西湖(せいこ)の東北東側の湖畔に建つ「ハイアット リージェンシー 杭州(杭州凱悦酒店)」にチェックインをした後、遊覧バスに乗り湖畔沿いを南に向け進んでいる。前方に見える「湧金橋」の手前が、内湖(涌金池)で、その先に西湖が広がっている。このエリアは「西湖天地」と呼ばれ、柳の木が風にたなびく小さな公園で、レストランや喫茶店などが点在している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/45/9beb64714775cf3b2a36b07bd6a33042.jpg)
西湖は、南北3.3キロメートル、東西2.8キロメートル、外周15キロメートルの、ややいびつな矩形をしている。遊覧バスは最初に、西湖の東湖畔沿いの「涌金公園」を過ぎ、次に、西湖十景の一つで「柳浪聞鶯」と呼ばれるエリアを過ぎ、最後に「学士公園」を通過して、西湖の南湖畔に到着した。
ところで、西湖がある杭州市は、中国八大古都(北京、南京、杭州、西安、洛陽、開封、安陽、鄭州)の一つで、国家歴史文化名城に指定されている。隋代以降、江南運河の終着点として経済・文化が発達し、「上有天堂、下有蘇杭」(上に天堂あり、下に蘇州・杭州あり)と称えられた。五代十国時代(907~960)には、呉越国の都となり、南宋時代には事実上の都(1138~1276)、臨安府が置かれた。現在の杭州市中心部は、西湖の東側に隣接して広がっている。
さて、遊覧バスを降りた西湖の南湖畔は、やや前方に突き出た半島で、中央の「夕照山」に仏塔「雷峰塔」が建っている。塔の名称は、夕照山の山頂を雷峰頂と呼んでいたことから名付けられた。現在の建物は、西湖十景の一つ「雷峰夕照」を再現するために、2002年に復元された。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/13/6149647254df53f15b11b1e508560d8f.jpg)
もともとは、975年、呉越王の銭弘俶が、寵妃(黄氏)が子を儲けたことを祝って「黄妃塔」として建てたのが始まりで、当初は五層八角形の煉瓦と木で造られた楼閣式の塔だった。その後、明時代の火災により煉瓦の塔身のみとなり、残った煉瓦も、心願成就に効果があるとされ持ちさられ、1924年に倒壊してしまう。
夕照山山頂までは、長い階段が続いているが、中央にはエスカレーターが設置されており、苦も無く塔の入口まで行ける。塔の土台部分には過去の煉瓦の遺構が残され見学することができる。塔はエレベータが設置された近代建築で、最上階の5階からの眺望が素晴らしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/9b/d9b2089c12dd353819d300e0b1f72931.jpg)
西湖は中国十大美景の一つとされ、中でも南宋時代には、西湖における10の美しい景観を「西湖十景」として、断橋残雪、平湖秋月、柳浪聞鶯、三潭印月、曲院風荷、蘇堤春暁、南屏晩鐘、双峰挿雲、雷峰夕照、花港観魚と定めている。
雷峰塔の最上階の天井には八角形の装飾天井「藻井(そうせい)」(ドーム)があり、アーチ型の龕に宝塔が納められた金の浮彫が無数に表現されている。そして、中央には金の花弁文様の飾りが取り付けられる等豪華なものとなっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/c5/ca4a1fe704e79850d547af522a83b380.jpg)
ドームの下部にあたる小壁には、仏陀の生涯をテーマにした木製のレリーフが360度にわたり取り付けられている。こちらは、涅槃図が高浮彫の技法で表現されている。弟子たちの表情や、木々の葉一枚一枚に至るまで、繊細に彫り進められており、更に光があたることにより、陰影がより強調され作品に深みを増している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/92/9e0cfad44409133711cf95538895f980.jpg)
クリックで別ウインドウ開く
展望台から西湖が一望できるが、今日は、やや靄(もや)がかかっている。中央の島が西湖で最も大きな島「小瀛洲」で「西湖十景」の一つ「三潭印月」と呼ばれている。そしてすぐ北側には「阮公墩」と「湖心亭」の二つの小島がある。その先にも小島「孤山」があり、孤山の東側から北東側湖畔にかけて「白堤」が延び、内側が「北里湖」となっている。西側には、南北に「蘇堤」と、その奥に「楊公堤」とがあり西湖は、「西里湖」、「南湖」、「岳湖」と細分化されている。以上の様に西湖は「一山、三堤、三島、五湖」から構成されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/8b/1edf6191f22f6abd0015428377140ed9.jpg)
クリックで別ウインドウ開く
雷峰塔の南側には、高さ131メートルの「南屏山」があり、麓に「浄慈禅寺」がある。日没時に響き渡る鐘の音を聞きながら眺める夕景が「南屏晩鐘」と呼ばれ「西湖十景」の一つとされている。北宋の画家、張択端が描く「清明上河図」の「南屏晩鐘図」により広く知れ渡った。954年創建で、日本曹洞宗の開祖である道元(未詳~1253)の師、南宋の曹洞宗の僧「天童如浄」(1163~1228)が住持を務めた禅宗五山の一つでもある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/8c/b9e513ca0dea7391d6ff8b23c43b9e2f.jpg)
クリックで別ウインドウ開く
東側は、雷峰塔の建つ周辺が、半島状に突き出ていることから、入り江となっている。湖畔手前の建物群は、ツーチャン シーツー ホテル(浙江西子賓館)で、対岸が遊覧バスで通過した「学士公園」になる。そして、北東方向が杭州の中心街だが、街並は靄でかすんでいる。東側には「呉山」があり、春秋時代に呉国の境目となった山になる。その呉山の山頂には「城隍閣」(じょうこうかく)が建っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/78/4601a9bd7173c2bc2936aaa55c8bdf7b.jpg)
クリックで別ウインドウ開く
城隍閣は、もとは元代創建の城隍神を祭祀する為の廟所で、高さ41.6メートルあり、羽を広げて飛翔する鳳凰を彷彿させる様な建築が特徴的な7層の楼閣で「新西湖十景」の一つ「呉山天風」と称されている。新西湖十景とは、1985年に杭州市が新たに選んだ十景のことで、玉皇飛雲、呉山天風、阮墩環碧、満隴桂雨、龍井問茶、九渓煙樹、黄龍吐翠、虎跑夢泉、宝石流霞、雲栖竹径と定めている。
再び、遊覧バスに乗り、次に西湖の北側に向かうことにする。バスに乗ると、最初に、西湖游船の乗り場を通過する。湖畔に龍の大きな顔が特徴的な豪華な楼閣船が停留している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/07/8b212073721151fd4c4138ad518ea4e3.jpg)
遊覧バスは、西湖の南北2.8キロメートルに延びる人口堤「蘇堤」を通り、西湖の北西岸に到着した。東西に延びる西湖沿いのメインストリート「北山街」に面して建つのが、南宋の武将・岳飛を祭る廟「岳王廟」で、多くの観光客が多く訪れる西湖の名所になっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/b0/fb42f695ee79cbb14885ec74c52a1795.jpg)
岳飛(1103~1142)は臨安(現在の杭州)出身の南宋の武将で、女真族の金に対して多くの戦績を挙げたが、岳飛らの勢力拡大を恐れた、高宗の宰相、秦檜ら講和派により謀殺され、不本意な生涯を終えている。秦檜の死後は、冤罪が晴れ「鄂王」と称され、岳飛の死から約80年後の1221年、智化寺に岳廟が建てられた。1918年に再建され、文化大革命中に破壊されるが、1979年に「岳王廟」として新たに再建され、現在に至っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/ac/6de0a46ed9772b9a8bc61ce308803050.jpg)
