシアの脆弱性
NATO東方拡大は、バランス・オブ・パワーでロシアを追い込んでしまった。GDP、軍事支出、現役兵力、人口で、NATO諸国はロシアを圧倒している。この絶望的な劣勢はプーチンを不安にさせるに十分であり、予防戦争の動機になり得るものである。


                    出典:DEFENSEPRIORITIES.ORG

リアリストが主張するように、これだけの優越的パワーを持つNATOが東方に拡大してロシア国境にじわじわと迫ってきたら、いくら冷酷な独裁者プーチンといえど、不安を感じても不思議ではない。スティーヴン・ウォルト氏は、こうしたNATO東方拡大とロシアの侵攻の関係をこのように説明している。すなわち、「ウクライナが急速に西欧圏に滑り込んでいく恐怖は、ロシアの恐怖を高めて、プーチンを不法で高くつく、今や長引く予防戦争へと導いた。たとえウクライナの防衛力を改善する手助けに意味があれど、モスクワに安心供与をせずにそうすることは、戦争の可能性を高めてしまったのだ」。ロシアとウクライナを支援する欧米の関係は、典型的な「スパイラル・モデル」の状況だったと考えられる。こうした状況下では、相対的パワーを低下させているロシアは、時間が経てば、戦略的に著しく不利になると恐れるものである。そして、欧米のウクライナへの軍事支援が、たとえ防御的なものであったとしても、アナーキーにおいては相手の意図を100%確実に知ることができないため、それを攻撃的なものとみなしがちなのだ。その結果、プーチンは自らの生き残りが危うくなったと感じて、ロシアにとって安全保障上、必要不可欠な「緩衝国」であるウクライナを欧米に渡さないために、予防戦争を仕掛けた。しばしば指摘されるように、独裁者は意外とチキンなのである。

損失とリスクの受容
予防戦争を始める国家の指導者は、自国が脆弱化している状況では、投機的な冒険的行動をとりやすい。これは心理学のプロスペクト理論が教えるところである。前出のウォルト氏は、ロシアのパワー・ポジションの悪化と戦争への動機の関係について、次のように説明している。すなわち、「人間は…損失回避のためなら、より大きなリスクを厭わない…プーチンは、ウクライナが米国やNATOとの連携へと徐々に傾いてると確信したなら…彼が取り返しのつかないとみなす損失を実現させないことは、一か八かの賭けに値するものなのかもしれない…プーチンからすれば…米国とNATOの行為は生来の傲慢さから生じたのであり、ロシアを弱く脆弱な立場に置き続けたい深い願望に根ざしており、ウクライナは誤導されている…と見えるのだろう」ということである。防御的リアリストのチャールズ・グレーザー教授(ジョージ・ワシントン大学)も同様に、「プーチンが自分自身は本当に危ういと恐れる…時には、もっと過激に行動し、大きなリスクを冒し得る」と語っている。

一般の人は、国家が自らの弱さから戦争を起こすなど、考えにくいだろう。戦争というものは、悪意を持った残忍な独裁者が、自らの権益を拡大しようとして始めるものだと思い込んでいないだろうか。そういう戦争もあるが、多くの戦争は国家の指導者が自らの弱さを克服しようとして引き起こすものである。国家の安全保障を担保する上位の権威が存在しない無政府状態において、国家は自分の生き残りは自分で確保しなければならないために、自らが弱い立場に追い込まれることに敏感にならざるを得ないのだ。ロシアのプーチン大統領も例外ではなさそうである。ケン・デクレヴァ氏(ジョージ・H・W・ブッシュ米中関係財団)は、かれの心理をうまく説明している。すなわち、「失敗や弱さを許さない。それがプーチンの自己認識だ。彼は失敗や弱さを嫌悪しているので…追い詰められて弱ったプーチンは、いつもより危険なプーチンだ。クマを檻(おり)から出して森に返した方がいい場合もある」ということである。

ロシアのレッドライン
そもそもモスクワはウクライナのNATO加盟もしくは西側の軍事拠点化を「レッドライン」と一貫してみなしていた。すなわち、アメリカやその同盟国が、ウクライナを自らの影響圏に組み込むことは、ロシアの安全保障を決定的に脅かすので、見過ごすことはできないということである。これを最も雄弁に語るのは、イギリスの元駐ロ大使のロデリック・レイン氏(チャタムハウス)だろう。かれは「西側がNATOをウクライナに押し込むのを試みることは、いかなる戦略的意味もなかった。何の利益もなく甚大な不利益がある。ロシアと戦争を始めたければ、それは最良の方法だ」だと最大限の警告を発していた。


