野口和彦(県女)のブログへようこそ

研究や教育等の記事を書いています。掲載内容は個人的見解であり、群馬県立女子大学の立場や意見を代表するものではありません。

ルトワック『戦略論』の邦訳(更新)

2014年05月17日 | 研究活動
当代一流の戦略「理論家」としてしられるエドワード・ルトワック氏の主著が、日本語で読めるようになりました。それが『戦略論』(毎日新聞社、2014年)です。



翻訳にあたったのは、武田康裕氏(防衛大学校)と塚本勝也氏(防衛研究所)です。邦訳書にして400ページ以上の大著を日本語に翻訳された武田氏と塚本氏に、心より敬意を表します。軍事専門用語が多用され、戦史のエピソードに富み、なおかつ、著者の独特な言い回しを日本語にする作業は、相当な知的エネルギーと時間をつかう、根気のいる営為だったと思います。

ハーバード大学出版会から世に問われた原著 Strategy の初版は1987年であり、その直後から、別の研究者による訳出の動きはあったと聞いていました。それから四半世紀以上たった今日、ようやく、武田氏と塚本氏の労により、2001年版の完訳が上梓されました。まさしく、待望の翻訳です。

ルトワック氏の戦略論に通底する「理論」は、「逆説の論理(the Paradoxical Logic)」です。すなわち、戦略、戦術、作戦のあらゆるレベルにおいて、あらゆる行動は意図せざる結果を招くものだ、ということでしょう。こうした戦略のパターンは、戦争と平和に関する直感的思考にしばしば馴染まないため、受け入れがたいと思う読者も少なくないかしれません。しかしながら、戦略のみならず国際関係が逆説に満ちていることは、「安全保障のジレンマ」を持ち出すまでもなく、政治の世界を理解する上で極めて重要なことです。

本書の最も論争的な主張の1つは、紛争に対する介入は平和の達成を妨げるというものでしょう。この仮説が正しければ、人道的介入、国連の平和維持活動、NGOの難民支援活動などは、長期的に見れば、かえって紛争を長引かせることになり、結果的に犠牲者も増やすことになる、ということになります(邦訳、97-111ページ)。まさに、平和を目指す活動が紛争を助長してしまう、逆説的論理が作用する典型的な事例でしょう。

ルトワック氏は、この主張を1999年7/8月号の『フォーリン・アフェアーズ』誌に、論文「戦争に機会を与えよ("Give War a Chance")」として発表しています(同論文タイトルは、「戦争を我等に」と訳したほうが、ピンとくる人もいるでしょう)。いうまでもなく、同誌は、世界最高峰の外交専門誌です。そして、この仮説は、近年、別の研究者によって検証され、その妥当性が指摘されています。詳しくは、モニカ・トフト氏の論文「内戦を終わらせるということ」International Security, Vol. 34, No. 4, Spring 2010)を読んで下さい。

紛争への介入の是非は、功利主義のみではなく、規範的側面(とりわけ人道的側面)からも論じるべきでしょう。ここで代表的規範理論の1つである、マックス・ウェーバー氏の「心情倫理」と「結果(責任)倫理の古典的な基準(『職業としての政治』参照)を用いて、考えてみましょう。一方で、「人道的介入」は、「世界市民社会」の萌芽になり得るとして、それを正当化する言説があります。これは「心情倫理」に基づく典型的な議論でしょう。他方、ルトワック氏の主張は、明らかに「結果倫理」に依拠するものです(人道的介入と暴力とのきわどい関係については、パトリシア・オーウェンズ、中本義彦/矢野久美子訳『戦争と政治の間―ハンナ・アーレント」の国際関係思想』岩波書店、2014年、第7章をお読みただくことを勧めます)。そして、政治の世界では、指導者はしばしば「結果倫理」に基づく行動が求められると指摘されています。もし、そうであれば、ルトワックの戦略論は、「逆説の論理」が支配する戦争と平和の問題に、重い問いを投げかけていると言えるのではないでしょうか。

最新の画像もっと見る