壮麗な大門を入ると、いくつかの建物があり、正殿には金龍が刺繍された紫紺の衣を羽織った「岳飛」の像が祀られている。敷地内には、岳飛と岳雲(岳飛の養子)の墓があり、彼らを陥れた秦檜と妻の王氏が縄でつながれ正座させられている銅像がある。現在は禁止されているが、かつて唾を吐きかける習慣があったとのこと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/30/eeb22bde1988fc7ae344e37676c2a415.jpg)
夕食は「岳王廟」から10分ほど歩いた、西湖の北部分にある島「孤山」の「孤山公園」そばにある「楼外楼」で浙江料理を頂くことにした。「楼外楼」は、杭州で一番有名な店とも言われ、150年の歴史を持つ老舗店である。2階建ての大きな楼閣風の建物で、店内はかなり広い。飲み物は、ビールと紹興酒を注文した。
こちらは、雌鶏の腹に詰め物をして蓮の葉でくるみ泥で包んで蒸し焼きにした名物料理「叫化童鶏」で、鶏自体の味が良い上に、身も柔らかく、蓮の香りが染み込み大変美味しい一品。そのむかし、乞食(叫化子・叫花子)が鶏に泥を塗り、地面に穴を掘った即席竃で焼いたことから「乞食鶏」とも呼ばれている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/fc/67213beb843e72440ce62136a6e1918b.jpg)
そして、浙江料理を代表する名物「東坡肉(トンポーロー)」を注文した。北宋の詩人、「蘇軾(そ しょく)」(号:蘇東坡)が考案した料理で、皮付きの豚三枚肉を紹興酒、砂糖、醤油で煮込み、小さな容器に肉片一つと野菜を入れ、茶わん蒸しの様に蒸し上げて完成する。こってりとした肉の旨味にも関わらず、脂っこくないのが特徴。蒸しパンに挟んで食べる。
そして楼外楼の名物の一つ「宋嫂魚羹」(宋姉魚のスープ)で、桂魚と呼ばれる淡水魚の切り身に、金華ハム、椎茸、葱、生姜などを煮込んだスープで、やや酸味がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/2d/9b1e08d2e3c8310df14a7ae09e742d63.png)
他にも、青梗菜とシイタケ炒めや、高級食材とされる「葱焼海参」(ナマコとネギの炒め)を注文してみたが、ナマコは思ったほどの感動はなかった。。
****************************************
翌朝、昨夜夕食に訪れた「楼外楼」のある島「孤山」に再びやってきた。これから、楼外楼から東に300メートル行った中山公園にある「浙江省博物館」に向かう。
「浙江省博物館」は、1929年に開館した歴史ある博物館で、文化財が10万件余りと浙江省最大の規模を誇っている。1990年末に改装し中国式庭園を持つ建築様式を採用している。主に青磁、書画、河姆渡(かぼと)文化の遺跡(前5000頃~前4500頃、浙江省に存在した新石器時代の文化)と良渚文化(りょうしょぶんか)の遺跡(前3500頃~前2200頃、長江文明における一文化)からの出土品を所蔵している。
良渚文化では、1986年に反山の貴族墳墓群から出土した玉礼器群が見所の一つで、特に「玉琮王」の神の徽章(写真はオブジェ)が刻まれた礼器は特に印象深いものがある。この日は、「瓷典」(磁器)の特別展が開催されており、草花で美しく装飾されたお椀、皿、花瓶などが数多く展示されていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/04/619561d0e2a7800db81f7469eff13771.jpg)
クリックで別ウインドウ開く
3階からは、博物館の正面口越しに西湖が望める。小さな島は「湖心亭」で、重なる様に、その先に、「三潭印月」の「小瀛洲」があり、対岸には、幽かに夕照山の「雷峰塔」が見える。
1時間ほど見学した後、浙江省博物館を出て、柳の木のそばで湖畔を眺めながら遊覧バスの到着を待つ。すぐ隣には遊覧船の乗船口もある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/83/9b8625446516fccc5e36b0e845568b9d.jpg)
次に、遊覧バスに乗り、島「孤山」の東側「平湖秋月」を離れ、真っ直ぐに西湖を貫く様に延びる「白堤」を東方面に向かう。その「白堤」は、西湖を南北に分け、北側の内湖を「北里湖」としている。その北里湖の対岸には「宝石山」が望め、山頂には「保叔塔」が建っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/b2/7750da0fcb25aab36f25ea20de69090c.jpg)
クリックで別ウインドウ開く
保叔塔とは、呉越時代の960年頃に、高さ45.3メートル、七層六角形の煉瓦造りで建てられたが、現存する塔は1933年に明時代様式で再建されたもの。保叔塔が建つ宝石山は、火成岩から形成され、光が当たると宝石の様に輝くことから、新西湖十景で「宝石流霞」と呼ばれている。
白堤は、途中、錦帯橋を渡り、「西湖十景」の一つ「断橋残雪」で知られる「断橋」まで約1キロメートルを渡り終えると、湖畔に美しい並木道が続く「北山街」となる。西湖周辺には、至る所に蓮畑があり、蓮の花で彩られる西湖は、杭州の夏の風物詩ともなっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/07/efae656d4336a331922d649a715168a5.jpg)
西湖の北東部「湖浜公園」にさしかかると、「天書楼」の前に、ヴェネツィア共和国の商人で「東方見聞録」の作者で知られる「マルコ・ポーロ」(1254頃~1324)の彫像(馬可・波羅塑像)が飾られている。彼は、杭州のことを「世界で最も美しく、最も華やかな街」と称えた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/d5/4794a8a64bd8f2a6000cea2c85c3a465.jpg)
クリックで別ウインドウ開く
西湖の東湖畔で遊覧バスを降り、昼食は「西湖天地」にある「西湖翡翠花園酒家」(Xihu Crystal Jade Garden)で頂くことにした。西湖天地は世界遺産のモニュメントが設置され、周囲には季節の花が咲き、自然の景観を生かした小さな公園で、カフェ、喫茶、レストランが緑の中に点在している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/c7/cfbe0494afe967a590521c7f25b02072.jpg)
西湖翡翠花園酒家は、広東料理のレストランで、この日は、北京ダックや、ピータンの野菜炒め、小籠包、海老餃子、じゅんさいスープなどを頂いた。店内はオリエンタルモダンな雰囲気で、料理の味付けも洗練されており、大変美味しい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/c2/5a74a2bf4cbfd40655a2aedb472f9a55.jpg)
食後は、西湖を離れて、「六和塔」(りくわとう)にやってきた。杭州市街の南、銭塘江沿いの西湖区月輪山に建っている。高さ59.89メートル、敷地面積約890平方メートル。チケットを購入して、階段を上ると途中に牌坊型の入場ゲートが現れる。検札が終わると、引き続き階段を上って行く。六和塔内の階段は、急階段で手摺につかまりながら上って行く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/0e/ed8d43d11a6b167d80deb1593b26aa47.jpg)
最初の建築は、北宋の開宝3(970)年、銭塘江の逆流を鎮めることを願って、篤信家として知られる呉越国主の第5代の銭弘俶の尊崇を受けた「智覚禅師」(永明延寿)(904~976)によって建てられた。当時は九層八角だったが、その後内乱で破壊され、南宋の紹興22年(1152)年に再建される。現在の外層は、清の光緒26(1900)年に木造の外層が造られたものだが、内部の磚(レンガ)造りの塔身は南宋時代の再建時のままである。