(出典:アイゼンハワー・メディア・ネットワーク https://eisenhowermedianetwork.org/russia-ukraine-war-peace/)

廣瀬陽子氏もロシアのウクライナ侵攻直前に脱稿した論説において、ウクライナがNATOに加盟しない法的保証をプーチン大統領は求めており、それがロシアにとって譲れないラインだったと、次のように述べている。「ロシアの公式な立場ではレッドラインは『ウクライナ(ないし、旧ソ連諸国)の NATO への正式加盟』および『米国や他の NATO 加盟国がロシアの近隣国に強力な軍備を行わないという法的保障』だと言える。2021 年 11 月 30 日の投資フォーラムでも、プーチン大統領がウクライナでの緊張の問題に絡め、『ウクライナ内での攻撃的な戦闘能力の展開、またはウクライナの NATO 加盟』がロシアにとってのレッドラインだと明確に述べている」ということである。テッド・カーペンター氏(ケイトー研究所)も同様に、「ウクライナをNATOの軍事的手先にしないことは、ロシアの指導者にとって死活中の最大の死活的利益だ。モスクワがウ戦争で敗北の苦境に近づけば、クレムリンは必要なことは何でも、必要なリスクは何でも、そのような結果を防ぐために行うだろう」と主張している。

緩衝国としてのウクライナ
戦争原因の理論を総合的に調べてまとめたグレッグ・キャッシュマン氏(メリーランド大学)は、ロシアの歴代の指導者は侵略される恐怖から、周辺国の動向に敏感だと次のように指摘している。「ロシア指導者にとって1つの最も強力な歴史の教訓は、安全保障が緩衝国の創造に依存してきたことだ。これはチンギス・カンのアジアの大群、スウェーデン人、リトアニア人、ドイツ騎士団、ポーランド人、フランス人、ドイツ人他による侵略の年月から学ばれた教訓だ」(What Causes War? Rowman and Littlefield, 2014, p. 73)。同じような見方は、歴史学界の重鎮であるマーガレット・マクミラン氏も示している。すなわち「ソビエトの目的の多くは伝統的なロシアのものであり、地理と歴史に命じられたものだった。ロシアには自然の国境線がほとんどなく、繰り返される侵略に苦しんでいた。ロシアの政府はいつもロシアの中心部を守るための緩衝地帯を求めていた」ということである(『誘惑する歴史―誤用・濫用・利用の実例』真壁広道訳、えにし書房、2014年、146ページ)。ウクライナはもちろん主権を持つ独立国家であるが、ロシアは同国を安全保障上の重要な「緩衝国」と位置づけていた。それはロシアの指導者の性格やパーソナリティ、信条などの個人レベルに求められるものではなく、その地政学的要請によるということであろう。

こうしたロシアの安全保障上の必要性や戦略的制約は、プーチン大統領も歴代のソ連/ロシアの指導者と共有していたと言えよう。アンジェラ・ステント氏(ブルッキングス研究所)は、プーチンがロシアの政権を掌握して以来、「ウクライナを含む近隣諸国はロシアの勢力圏」であることをアメリカやヨーロッパ諸国に認めさせようとしてきたと述べている。彼女の分析によれば、「ロシアという国家の安全保障を支えるのも、危うくするのも、その鍵を握るのはウクライナだ」とプーチンはみていたのだ(「ウクライナ危機の本質―モスクワの本当の狙い―」『フォーリン・アフェアーズ・リポート』2022年2月、76-77ページ)。ところが、アメリカはロシアが設定したレッドラインを越えてしまった。すなわち、ウクライナを軍事支援することにより、欧米側へと引き寄せてしまったのである。

西側に組み込まれるウクライナ
これはロシアの政治指導者にとって黙ってられないことだった。アメリカやNATO諸国がウクライナに対して「事実上の」NATOのメンバーであるかのように軍事的つながりを深めれば、ロシアの侵攻を誘発しかねないことは、ロシア・ウクライナ戦争が勃発する前から専門家が警告していた。マイケル・キメージ氏(アメリカ・カトリック大学)とマイケル・コフマン氏(新アメリカ安全保障研究センター)は、ウクライナ危機について以下のように的確に分析していた。

