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「外圧反応型国家」の集団的自衛権

2016年12月21日 | 研究活動
篠田英朗『集団的自衛権の思想史』(風行社、2016年)は、私を圧倒させる重厚で知的刺激に富む研究書でした。著者は、日本の集団的自衛権の問題を「国際協調主義」の文脈から読み解いていきます。そして、1つの結論を導いています。



「『最低限の自衛権』の概念によって…海外で行うような活動は、『最低限』とは言えず、日本国内で日本の事柄に専心することが『最低限』で合憲だ、という理解が憲法解釈の通説として広まった。そこではもはや国際協調主義にしたがった行動が憲法の理念に合致し、国際協調主義に反することが憲法の理念に反する、といった議論を進める余地は全くなくなった」(173ページ)。

鋭く厳しい重要な指摘です。著者の胸の内を吐露した「あとがき」の以下の一節は、私には平和構築を専門とする研究者の悲痛な叫びに聞こえました。

「2015年の安保法制反対デモの中に、『War Is Over. If You Want It』(1960年代末のベトナム反戦のメッセージ)というスローガンがあるのを、何度も見かけた。…もしもこのメッセージを現代で使うのであれば、アフガニスタン、イラク、シリア、リビア、コンゴ、その他の世界各地の戦争に対する政治的スタンスを問い直すために使うべきではないだろうか。この瞬間に現実に起こっている戦争について想像することも全くしないまま、切迫した訴えかけを持っていた過去のメッセージを、文脈を無視して簡単に借用していいのだろうか」(209ページ)。

篠田氏のこの問いかけは重いです。

国際政治理論研究者の端くれとして、私が本書から考えさせられたのは、日本は今でも「外圧反応型国家(reactive state)」だということでした。冷戦終焉により変化した国際システムおよび同盟国であるアメリカからの「圧力」を受け、特措法などを連発することにより、集団的自衛権の問題を乗り越えようとする日本の政策は、「外圧反応型国家」モデルにピタリと当てはまるように思いました。もしこの推論が正しければ、「国内の立憲主義の整備」が進み、それが「国際的な立憲主義」につながることには、日本がよほど大きな外部からの安全保障上の衝撃を受けない限り、残念ながら、あまり期待できないかもしれません。

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