六和塔は、 天地と四方とを合わせた六合の「六」と、平和の「和」の二文字を合わせて名付けられている。また、塔の明かりは、川を行きかう船のための灯台の役割も果たしていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/56/3fad81bc3cd6f8f902e83e240f02a6b1.jpg)
展望台からは、「銭塘江(せんとうこう)」が見渡せる。仙霞嶺山脈を源として前方の東方向に100キロメートルほどで杭州湾に至る。流路が激しく蛇行していることから、浙江、折江、曲江などとも呼ばれており、潮流の関係で、海から激しく河水が逆流し、大潮の時期には激浪になって川をさかのぼる海嘯(かいしょう)現象がしばしば発生する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/20/e4eeb24b248065bf804520103fa4aaa9.jpg)
「銭塘江」は、隋の時代には大運河で「長江」と結ばれた。紹興8(1138)年には、南宋が都を臨安(現在の杭州市)としたことから、銭塘江流域は大きく発展することになった。他にも、銭塘江河畔には、上海や寧波を擁しており、中国沿海部でもっとも発展する地域の一つとなっている。
銭塘江の南北に架かる橋は「銭塘江大橋」で、滬杭甬、浙鉄道につながる交通の要となっている。中国での初めての鉄道、公道両用の二層橋梁近代的大橋として、1937年に建設されたもので、幅約6メートル、全長約14キロメートルの規模を誇り、現在まで数回にわたり修築されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/da/664b15899d1a1a191c5827cc3539dc6e.jpg)
次に「杭州宋城」にやってきた。西湖風景区の西南に位置し、北は「五雲山」、南は「銭塘江」に接している。杭州宋城は、北宋の画家、張択端が描く「清明上河図」に基づいて再現されたテーマパークである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/9e/9856a1890ce4b097cc180e95326982a0.jpg)
九竜広場、城楼広場、宋塊広場、酒屋など宋の時代の特徴ある建物が集まり、また、職人役や庶民役など当時の衣装をまとった人々がパーク内を越劇しながら歩いている。馬、牛車、駱駝に乗ってパーク内を巡ることもできる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/a5/311051023861c4c02ea9660ced96160c.jpg)
これから、「宋城千古情」(宋城ロマンティック・ショー)と名付けられた大型演劇を鑑賞することにしている。一日に数回公演が行われるが、夕方からの最終公演を狙ってやってきた。宋城千古情は、地元では、音楽舞踊の世界三大演劇と呼ばれ、宋の時代へタイムスリップ感を体験できるとのこと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/fc/9318a5d00f9c1630b17de5a03685c7eb.jpg)
開演時間となり無事着席して鑑賞した。「宋城千古情」は全四幕で構成されている。最初と最後の二幕は、西湖や杭州を背景に、華麗な衣装に身を包んだ踊り子たちが、歌い、踊り、噴水や花火などが打ちあがる豪華な内容であった。そして、中間の二幕は、北宋末期の開封の防衛義勇軍に参加し、軍功を挙げ頭角を現した「岳飛」の活躍と、白蛇の化身の女性が西湖の「断橋」の袂で人間の男性と出会う恋物語「白蛇伝」が演じられた。
ショーが終了した後の劇場前は大混雑となったことから、急ぎタクシーを見つけ乗り込み、杭州宋城を後にし、杭州市中心街方面に向かった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/19/8e78cb76bc5f4448daa9fe1b308457af.jpg)
夕食は、西湖の湖浜公園から1キロメートル東側にある「杭州川味観 庆春店」で火鍋を頂いた。テーブル席に置かれた陰陽太極図の様な仕切り鍋に、赤と白の二種類のスープが薬味と一緒に入れられ、そのいずれかに野菜や羊肉などの具材を入れて、しゃぶしゃぶして頂く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/85/f3e822dd83ff95b3086b2452f99ad5fb.jpg)
他の肉や魚も食べたかったが、羊肉の量が多かったので注文を控えていたが、メニューの川蝦に興味があり注文すると、皮付きのままどっさりと運ばれてきた。皮を剝いて食べるのが大変だったが、しばらくすると慣れて美味しくなりどんどん食べた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/ba/12b0fbaf074703713f922bd203bc3581.jpg)
****************************************
昨夜は、リーガル プラザ ホテル(杭州杭州瑞豪中心酒店)に宿泊した。西湖湖畔の湖浜公園からは北東に1.5キロメートルに位置する市内中心部に建ち、西側は「武林広場」に面している。ホテルの部屋からは、その「武林広場」の花弁形噴水を望むことができる。リボンを手に取り華やかに踊る3人の少女像を中心に、周りに、琵琶、笛など楽器を演奏する姿の少女像が設置されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/0e/acab906a49ee70d9cb0219eb07629bd2.jpg)
クリックで別ウインドウ開く
朝食(ブッフェ)を23階にあるスカイ ガーデン レストランで頂いた後、チェックアウトして西湖の湖浜公園に到着した。これから遊覧船に乗って西湖の島めぐりに向かう。乗船して湖畔を振り返ると、次に出航する遊覧船が停泊している。反り屋根が強調される宝形造と切妻造が重なり合う中国伝統の建築様式を採用している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/74/87b45cd1f2b2c4451df17fbf65be45e9.jpg)
こちらは、見た目は同型の船に見えるが、屋根の下に瓦付きの裳階(もこし)がある二重屋根で、軒下には、浮彫レリーフや欄間などの装飾が施され豪華な船となっている。製造時期などにより、豪華な装飾が施されたり、簡素な造りになったりするのかもしれない。
遊覧船は順調に進み、前方左右に「阮公墩」と「湖心亭」の二つの小島が迫ってきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/45/07287a0c92888ec75cca290d007428e2.jpg)
遊覧船は右側の小島「湖心亭」に着船した。島の東側には、石で造られた三間四柱式の「牌坊」があり、梁には龍と紫陽花などの浮彫が施されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/d4/5fd09bca37f37b68cba53b6f069e8cbc.jpg)
クリックで別ウインドウ開く
遊覧船は乗り降りが終わるとすぐに、島を離れて行った。島は直径100メートル足らずの円形で、扁額や柱に詩句が書かれた「亭」などの建築物がいくつか建っている。観光客は、周囲を散策したり腰を掛けるなど思い思いの時間を過ごした後、遊覧船で次の島に向かっていくようだ。。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/18/11899b556f8fdaa85646f2f2d7f4a78c.jpg)