「ウクライナは、米英などのNATOメンバーとのパートナーシップを拡大している。アメリカは殺傷兵器を含む軍事支援をキエフに提供し、NATOはウクライナ軍の訓練を助けている…これまでウクライナのNATO加盟をレッドラインとみなしてきたモスクワは、いまや欧米とウクライナの防衛協力を看過できないとみなし始めている…2021年10月、プーチンは…『ウクライナの軍事的整備がすでに進められており』、これが『ロシアにとって大きな脅威を作り出している』と述べている。これは空虚な発言には思えない。ロシアの指導者たちは外交的解決の先行きはみえず、『ウクライナはアメリカの安全保障軌道に組み込まれつつある』とみている。このため、戦争は避けられないと考えているかもしれない」(「ロシアとウクライナの紛争リスクーキエフの親欧米路線とロシアの立場―」『フォーリン・アフェアーズ・リポート』2022年1月、38-39ページ)。

予防戦争のロジックでロシアのウクライナ侵攻を予想していた研究者は、他にもいる。元米陸軍中佐のアレクサンダー・ビンドマン氏(ジョンズ・ホプキンス大学)とドミニク・クルーズ・バスティロス氏の(ローフェア研究所)の戦争直前の分析は、非常に的確であった。かれらは以下のように述べている。

「プーチンの最終目標は、ウクライナの軍事力を疲弊させ、キエフを混乱に陥れ、ウクライナを破綻国家にすることだ。プーチンがそうしたシナリオを望むのは、ウクライナが手に負えない敵となり、次第にロシアの安全保障上の深刻な脅威となっていく危険をこの段階で摘み取っておきたいと考えているからだ」(「ロシアの意図とアメリカの対応―軍事攻撃で何が起きる―」『フォーリン・アフェアーズ・リポート』2022年3月、33-34ページ)。

退役軍人で米空軍大学教授のジョシ・カルドン氏も、1945に寄稿した記事「予防戦争―ロシアのウクライナ戦争と中国の台湾戦争を説明すること—」において、同じく以下のように、ロシアのウクライナ侵攻は予防戦争だったと見ている。

「ロシアのウクライナ侵攻はリーヴィ氏が理論化した予防戦争の一種である…2008 年のプーチン大統領のジョージア侵攻や 2014 年のクリミア侵攻のように、彼は非常に危険ではあるが、計算された予防戦争を行った。この種の戦争はロシアの決意を示すものだ。それらは、旧ソ連諸国が西側とより緊密に連合することに向けて動くのを阻止するように企図されている」。

我が国でも、ロシアの予防戦争の動機を的確につかんでいた人がいたことも付記しておきたい。亀山陽司氏(元外交官)は、「ウクライナがNATOに加盟すれば、NATOはウクライナを防衛する義務を負うことになる。その状態でウクライナが失地回復を求めて攻撃的な行動、例えばドンバスへの攻勢に出れば、ロシアが反撃してきた場合、NATOがウクライナ側に立ってロシアを撃退してくれるはずだ。これがウクライナの思惑だ、とロシアは考えたのである…NATOとアメリカはウクライナを軍事的に強化している。時間はロシアに味方してくれない。待てば待つほど、ドンバスやロシアの状況は悪くなっていく」と、予防戦争の基本的なメカニズムである「後に戦争になるくらいであれば、今時点で戦争を行った方がマシである」というロジックでウクライナ危機を読んでいた。ロシアはウクライナが完全にNATOに組み込まれてロシアの敵にことを防ぐために、同国に侵攻する動機を高めたということである。

残念ながら、かれらの懸念は現実のものとなってしまった。アメリカやNATO諸国がウクライナを自陣営に組み込む努力は、ロシアの安全保障を決定的に脅かした結果、プーチンをはじめとするモスクワの指導者たちは、ウクライナが敵対勢力の手に落ちる前に、そうなる事態を防ごうとして戦争に打って出たのである。