亭には、西湖の風景写真が飾られ、北宋の詩人「蘇軾(そ しょく)」(号:蘇東坡)が、絶景西湖の風景を、杭州ゆかりの西施にたとえて美しく詠じた七言絶句のパネルが掲げられている。
パネルには、「水光瀲灔晴方好 山色空濛雨亦奇 欲把西湖比西子 淡粧濃抹總相宜」と書かれている。
書き下し文にすると、水光瀲灩(れんえん)として、晴れ方(まさ)に好く、山色空濛(くうもう)にして、雨もまた奇なり、西湖を把って西子(西施)に、比せんと欲すれば、淡粧濃抹、総(す)べて相宜し(あいよろし)。。となる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/86/5e8a27a17cf7c4facfd8f5b345e57e8f.jpg)
西子(西施)とは、紀元前5世紀の春秋戦国時代、越王勾践が、呉王夫差に復讐のための策謀として献上した美女の一人で、夫差は、その策略にはまり、国政を顧みず、国は弱体化して滅ぼされる。そして西子(西施)は西湖に入水したとも言われており、古来多くの文人が、史上名高い絶世の美女を西湖にてらして憧れた。。
作者の「蘇軾」(1036~1101)(号:蘇東坡)は、四川省眉山県生まれで、高級官僚の道を歩み、政策に異議をとなえたことで左遷され、36歳で、杭州の通判(副知事)として赴任し3年間この地で過ごした。その間、西湖の景色を愛し、多くの詩を遺した。西湖の南北を繋ぐ長さ2.8キロメートルの堤「蘇堤」も彼の手によるものである。
「湖心亭」の見所と言えば、清王朝の乾隆帝の揮毫による石碑である。「虫二」とは、「風月無辺」(地位や利益にこだわらない人の心を月と雲に例えた意味)の「風月」の二字から枠をなくす(無辺)と「虫二」となると言った隠喩らしいが、何とも洒落ている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/5c/fa03043ff39d9b4f1d4304752c4dce16.jpg)
「湖心亭」の散策を終え、遊覧船に乗り、西湖で最も大きな島「小瀛洲」に向かった。7ヘクタールほどの楕円形の島だが、田の字で堤があるだけで、大半は湖(水辺)となっている。その南北に延びる堤の北側付近は、ジグザグに曲がる「九曲橋」となっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/94/eb65fe191a2dae5d236ebb49d1a54fef.jpg)
小瀛洲の中心部には、御碑亭、我心相印亭などが建ち、水辺越しに「九曲橋」が望める。九曲橋沿いには、杭州や蘇州などで見られる先端が翼が伸びる様に反り上げる屋根の「水榭(亭)」、白壁の建物、水中からは「九獅石」が建っている。9匹の小さな獅子が積み重なって一緒に遊んでいるような形をしていることから名付けられた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/9e/5a044093420aa09572d699b65bbca826.jpg)
クリックで別ウインドウ開く
小瀛洲の湖畔から北西側を眺めると、南北に木々に覆われた「蘇堤」が続き、その途中にアーチ橋が望める。アーチ橋は、遊覧船が蘇堤西側の「西里湖」などへ行き来できる様に工夫された航路である。蘇堤は、西湖の泥を掘り出して築いたと言われている。ちなみに、蘇堤の西側にある「岳湖」付近は、「西湖十景」の一つ「曲院風荷」と呼ばれている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/1e/e2d99a07d8b6f3df3286864d26462192.jpg)
クリックで別ウインドウ開く
手前に浮かぶ燈篭が「西湖十景」の一つ「三潭印月」を鮮やかに演出するもので、中秋の名月に火が灯され、月明りと燈篭とが、湖面に反射して、美しく輝くのである。周りには、船頭が漕ぐ小型船が集まっている。
島には、亭に「三潭印月」と刻まれた石碑が飾られ、多くの観光客が記念写真を撮っていた。
最終日は、再び、ハイアット リージェンシー 杭州(杭州凱悦酒店)にチェックインして、夕食はホテル内にある「湖浜28餐庁」でいただいた。こちらは、龍井茶(ろんじんちゃ)でスモークした魚、豚足のテリーヌなど杭州名物を取り揃えた前菜。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/a7/e96f3a6281e816d6d4a63c2686e7d7b9.jpg)
龍井茶とお茶菓子。龍井茶(ろんじんちゃ)は、杭州市特産の緑茶である。西湖の西に位置する龍井村で作られていたことから名付けられた。西湖と銭塘江の中間に位置する虎跑泉の水を使って飲むのが最高に美味しいらしい。苦みも少なく、飲んだ後に甘味も感じられ、ごくごく飲める。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/96/600533eebca303711303f3bebe2c16bb.jpg)
今回はレイクヴュー クラブルームに予約したので、部屋からは西湖全体が一望できる。屋上に、テラス席があるので、ビールにワイン、つまみなどを用意して腰を掛けた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/73/9757c81d7a3609d2fb4ed7bf480337fb.jpg)
西湖では、湖浜公園と西湖天地の間を西湖景区音楽噴泉として、毎日午後5時半から噴水ショーが開催されている。湖畔には多くの見物客が集まるが、こちらは他に人もなく、特等席を独占しているようで、贅沢な気分になれる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/6d/0b5d7a70719e0cbffce47da2c38c3ce5.jpg)
ホテルは、西湖湖畔沿いに、レセプションなどがある円形建物を囲む様に、客室棟が弧を描いて建っている。ホテル全体が鮮やかにライトアップされ、近未来都市の様に輝いている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/4e/00219d0e34982bf6350377ca6650ab1a.jpg)
その後、夕食を食べに、北山街にある「大宅門」に向かった。上がガラス戸で下が木板の建具(隔扇門)が並んだ2階建ての木造建築で、入口は近代的な石造りの入口になっている。玄関口には水場を中心に美しいモザイクタイルの床があり、テーブル席には、幾何学文様の浮彫が施された壁や雷紋文様の金型暖簾で仕切られている。無数の吊り下げ電球で照らされている。明、清時代の雰囲気を現代的にアレンジした感じがある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/4d/cbe815eb5d77647c88be6e193d48df10.jpg)
お店では、上海蟹の丸蒸し、上海蟹の味噌甲羅焼き、広東風のソースたっぷりの東坡肉、殻つき牡蠣のチーズ焼きなどを注文した。
****************************************
今朝は、空気が澄んでおり、ホテルの部屋からは、西湖の北側にある小島「孤山」や、隣の「白堤」、また手前には、昨夜、噴水ショーを見学した際の屋上テラス席のパラソルも見える。しばらく西湖を眺めていると、噴水ショーが始まった。以上で、杭州旅行は終わりとなる。この後、ホテルをチェックアウトして、杭州蕭山国際空港に向かい、帰国の途についた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/81/60d6e9b432598f7626b86ad8bbc4a1cf.jpg)
クリックで別ウインドウ開く
(2006.11.3~6)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/45/9beb64714775cf3b2a36b07bd6a33042.jpg)
西湖は、南北3.3キロメートル、東西2.8キロメートル、外周15キロメートルの、ややいびつな矩形をしている。遊覧バスは最初に、西湖の東湖畔沿いの「涌金公園」を過ぎ、次に、西湖十景の一つで「柳浪聞鶯」と呼ばれるエリアを過ぎ、最後に「学士公園」を通過して、西湖の南湖畔に到着した。
ところで、西湖がある杭州市は、中国八大古都(北京、南京、杭州、西安、洛陽、開封、安陽、鄭州)の一つで、国家歴史文化名城に指定されている。隋代以降、江南運河の終着点として経済・文化が発達し、「上有天堂、下有蘇杭」(上に天堂あり、下に蘇州・杭州あり)と称えられた。五代十国時代(907~960)には、呉越国の都となり、南宋時代には事実上の都(1138~1276)、臨安府が置かれた。現在の杭州市中心部は、西湖の東側に隣接して広がっている。
さて、遊覧バスを降りた西湖の南湖畔は、やや前方に突き出た半島で、中央の「夕照山」に仏塔「雷峰塔」が建っている。塔の名称は、夕照山の山頂を雷峰頂と呼んでいたことから名付けられた。現在の建物は、西湖十景の一つ「雷峰夕照」を再現するために、2002年に復元された。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/13/6149647254df53f15b11b1e508560d8f.jpg)
もともとは、975年、呉越王の銭弘俶が、寵妃(黄氏)が子を儲けたことを祝って「黄妃塔」として建てたのが始まりで、当初は五層八角形の煉瓦と木で造られた楼閣式の塔だった。その後、明時代の火災により煉瓦の塔身のみとなり、残った煉瓦も、心願成就に効果があるとされ持ちさられ、1924年に倒壊してしまう。
夕照山山頂までは、長い階段が続いているが、中央にはエスカレーターが設置されており、苦も無く塔の入口まで行ける。塔の土台部分には過去の煉瓦の遺構が残され見学することができる。塔はエレベータが設置された近代建築で、最上階の5階からの眺望が素晴らしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/9b/d9b2089c12dd353819d300e0b1f72931.jpg)
西湖は中国十大美景の一つとされ、中でも南宋時代には、西湖における10の美しい景観を「西湖十景」として、断橋残雪、平湖秋月、柳浪聞鶯、三潭印月、曲院風荷、蘇堤春暁、南屏晩鐘、双峰挿雲、雷峰夕照、花港観魚と定めている。
雷峰塔の最上階の天井には八角形の装飾天井「藻井(そうせい)」(ドーム)があり、アーチ型の龕に宝塔が納められた金の浮彫が無数に表現されている。そして、中央には金の花弁文様の飾りが取り付けられる等豪華なものとなっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/c5/ca4a1fe704e79850d547af522a83b380.jpg)
ドームの下部にあたる小壁には、仏陀の生涯をテーマにした木製のレリーフが360度にわたり取り付けられている。こちらは、涅槃図が高浮彫の技法で表現されている。弟子たちの表情や、木々の葉一枚一枚に至るまで、繊細に彫り進められており、更に光があたることにより、陰影がより強調され作品に深みを増している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/92/9e0cfad44409133711cf95538895f980.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0090.gif)
展望台から西湖が一望できるが、今日は、やや靄(もや)がかかっている。中央の島が西湖で最も大きな島「小瀛洲」で「西湖十景」の一つ「三潭印月」と呼ばれている。そしてすぐ北側には「阮公墩」と「湖心亭」の二つの小島がある。その先にも小島「孤山」があり、孤山の東側から北東側湖畔にかけて「白堤」が延び、内側が「北里湖」となっている。西側には、南北に「蘇堤」と、その奥に「楊公堤」とがあり西湖は、「西里湖」、「南湖」、「岳湖」と細分化されている。以上の様に西湖は「一山、三堤、三島、五湖」から構成されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/8b/1edf6191f22f6abd0015428377140ed9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0090.gif)
雷峰塔の南側には、高さ131メートルの「南屏山」があり、麓に「浄慈禅寺」がある。日没時に響き渡る鐘の音を聞きながら眺める夕景が「南屏晩鐘」と呼ばれ「西湖十景」の一つとされている。北宋の画家、張択端が描く「清明上河図」の「南屏晩鐘図」により広く知れ渡った。954年創建で、日本曹洞宗の開祖である道元(未詳~1253)の師、南宋の曹洞宗の僧「天童如浄」(1163~1228)が住持を務めた禅宗五山の一つでもある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/8c/b9e513ca0dea7391d6ff8b23c43b9e2f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0090.gif)
東側は、雷峰塔の建つ周辺が、半島状に突き出ていることから、入り江となっている。湖畔手前の建物群は、ツーチャン シーツー ホテル(浙江西子賓館)で、対岸が遊覧バスで通過した「学士公園」になる。そして、北東方向が杭州の中心街だが、街並は靄でかすんでいる。東側には「呉山」があり、春秋時代に呉国の境目となった山になる。その呉山の山頂には「城隍閣」(じょうこうかく)が建っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/78/4601a9bd7173c2bc2936aaa55c8bdf7b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0090.gif)
城隍閣は、もとは元代創建の城隍神を祭祀する為の廟所で、高さ41.6メートルあり、羽を広げて飛翔する鳳凰を彷彿させる様な建築が特徴的な7層の楼閣で「新西湖十景」の一つ「呉山天風」と称されている。新西湖十景とは、1985年に杭州市が新たに選んだ十景のことで、玉皇飛雲、呉山天風、阮墩環碧、満隴桂雨、龍井問茶、九渓煙樹、黄龍吐翠、虎跑夢泉、宝石流霞、雲栖竹径と定めている。
再び、遊覧バスに乗り、次に西湖の北側に向かうことにする。バスに乗ると、最初に、西湖游船の乗り場を通過する。湖畔に龍の大きな顔が特徴的な豪華な楼閣船が停留している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/07/8b212073721151fd4c4138ad518ea4e3.jpg)
遊覧バスは、西湖の南北2.8キロメートルに延びる人口堤「蘇堤」を通り、西湖の北西岸に到着した。東西に延びる西湖沿いのメインストリート「北山街」に面して建つのが、南宋の武将・岳飛を祭る廟「岳王廟」で、多くの観光客が多く訪れる西湖の名所になっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/b0/fb42f695ee79cbb14885ec74c52a1795.jpg)
岳飛(1103~1142)は臨安(現在の杭州)出身の南宋の武将で、女真族の金に対して多くの戦績を挙げたが、岳飛らの勢力拡大を恐れた、高宗の宰相、秦檜ら講和派により謀殺され、不本意な生涯を終えている。秦檜の死後は、冤罪が晴れ「鄂王」と称され、岳飛の死から約80年後の1221年、智化寺に岳廟が建てられた。1918年に再建され、文化大革命中に破壊されるが、1979年に「岳王廟」として新たに再建され、現在に至っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/ac/6de0a46ed9772b9a8bc61ce308803050.jpg)