このようにロシアのウクライナ侵攻を予防戦争の観点から予測していた識者において、プーチンの戦争目的に関する見解の違いは見られるが、いずれも、この戦争は、欧米の軍事支援を受けたウクライナが手に負えない敵になり、ロシアの安全保障を脅かすことを恐れて、それを防ぐために起こした予防戦争であると見ていることが共通している。なお、ビンドマン氏とバスティロス氏の開戦後の展開に関する予想が、あまりにも的確なのは驚かされる。かれらは、ロシアがウクライナの主要都市を占拠するのに相当の犠牲を強いられること、ウクライナ政府を降伏させるためにキーウに進撃するであろうこと、戦争の犠牲者は数万に達して、人道危機が起こること、ロシアがエネルギー供給を止めることにより、ヨーロッパでエネルギー危機が起こること、フィンランドとスウェーデンがNATOへの加入を希望することなどを見事に当てている。アメリカの専門家の高い力量と分析力には、恐れ入るしかない。

安全保障のジレンマと予防攻撃
なお、予防戦争の勃発を理解する上で注意しなければならないのは、パワー不均衡下では、防御的措置が攻撃的なものと誤認されやすいことである。NATO加盟国が、いくら同盟の拡大は防御的だと言っても、ロシアには潜在的な脅威にうつる。こうした意図せざる敵意のスパイラルは、リチャード・ルボウ教授(キングス・カレッジ)が「戦争の蓋然性は不安定な軍事バランスの下で高まる…防御を意図した措置でさえ、他国から侵略的だと見做されるかもしれない…そうした国家は早めに行動しなければ手遅れになると、ますます不安に駆られるものだ」と指摘する通りである(Between Peace and War, The Johns Hopkins University Press, 1981, p. 238)。NATO拡大と英米のウクライナへの軍事支援は、ロシアを抑止するのではなく、かえって挑発してしまったのだろう(抑止と挑発については、永井陽之助『現代と戦略』文藝春秋、1985年、210-233ページが示唆に富むので、ぜひ参照してほしい)。ロシアのウクライナ侵攻に関する、こうした見方は、若手の研究者にも共有されている。エマ・アシュフォード氏(アトランティック・カウンセル)とジョシュア・シフリンソン氏(ボストン大学)は、「『アメリカとそのパートナーはウクライナを事実上の同盟国にしようとしている』とモスクワはみている。これこそ、ロシアが侵略行動にでた理由であ(る)」ということだ(「紛争の拡大とエスカレーション?―ロシアと欧米が陥るスパイラルの罠―」『フォーリン・アフェアーズ・リポート』2022年5月、56ページ)。



エビデンス
プーチン大統領が行ったウクライナ侵攻演説は、予防戦争理論を裏づけている。

「NATOが東に拡大するにつれ、我が国にとって状況は年を追うごとにどんどん悪化している…NATOの指導部は…軍備のロシア国境への接近を加速させている…NATOが軍備をさらに拡大し、ウクライナの領土を軍事的に開発し始めることは受け入れがたい」。

マクフォール氏は、この発言を「ロシアのウラジミール・プーチン大統領は、2月24日のウクライナ侵略がNATOのせいだと、あなたたちに信じ込ませようとしている」と退けている。しかしながら、ロシアの歴代指導者は、NATO拡大はロシアの死活的利益を脅かす旨、ほぼ一貫して主張してきた。ミハエル・ゴルバチョフ元大統領は、NATO拡大を新帝国主義と強く非難したボリス・エリツィン元大統領もNATO拡大は重大な間違いと懸念を隠さなかった。政治指導者の発言には、プロパガンダが必然的に含まれるので解釈には注意が必要だが、プーチン発言が全面的にディス・インフォメーションである証拠は、今のところない。

さらに、国家は局地的に軍事力で優っていると、全般的なパワー・バランスで不利であっても、戦争に走りやすい。おそらく、プーチンや側近たちはNATO諸国の介入は核兵器の脅しで抑止でき、軍事力で大幅に劣るウクライナに限定した戦争なら勝てると踏んだのだろう。プーチンの「今でも、世界で最大の核保有国の1つだ。そしてさらに、最新鋭兵器においても一定の優位性を有している」との発言は、こうした推論の妥当性を示している。