壮麗な大門を入ると、いくつかの建物があり、正殿には金龍が刺繍された紫紺の衣を羽織った「岳飛」の像が祀られている。敷地内には、岳飛と岳雲(岳飛の養子)の墓があり、彼らを陥れた秦檜と妻の王氏が縄でつながれ正座させられている銅像がある。現在は禁止されているが、かつて唾を吐きかける習慣があったとのこと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/30/eeb22bde1988fc7ae344e37676c2a415.jpg)
夕食は「岳王廟」から10分ほど歩いた、西湖の北部分にある島「孤山」の「孤山公園」そばにある「楼外楼」で浙江料理を頂くことにした。「楼外楼」は、杭州で一番有名な店とも言われ、150年の歴史を持つ老舗店である。2階建ての大きな楼閣風の建物で、店内はかなり広い。飲み物は、ビールと紹興酒を注文した。
こちらは、雌鶏の腹に詰め物をして蓮の葉でくるみ泥で包んで蒸し焼きにした名物料理「叫化童鶏」で、鶏自体の味が良い上に、身も柔らかく、蓮の香りが染み込み大変美味しい一品。そのむかし、乞食(叫化子・叫花子)が鶏に泥を塗り、地面に穴を掘った即席竃で焼いたことから「乞食鶏」とも呼ばれている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/fc/67213beb843e72440ce62136a6e1918b.jpg)
そして、浙江料理を代表する名物「東坡肉(トンポーロー)」を注文した。北宋の詩人、「蘇軾(そ しょく)」(号:蘇東坡)が考案した料理で、皮付きの豚三枚肉を紹興酒、砂糖、醤油で煮込み、小さな容器に肉片一つと野菜を入れ、茶わん蒸しの様に蒸し上げて完成する。こってりとした肉の旨味にも関わらず、脂っこくないのが特徴。蒸しパンに挟んで食べる。
そして楼外楼の名物の一つ「宋嫂魚羹」(宋姉魚のスープ)で、桂魚と呼ばれる淡水魚の切り身に、金華ハム、椎茸、葱、生姜などを煮込んだスープで、やや酸味がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/2d/9b1e08d2e3c8310df14a7ae09e742d63.png)
他にも、青梗菜とシイタケ炒めや、高級食材とされる「葱焼海参」(ナマコとネギの炒め)を注文してみたが、ナマコは思ったほどの感動はなかった。。
****************************************
翌朝、昨夜夕食に訪れた「楼外楼」のある島「孤山」に再びやってきた。これから、楼外楼から東に300メートル行った中山公園にある「浙江省博物館」に向かう。
「浙江省博物館」は、1929年に開館した歴史ある博物館で、文化財が10万件余りと浙江省最大の規模を誇っている。1990年末に改装し中国式庭園を持つ建築様式を採用している。主に青磁、書画、河姆渡(かぼと)文化の遺跡(前5000頃~前4500頃、浙江省に存在した新石器時代の文化)と良渚文化(りょうしょぶんか)の遺跡(前3500頃~前2200頃、長江文明における一文化)からの出土品を所蔵している。
良渚文化では、1986年に反山の貴族墳墓群から出土した玉礼器群が見所の一つで、特に「玉琮王」の神の徽章(写真はオブジェ)が刻まれた礼器は特に印象深いものがある。この日は、「瓷典」(磁器)の特別展が開催されており、草花で美しく装飾されたお椀、皿、花瓶などが数多く展示されていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/04/619561d0e2a7800db81f7469eff13771.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0090.gif)
3階からは、博物館の正面口越しに西湖が望める。小さな島は「湖心亭」で、重なる様に、その先に、「三潭印月」の「小瀛洲」があり、対岸には、幽かに夕照山の「雷峰塔」が見える。
1時間ほど見学した後、浙江省博物館を出て、柳の木のそばで湖畔を眺めながら遊覧バスの到着を待つ。すぐ隣には遊覧船の乗船口もある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/83/9b8625446516fccc5e36b0e845568b9d.jpg)
次に、遊覧バスに乗り、島「孤山」の東側「平湖秋月」を離れ、真っ直ぐに西湖を貫く様に延びる「白堤」を東方面に向かう。その「白堤」は、西湖を南北に分け、北側の内湖を「北里湖」としている。その北里湖の対岸には「宝石山」が望め、山頂には「保叔塔」が建っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/b2/7750da0fcb25aab36f25ea20de69090c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0090.gif)
保叔塔とは、呉越時代の960年頃に、高さ45.3メートル、七層六角形の煉瓦造りで建てられたが、現存する塔は1933年に明時代様式で再建されたもの。保叔塔が建つ宝石山は、火成岩から形成され、光が当たると宝石の様に輝くことから、新西湖十景で「宝石流霞」と呼ばれている。
白堤は、途中、錦帯橋を渡り、「西湖十景」の一つ「断橋残雪」で知られる「断橋」まで約1キロメートルを渡り終えると、湖畔に美しい並木道が続く「北山街」となる。西湖周辺には、至る所に蓮畑があり、蓮の花で彩られる西湖は、杭州の夏の風物詩ともなっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/07/efae656d4336a331922d649a715168a5.jpg)
西湖の北東部「湖浜公園」にさしかかると、「天書楼」の前に、ヴェネツィア共和国の商人で「東方見聞録」の作者で知られる「マルコ・ポーロ」(1254頃~1324)の彫像(馬可・波羅塑像)が飾られている。彼は、杭州のことを「世界で最も美しく、最も華やかな街」と称えた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/d5/4794a8a64bd8f2a6000cea2c85c3a465.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0090.gif)
西湖の東湖畔で遊覧バスを降り、昼食は「西湖天地」にある「西湖翡翠花園酒家」(Xihu Crystal Jade Garden)で頂くことにした。西湖天地は世界遺産のモニュメントが設置され、周囲には季節の花が咲き、自然の景観を生かした小さな公園で、カフェ、喫茶、レストランが緑の中に点在している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/c7/cfbe0494afe967a590521c7f25b02072.jpg)
西湖翡翠花園酒家は、広東料理のレストランで、この日は、北京ダックや、ピータンの野菜炒め、小籠包、海老餃子、じゅんさいスープなどを頂いた。店内はオリエンタルモダンな雰囲気で、料理の味付けも洗練されており、大変美味しい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/c2/5a74a2bf4cbfd40655a2aedb472f9a55.jpg)
食後は、西湖を離れて、「六和塔」(りくわとう)にやってきた。杭州市街の南、銭塘江沿いの西湖区月輪山に建っている。高さ59.89メートル、敷地面積約890平方メートル。チケットを購入して、階段を上ると途中に牌坊型の入場ゲートが現れる。検札が終わると、引き続き階段を上って行く。六和塔内の階段は、急階段で手摺につかまりながら上って行く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/0e/ed8d43d11a6b167d80deb1593b26aa47.jpg)
最初の建築は、北宋の開宝3(970)年、銭塘江の逆流を鎮めることを願って、篤信家として知られる呉越国主の第5代の銭弘俶の尊崇を受けた「智覚禅師」(永明延寿)(904~976)によって建てられた。当時は九層八角だったが、その後内乱で破壊され、南宋の紹興22年(1152)年に再建される。現在の外層は、清の光緒26(1900)年に木造の外層が造られたものだが、内部の磚(レンガ)造りの塔身は南宋時代の再建時のままである。