民主主義波及仮説の矛盾
他方、民主主義の波及を恐れて、プーチンが戦争を始めたとする仮説については、これと合致しないデータがある。フリーダム・ハウスの調査によれば、ウクライナは「民主化途上かハイブリッド体制」だったのだ。ウクライナの2022年の民主主義度は39/100にすぎない。民主主義スコアは4/7と、残念ながら高くない。市民の自由度も「部分的」で35/60である。このデータからして、ウクライナがロシアに脅威を与える程の自由民主主義国家とは思えない。これはマクフォール氏の仮説の妥当性に、重大な疑問を投げかけている。

そもそもヨーロッパでの戦争の多くは、予防戦争であった。このことは、軍事史・戦略論の大家マイケル・ハワード氏が、「政治家が敵対国の力の増大を認識して、その国に自国が縛られてしまうことへの恐怖心は、ほとんどの戦争の原因なのである」と喝破した通りである(The Causes of Wars and Other Essays, Harvard University Press, 1983, p. 18)。ロシア・ウクライナ戦争も、この例外ではないだろう。「予防戦争を仕掛けるのは、死の恐怖から自殺するようなものだ」との格言を残したのは、プロイセンの宰相オット・フォン・ビスマルクである。そのビスマルクを罷免して、第一次世界大戦へと突入して敗北したのが、ヴィルヘルム2世のドイツであった。プーチンは、こうした「愚行」を冒した、21世紀の政治指導者として、歴史の汚点となることであろう。

ロシアがウクライナに侵攻してから約1年が過ぎ、「ディフェンス・プライオリティ」が、この戦争から引き出せる教訓をシンポジウムで議論している。アメリカの第一線の若手と中堅、ベテランの政治学者が、リアリスト学派の研究者を中心にして、傾聴に値する意見を寄せている。どの見解も含蓄に富んでおり、とりわけバリー・ポーゼン氏(MIT)は、将来に「予防戦争」の悲劇を避けるための有益な提言をしている。ここでご紹介したい。

「プーチン大統領の動機が予防的であったというのは、戦争の全ての『責任』をロシアからウクライナや欧米に転嫁することではない。予防戦争は国際法上、違法である…しかし『自制』の知恵は、パワーシフトの敗者側の国家によってしばしば見落とされるのだ。NATOの拡大を強力に推進した人々は、プーチン大統領が戦争に踏み切ったことの政治的責任を自分たちが負う可能性について考えたくないかもしれない。しかし、私たちはこの悲惨な戦争から、後に役立つかもしれない何かを学ぼうとするはずである。敵対する国家の権力や安全保障上の地位にとって極めて不都合と思われる行動をとる場合、それがいかにイデオロギー的、倫理的、あるいは戦略的に魅力的であったとしても、強引すぎるために望ましい結果とは正反対の結果をもたらす可能性にも注意しなければならないのだ」。

我々は自分の行動が災厄をもたらした場合、その責任を回避したいと思うのは自然なことだろう。戦争を起こした国家の指導者が、バランス・オブ・パワーの著しい悪化に安全保障の危険を感じて、生き残りを最大化するために武力を行使したとしても、我々は当該指導者を取り巻く戦略環境の影響を見過ごして、彼らを「悪魔化」することで済ませがちだ。また、自分が信じている理論やロジックに反する仮説や情報、エビデンスを認めることにも抵抗を感じる結果、それらを否定したり拒否したりしがちでもある。プーチンが悪いという強い「正義感」を抱く人は、NATO拡大がロシアを追い詰めた結果、同国の侵攻を招いたという言説は、彼を免責するように感じるので、これを受け入れがたいのだ。しかしながら、戦争という重大な事象の原因を探求する際には、こうしたバイアスを意識して排除しながら、予防戦争の仮説を証拠にもとづき客観的かつ実証的に検証して結論をだすべきでだろう。こうした知的営為は、正しい教訓を引き出すには必要不可欠なのである。

なお、これはプーチンを擁護するとか、誰に戦争の責任があるとか、誰が悪いとかではなく、価値中立的な観点から、「何がロシアの侵略を引き起こしたのか」に関する諸仮説をエビデンスにより検証する作業である。このことは重ねて強調しておきたい。

*このブログ記事は、アゴラ言論プラットホームに寄稿した「ロシアのウクライナ侵略は『予防戦争』である」に加筆したものである。

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