六和塔は、 天地と四方とを合わせた六合の「六」と、平和の「和」の二文字を合わせて名付けられている。また、塔の明かりは、川を行きかう船のための灯台の役割も果たしていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/56/3fad81bc3cd6f8f902e83e240f02a6b1.jpg)
展望台からは、「銭塘江(せんとうこう)」が見渡せる。仙霞嶺山脈を源として前方の東方向に100キロメートルほどで杭州湾に至る。流路が激しく蛇行していることから、浙江、折江、曲江などとも呼ばれており、潮流の関係で、海から激しく河水が逆流し、大潮の時期には激浪になって川をさかのぼる海嘯(かいしょう)現象がしばしば発生する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/20/e4eeb24b248065bf804520103fa4aaa9.jpg)
「銭塘江」は、隋の時代には大運河で「長江」と結ばれた。紹興8(1138)年には、南宋が都を臨安(現在の杭州市)としたことから、銭塘江流域は大きく発展することになった。他にも、銭塘江河畔には、上海や寧波を擁しており、中国沿海部でもっとも発展する地域の一つとなっている。
銭塘江の南北に架かる橋は「銭塘江大橋」で、滬杭甬、浙鉄道につながる交通の要となっている。中国での初めての鉄道、公道両用の二層橋梁近代的大橋として、1937年に建設されたもので、幅約6メートル、全長約14キロメートルの規模を誇り、現在まで数回にわたり修築されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/da/664b15899d1a1a191c5827cc3539dc6e.jpg)
次に「杭州宋城」にやってきた。西湖風景区の西南に位置し、北は「五雲山」、南は「銭塘江」に接している。杭州宋城は、北宋の画家、張択端が描く「清明上河図」に基づいて再現されたテーマパークである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/9e/9856a1890ce4b097cc180e95326982a0.jpg)
九竜広場、城楼広場、宋塊広場、酒屋など宋の時代の特徴ある建物が集まり、また、職人役や庶民役など当時の衣装をまとった人々がパーク内を越劇しながら歩いている。馬、牛車、駱駝に乗ってパーク内を巡ることもできる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/a5/311051023861c4c02ea9660ced96160c.jpg)
これから、「宋城千古情」(宋城ロマンティック・ショー)と名付けられた大型演劇を鑑賞することにしている。一日に数回公演が行われるが、夕方からの最終公演を狙ってやってきた。宋城千古情は、地元では、音楽舞踊の世界三大演劇と呼ばれ、宋の時代へタイムスリップ感を体験できるとのこと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/fc/9318a5d00f9c1630b17de5a03685c7eb.jpg)
開演時間となり無事着席して鑑賞した。「宋城千古情」は全四幕で構成されている。最初と最後の二幕は、西湖や杭州を背景に、華麗な衣装に身を包んだ踊り子たちが、歌い、踊り、噴水や花火などが打ちあがる豪華な内容であった。そして、中間の二幕は、北宋末期の開封の防衛義勇軍に参加し、軍功を挙げ頭角を現した「岳飛」の活躍と、白蛇の化身の女性が西湖の「断橋」の袂で人間の男性と出会う恋物語「白蛇伝」が演じられた。
ショーが終了した後の劇場前は大混雑となったことから、急ぎタクシーを見つけ乗り込み、杭州宋城を後にし、杭州市中心街方面に向かった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/19/8e78cb76bc5f4448daa9fe1b308457af.jpg)
夕食は、西湖の湖浜公園から1キロメートル東側にある「杭州川味観 庆春店」で火鍋を頂いた。テーブル席に置かれた陰陽太極図の様な仕切り鍋に、赤と白の二種類のスープが薬味と一緒に入れられ、そのいずれかに野菜や羊肉などの具材を入れて、しゃぶしゃぶして頂く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/85/f3e822dd83ff95b3086b2452f99ad5fb.jpg)
他の肉や魚も食べたかったが、羊肉の量が多かったので注文を控えていたが、メニューの川蝦に興味があり注文すると、皮付きのままどっさりと運ばれてきた。皮を剝いて食べるのが大変だったが、しばらくすると慣れて美味しくなりどんどん食べた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/ba/12b0fbaf074703713f922bd203bc3581.jpg)
****************************************
昨夜は、リーガル プラザ ホテル(杭州杭州瑞豪中心酒店)に宿泊した。西湖湖畔の湖浜公園からは北東に1.5キロメートルに位置する市内中心部に建ち、西側は「武林広場」に面している。ホテルの部屋からは、その「武林広場」の花弁形噴水を望むことができる。リボンを手に取り華やかに踊る3人の少女像を中心に、周りに、琵琶、笛など楽器を演奏する姿の少女像が設置されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/0e/acab906a49ee70d9cb0219eb07629bd2.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0090.gif)
朝食(ブッフェ)を23階にあるスカイ ガーデン レストランで頂いた後、チェックアウトして西湖の湖浜公園に到着した。これから遊覧船に乗って西湖の島めぐりに向かう。乗船して湖畔を振り返ると、次に出航する遊覧船が停泊している。反り屋根が強調される宝形造と切妻造が重なり合う中国伝統の建築様式を採用している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/74/87b45cd1f2b2c4451df17fbf65be45e9.jpg)
こちらは、見た目は同型の船に見えるが、屋根の下に瓦付きの裳階(もこし)がある二重屋根で、軒下には、浮彫レリーフや欄間などの装飾が施され豪華な船となっている。製造時期などにより、豪華な装飾が施されたり、簡素な造りになったりするのかもしれない。
遊覧船は順調に進み、前方左右に「阮公墩」と「湖心亭」の二つの小島が迫ってきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/45/07287a0c92888ec75cca290d007428e2.jpg)
遊覧船は右側の小島「湖心亭」に着船した。島の東側には、石で造られた三間四柱式の「牌坊」があり、梁には龍と紫陽花などの浮彫が施されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/d4/5fd09bca37f37b68cba53b6f069e8cbc.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0090.gif)
遊覧船は乗り降りが終わるとすぐに、島を離れて行った。島は直径100メートル足らずの円形で、扁額や柱に詩句が書かれた「亭」などの建築物がいくつか建っている。観光客は、周囲を散策したり腰を掛けるなど思い思いの時間を過ごした後、遊覧船で次の島に向かっていくようだ。。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/18/11899b556f8fdaa85646f2f2d7f4a78c.jpg)
亭には、西湖の風景写真が飾られ、北宋の詩人「蘇軾(そ しょく)」(号:蘇東坡)が、絶景西湖の風景を、杭州ゆかりの西施にたとえて美しく詠じた七言絶句のパネルが掲げられている。
パネルには、「水光瀲灔晴方好 山色空濛雨亦奇 欲把西湖比西子 淡粧濃抹總相宜」と書かれている。
書き下し文にすると、水光瀲灩(れんえん)として、晴れ方(まさ)に好く、山色空濛(くうもう)にして、雨もまた奇なり、西湖を把って西子(西施)に、比せんと欲すれば、淡粧濃抹、総(す)べて相宜し(あいよろし)。。となる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/86/5e8a27a17cf7c4facfd8f5b345e57e8f.jpg)
西子(西施)とは、紀元前5世紀の春秋戦国時代、越王勾践が、呉王夫差に復讐のための策謀として献上した美女の一人で、夫差は、その策略にはまり、国政を顧みず、国は弱体化して滅ぼされる。そして西子(西施)は西湖に入水したとも言われており、古来多くの文人が、史上名高い絶世の美女を西湖にてらして憧れた。。
作者の「蘇軾」(1036~1101)(号:蘇東坡)は、四川省眉山県生まれで、高級官僚の道を歩み、政策に異議をとなえたことで左遷され、36歳で、杭州の通判(副知事)として赴任し3年間この地で過ごした。その間、西湖の景色を愛し、多くの詩を遺した。西湖の南北を繋ぐ長さ2.8キロメートルの堤「蘇堤」も彼の手によるものである。
「湖心亭」の見所と言えば、清王朝の乾隆帝の揮毫による石碑である。「虫二」とは、「風月無辺」(地位や利益にこだわらない人の心を月と雲に例えた意味)の「風月」の二字から枠をなくす(無辺)と「虫二」となると言った隠喩らしいが、何とも洒落ている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/5c/fa03043ff39d9b4f1d4304752c4dce16.jpg)
「湖心亭」の散策を終え、遊覧船に乗り、西湖で最も大きな島「小瀛洲」に向かった。7ヘクタールほどの楕円形の島だが、田の字で堤があるだけで、大半は湖(水辺)となっている。その南北に延びる堤の北側付近は、ジグザグに曲がる「九曲橋」となっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/94/eb65fe191a2dae5d236ebb49d1a54fef.jpg)
小瀛洲の中心部には、御碑亭、我心相印亭などが建ち、水辺越しに「九曲橋」が望める。九曲橋沿いには、杭州や蘇州などで見られる先端が翼が伸びる様に反り上げる屋根の「水榭(亭)」、白壁の建物、水中からは「九獅石」が建っている。9匹の小さな獅子が積み重なって一緒に遊んでいるような形をしていることから名付けられた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/9e/5a044093420aa09572d699b65bbca826.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0090.gif)
小瀛洲の湖畔から北西側を眺めると、南北に木々に覆われた「蘇堤」が続き、その途中にアーチ橋が望める。アーチ橋は、遊覧船が蘇堤西側の「西里湖」などへ行き来できる様に工夫された航路である。蘇堤は、西湖の泥を掘り出して築いたと言われている。ちなみに、蘇堤の西側にある「岳湖」付近は、「西湖十景」の一つ「曲院風荷」と呼ばれている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/1e/e2d99a07d8b6f3df3286864d26462192.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0090.gif)
手前に浮かぶ燈篭が「西湖十景」の一つ「三潭印月」を鮮やかに演出するもので、中秋の名月に火が灯され、月明りと燈篭とが、湖面に反射して、美しく輝くのである。周りには、船頭が漕ぐ小型船が集まっている。
島には、亭に「三潭印月」と刻まれた石碑が飾られ、多くの観光客が記念写真を撮っていた。
最終日は、再び、ハイアット リージェンシー 杭州(杭州凱悦酒店)にチェックインして、夕食はホテル内にある「湖浜28餐庁」でいただいた。こちらは、龍井茶(ろんじんちゃ)でスモークした魚、豚足のテリーヌなど杭州名物を取り揃えた前菜。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/a7/e96f3a6281e816d6d4a63c2686e7d7b9.jpg)
龍井茶とお茶菓子。龍井茶(ろんじんちゃ)は、杭州市特産の緑茶である。西湖の西に位置する龍井村で作られていたことから名付けられた。西湖と銭塘江の中間に位置する虎跑泉の水を使って飲むのが最高に美味しいらしい。苦みも少なく、飲んだ後に甘味も感じられ、ごくごく飲める。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/96/600533eebca303711303f3bebe2c16bb.jpg)
今回はレイクヴュー クラブルームに予約したので、部屋からは西湖全体が一望できる。屋上に、テラス席があるので、ビールにワイン、つまみなどを用意して腰を掛けた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/73/9757c81d7a3609d2fb4ed7bf480337fb.jpg)
西湖では、湖浜公園と西湖天地の間を西湖景区音楽噴泉として、毎日午後5時半から噴水ショーが開催されている。湖畔には多くの見物客が集まるが、こちらは他に人もなく、特等席を独占しているようで、贅沢な気分になれる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/6d/0b5d7a70719e0cbffce47da2c38c3ce5.jpg)
ホテルは、西湖湖畔沿いに、レセプションなどがある円形建物を囲む様に、客室棟が弧を描いて建っている。ホテル全体が鮮やかにライトアップされ、近未来都市の様に輝いている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/4e/00219d0e34982bf6350377ca6650ab1a.jpg)
その後、夕食を食べに、北山街にある「大宅門」に向かった。上がガラス戸で下が木板の建具(隔扇門)が並んだ2階建ての木造建築で、入口は近代的な石造りの入口になっている。玄関口には水場を中心に美しいモザイクタイルの床があり、テーブル席には、幾何学文様の浮彫が施された壁や雷紋文様の金型暖簾で仕切られている。無数の吊り下げ電球で照らされている。明、清時代の雰囲気を現代的にアレンジした感じがある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/4d/cbe815eb5d77647c88be6e193d48df10.jpg)
お店では、上海蟹の丸蒸し、上海蟹の味噌甲羅焼き、広東風のソースたっぷりの東坡肉、殻つき牡蠣のチーズ焼きなどを注文した。
****************************************
今朝は、空気が澄んでおり、ホテルの部屋からは、西湖の北側にある小島「孤山」や、隣の「白堤」、また手前には、昨夜、噴水ショーを見学した際の屋上テラス席のパラソルも見える。しばらく西湖を眺めていると、噴水ショーが始まった。以上で、杭州旅行は終わりとなる。この後、ホテルをチェックアウトして、杭州蕭山国際空港に向かい、帰国の途についた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/81/60d6e9b432598f7626b86ad8bbc4a1cf.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0090.gif)
(2006.11.3~6)